クラーケン娘 vs 勇者忍者
港町クラスによる、最新の大規模攻勢だった。
人間軍は、魔族領から伸びる太い大河を遡り、艦隊を押し上げていく。
先頭には新造の主力艦。護衛艦に囲まれ、砲撃は半径百キロの生き物を叩き起こす勢いだ。
甲板には魔術師、弓兵、剣士。
船腹には蟻みたいにスケルトン兵が這い上がり、ひたすら迎撃されては落とされていく。
人間側は、世界が崩れる気配を嗅いでいた。
原因は――殺しやすいスケルトンじゃない。
水面が、割れた。
ザッパァァン!!
現れたのは、魔王軍・水軍の“副官”。
巨大なクラーケン娘だった。
水上に出ているのは、ぬらりと光る触手の柱。
水中に沈む本体は、黒い魔力だけで昼を夜に変えそうな、不機嫌そうな魔族の女。
時おり上半身が波紋を突き破り、濡れた角が陽光を弾く。
古代の侮蔑を湛えた目が光り、笑みが一瞬だけ口元に浮かぶ。
その瞬間、船乗りたちはスケルトンより先に胃が冷えた。
ドォォン!!
主力艦の砲弾が水を切り、鉄球が彼女の再生する触手を叩きちぎった。
水柱が跳ねる。続けて爆裂魔法、雷撃。
だが触手が一本落ちるたび、二本が怒りで生えてくる。
結果。
艦隊は木片の山にされかけた。
クラーケン娘は、妖艶に笑う。傷ひとつない。
「なぁにそれ。爆発おもちゃ? 陸歩きって、虚勢張る時ほど声でかいのよね?」
人間側の艦の手すりに、仮面の勇者忍者が身を低くしていた。“被害者アンケート”を投げてきた、あの仮面の勇者忍者だ。
目だけが鋭く光る。
クナイが飛ぶ。スケルトンが飛ぶ。
乗り込んでくる骨の群れを、淡々と切り落とす。
「クラーケン。お前の暴虐はここまでだ」
クラーケン娘は再生している。
だが、忍者の撒いた“聖毒”は薄れない。触手の傷とは別のところで、確実に削ってくる。
――こいつは、そのうち私を殺す。
だから消す。今。
触手がしなり、跳躍した忍者を蚊みたいに叩いた。
バキィッ!
マストに激突。木が割れ、忍者は甲板へべちゃりと落ちる。
「うわぁぁぁ!!」
仲間が叫ぶ。
「ラインハルトォォ!! 俺、もうダメだ。リタイアだ!!」
忍者は車輪の方へ叫んだ。
上から、人類の勇者ラインハルトが、いつも通り胃が痛そうな顔で怒鳴る。
炎を纏った剣が、敵をまとめて薙ぎ払う。
「死ぬな!!」
「死ぬって言ってねぇ! 撤退だ!!」
「今まさに――」
ポンッ!
煙玉。
忍者は消えた。と思ったら、一秒後にはクラーケンの肩にしがみついていた。
相変わらず言うことだけは偉そうだ。
「あなたの戦略的攻撃、もう疲れてる」
「私はクラーケン。疲れない。沈める」
触手で振り払おうとするが、忍者は切り払いながら粘る。
最後の連撃。明らかに無茶。
「動きが乱れてる。あと一時間で死ぬな」
言った本人が、内傷で息を詰まらせる。実際はもっと早そうだった。
「……その前に、休む」
「は?」
「聞いたことがあるだろ。比べ物にならない場所だ」
クラーケン娘の目が細くなる。
「……敵を湯に誘う気?」
「中立地だ。どうして敵になる?」
「殺し屋の影が、もてなしだって? 可愛い偽善ね」
クラーケン娘は笑い、触手を躍らせた。
「ここで潰してあげる! 踊りなさい、陸歩き! もう震えてるじゃない!」
忍者は宙返りで触手を避け、身体を抉りながら叫ぶ。
「こっち側を知ったら、ここで殺し合うのがどれだけ愚かか分かった」
「未来を開け。魔物も人間も、タオルで和平する場所だ!」
「それに」
忍者の声が、妙に軽くなる。
「俺らが燃え尽きたら、戦争つまらなくなるだろ?」
煙玉。
ボフッ!
忍者は消え、代わりに巻物が残った。
クラーケン娘はそれを拾い、一瞥して鼻で笑う。
有名リゾートの――入浴券付きチラシ。
「狂人め。いいわ」
彼女は水面を叩いて笑った。
「私を満足させたら、そのあと溺れさせてあげる」
翌日。
木の柄杓を触手がすいっと持ち上げ、肩に湯をかけている。
客が「ひゃっ」と声を漏らした。
クラーケン娘は、人間サイズまで縮んでいた。
角にタオル。触手はだらんと湯に浸かり、本人は鼻歌。
向かいには、腕を組んで浸かる勇者忍者。表情は読めない。
忍者が首を傾げる。
「義務に溺れるより、マシだろ」
「……まあね」
クラーケン娘がふん、と笑う。
「悪くない。陸歩きのくせに、趣味はいい」
その後ろから、両陣営の兵がじわじわ入ってくる。
「……あいつがいるなら……」
「……あいつもいるなら……」
気づけばスケルトン給仕が、魔族兵に飲み物を運び、
人間兵が「ありがとう」と受け取っていた。
オーク警備員が回収に走る。
「武器持ち込み禁止だ!」
剣三本、クロスボウ二つ、そして“どうしても持ち込みたい聖遺物”一個。
俺は祭壇の湯で、ぶくぶくと満足していた。
忠実な宣伝係。無料広告。戦線への市場拡大。最高。
クラーケン娘へ湯を集中させた。
カァン、と脳内に通知音が三つ鳴る。
新【能力:肥大化】獲得!
