天の民(スカイ族)の客
「……あと何回、私ひとりで出張すればいいの……」
シャルロッテがスパの門をくぐりながら、ぶつぶつ文句を垂れた。羽はぐしゃぐしゃ。肩から下げた鞄は、光るチラシでパンパンだ。レンガ袋みたいに重そうである。
天界に出入りできるの、こいつだけだからな。
「“反復提示”ってやつだよ」
俺は湯の中でぶくぶく言った。
「キャッチコピー、逃げられない広告、同じ文言を叩き込む。長く続ければ、何十年でも脳に刻まれる。普通は山ほど金が要るが、ありがたいことにうちは今、繁盛してる。天界の脳みそにも“カズキ聖スパ”を刻み込むぞ」
「理屈は分かるけど、うざい!!」
シャルロッテがぷいっと頬を膨らませる。
「重いし!! 魔王に予備のセラフ羽根もらうとかさ、もう一本借りてワープできるようにするとかさ!!」
「うざいのは同意」
俺はあっさり頷いた。
「だから今回が“あの量”で行く最後だ」
「え、ほんと!?」
「やり過ぎると逆効果にもなる」
俺はわざと真面目な声を作る。
「何度も何度も『買え』『来い』って迫るのは無神経だし、最悪、商品の価値が下がる。俺は知ってる。ガチャゲーの中には“スパム広告しか印象に残らない”やつがある」
「刺さる……」
「『NO』を受け入れないのは最悪の性格だ」
俺は例えを探して、ぴんと来た。
「強いて言えば……止めても止めても鳴り続ける目覚まし時計だ」
「うぐ……」
シャルロッテは渋い顔になる。
「でも、うちのスパは違うよね? 天使たち、興味はあるんだよ。来たいんだよ。本気で。止めてるのは、あの父天使だけ」
「分かってる。だからこそだ」
俺は笑う。
「お前の繰り返しで“舞台”は整った。次は最強の戦術を使う」
「最強……?」
「FOMOだ。取り残され恐怖」
「……あぁ」
シャルロッテの羽がぴくんと揺れた。
「限定バナーの血液……」
「そう」
俺は得意げにぶくぶくする。
「前回の季節イベント、異種族クックオフは前座。『うちはいつでも一生に一度の祭りをやる』って空気を作った。で、今回さらに行く。逆張りFOMOだ」
「逆張り……?」
「リン。新しい看板、出せ」
「……本気で書かせたんですか、これ……」
リンが辛そうな顔で掲げた。
【天の民が来ないなら、天界はこの素晴らしい新世界から締め出し】
「ダメでしょそれ!!」
シャルロッテの輪っかがぐるぐる回る。
「異種族平和の真逆!!」
「だから効く」
俺は真顔で言い切った。
「世界同時配信の後に地域ロックされる気分、想像しろ」
「最悪!!」
「お前が持ってきた“興味の種”があるから、怒るより先に焦る。人は焦ると動く」
「私、天界でトマト投げられるよ!!」
「投げない。舞台ができてる。信じろ」
俺は指示を続けた。
「次。フラッシュセール。『次の二時間、半額』で即時性を作る」
「え、露骨……」
「露骨が正義だ」
さらに俺は畳みかける。
「そして紹介制度。クジラがクジラを連れてきたら、無料ジェム配布くらい安い」
「怖いよ、ご主人さま……」
「最後に、初回購入ボーナス」
俺の声がやたら熱を帯びる。
「天の民限定で、初回だけジェム上乗せ。初回の心理的ハードルが下がる。最初に一度払うと、習慣ができる。継続率が上がる。最高」
リンがこめかみを押さえた。
「ご主人さま……人の心、まだ残ってます?」
「第二の試練が要求してるんだよ」
俺はにやりと笑った。
「で、この次のチラシが本命だ。来ない理由を物理的に潰す」
「……何を配ったの?」
「『今来ないと損する』を、天界の脳に焼くやつ」
その時だった。
湯気が銀色のリボンみたいに揺れる昼下がり。
最初の天使客が、サウナの前で膝から崩れ落ちた。
「ぁ……この熱……良すぎる……危険すぎる……」
輪っかが床に転がり、羽もへなへなに落ちる。
「異種族に囲まれてこんな気持ちになるなんて……堕ちる……誰か……浄化して……」
サウナの外、混浴のほうでは、別の天使がぎょっとして固まっていた。
「な、なんだ……この感覚は……」
「いいだろ」
俺は湯を小さく波立たせる。
「湯が整えてる。だが、それだけじゃないよな」
天使は必死に威厳を保とうとした。
「こ、こんな……水ごときで……!」
「水ごとき、ねぇ」
俺が一言乗せるだけで、周りの客はわくわく顔だ。
そこへ、ボルカスが豪快に肩を抱いてきた。
「兄ちゃん、力抜けっぺ!」
「戦う理由のない戦いをしても意味ねぇ!」
「森の民を見習って、胸張って、もっと楽しめ!」
天使は固まりながらも、じわじわと表情がほどけていった。
こうして、天界の差別の終わりが始まった。
一方その頃、マッサージ室。
セラフがベッドにうつ伏せで伸びきっていた。
「ん……っ、なるほど……」
枕に顔を埋めたまま、声だけが蕩ける。
「わ、私の洗練された身体が……あなた方の粗野な手技に……こんな……」
ミノタウロスとゴブリンの施術師が、肩と背をぐいぐい押す。
「んっ……ぁ……いい……」
「もっと……圧を……!」
「これが堕落なら……私は……落ちる……!」
リンがタオルを握りしめて震えていた。
「こ、声が……」
「公衆の場であれは……」
俺は即座に釘を刺す。
「見るな。あれを“自分の夢”みたいな目で見るな」
「え!?」
「え、じゃない」
「自分もやれる、とか考えるな。今は仕事だ」
リンは顔を真っ赤にして、ぷるぷる首を振った。
「ち、違います!!」
その瞬間。
「光ってる!!」
「銀の聖女の輝きが……!」
天の民がリンを見つけて騒ぎ出した。
前回の“脱がせ光”の余韻なのか、リンの輪郭にまだ淡い聖光が残っているらしい。
「見ないでください!!」
リンは耐えきれず叫ぶ。
「私は裸じゃありません!! あなたたちの清い目が勝手に錯覚してるだけです!!」
「清楚……」
「誘惑が聖なる形を取っている……!」
「ま、待て。制服が……」
リンは頬を赤くして抗議した。
「この服は……別に、そこまで……」
「いや、そこそこです」
俺がぼそっと言うと、リンが睨んだ。
「ご主人さま!!」
夕方には、天界の使節団は“聖なる外交団”というより、完全に祭りの酔っぱらいになっていた。
しかも増えたのは天使とセラフだけじゃない。
天の民なら誰でも歓迎だ。
星座精霊まで来た。
人型だが、肌が