新【能力:水触手】獲得!
新【能力:海淵】獲得!
「うわ、能力が一気に……」
俺は浮かれて言った。
「さすが強い魔族だ。最初の二つは分かるけど、三つ目なんだこれ? 使うぞ!」
「シャルロッテ、ヤバかったら守れ!!」
シャルロッテが目をこすりながら起きた。
「え、なに、今なに……」
俺は池を指定する。
「【能力:海淵】!!」
「やめろォォ!! 私の湯でやるな!!」
暗転。
二メートルの深さが、一瞬で“外海の底”みたいになる。
水が黒く、底が見えない。
シャルロッテが青ざめた。
「こわっ……なにこれ……無限?」
「生体反応はない。水そのものだな」
「それが一番怖いんだけど!! 足に何か触れたら終わり!!」
「深海はな……俺も苦手だ」
俺はすぐ解除した。
「すまん。深海系の客には刺さるかもしれんが、突然の点呼は良くなかった。寝ていいぞ」
シャルロッテは即、沈んだ顔でぷかぷかしながら寝た。
その直後。
湯気で床がぬるっとしていたせいで、小さな人間の女の子がジュースを持って走り、滑った。
「きゃっ――!」
「【能力:水触手】!!」
床から、幽霊みたいな水の腕が二本、しゃっと伸びる。
片方がジュースを受け止め、揺れもせず空中で水平を保つ。
もう片方が少女の腰を優しく巻き、転倒を止めて、そっと立たせた。
「ほい」
少女の頬が、ぱっと桃色になる。
「あ、ありがとうございます! コアさん!」
宝物みたいにジュースを抱えて走り去った。
リンがぽつり。
「……今のは、ちょっと……良かったです」
「ガハハ! 安全第一がそのまま滑り止め保険になる!」
俺は水腕をぶんぶん振って得意になる。
「名付けて“触手ホスピタリティ”!」
「……名付けがアウトです」
「アウトじゃない。ほらリン、他の売り方を考えてみろ」
俺はわざとニヤつく。
「大人は変えづらいが、子どもは未来だ。あの子の記憶に“助かったスパ”が刻まれる。ノスタルジーで一生勝つ」
「い、いえ、その……」
リンが視線を逸らす。
「触手の別用途とか、私は何も……」
「考えてた顔だぞ」
「考えてません!!」
「じゃあ真面目に、海淵の方は?」
俺が話を切り替えると、リンは即座に仕事モードになった。
「捨てるのは早いです。クラス遠征のメモも取りました」
「もし人魚族を呼べれば、【水中呼吸】を吸えます。そこから二メートル湯のまま“海底ダイブ体験”ができます」
「安全に深海気分。新アトラクションです」
新【施設:深海ダイブ】計画!
夜明け。
戦争は再開した――はずだった。
クラーケン娘が河から躍り、勇者忍者が迎え撃つ。
――のに、二人とも自分の攻撃を“全力で”台無しにした。
クラーケン娘は、人間兵じゃなく魔族側スケルトンを叩き潰す。
忍者は、クラーケン触手じゃなく人間軍の攻城縄を切る。
そして二人が“激突”した瞬間――
宙で、こっそりクーポンを交換していた。
両岸の兵とアンデッドが固まる。
「……え、戦ってないけど……」
「……じゃあ、俺ら何で……?」
血じゃなく、湯気が戦線へ広がった。
三日目には、部隊単位で“休暇”が発生した。
逃亡? 違う。
全員、うちに来た。
翌週は地獄だった。
勇者忍者は常連みたいに来ては帰り、
クラーケン娘も同じように来ては帰る。
彼らはまだ戦う。港と川で、火花も飛ぶ。鋼も鳴る。触手も唸る。
でも、その後は。
「よ」
「よ」
二人は湯に座り、仕事終わりの同僚みたいに浸かる。
前線の兵は、半ば崇拝の目で見た。
クラス攻防の象徴だった因縁が、完全に“スパ限定コンテンツ”になっていく。
港が、静かすぎた。
ラインハルトが石畳に炎剣を突き立て、川を睨む。
砲声もない。悲鳴もない。クラーケンの破壊もない。
微かに聞こえるのは、湯気の笛と笑い声だけ。
一瞬だけ、信じた。
(……敵が退いてる? 人類が耐えた?)
そこへ荷馬車が通る。
湯気がもくもく出てる。中には――人間兵と魔族兵が肩を並べ、首にタオル、手に酒。
一人が手を振ってきた。
「隊長! カップル割、あと十分っすよ!」
ラインハルトのこめかみに血管が浮いた。
「か、カップル……?」
さらに別の馬車。こちらはスケルトン給仕がチラシを配っている。
避ける間もなく、ラインハルトのガントレットにねじ込まれた。
【聖スパ・カップル割 まもなく終了!】
ラインハルトはチラシを引き裂いた。
ビリッ。
風がそれを拾った。
二枚が四枚に見え、四枚が八枚に見え――
港に、クーポンの吹雪が降り始めた。
「うおおおお!!」
群衆が鳩みたいに飛びついていく。
スケルトンまで一枚掴み、肋骨に大事そうに挟んでいた。
ラインハルトの剣が燃え上がる。
「やめろ!! ここは前線だ!!」
前線は、もう“湯気の支店”だった。
船乗りが骨と乾杯し、魔族が弓兵に肩揉みをしていた。
その頃、スパ。
俺は祭壇でぶくぶくと笑い、金庫の増える音にうっとりしていた。
勇者忍者が湯に背を預け、腕を広げる。
「……勝つより良いな、これ」
クラーケン娘が鼻歌で答える。触手が池の縁にだらりとかかる。
「そうね。戦争は……休憩を挟むのが一番よ」




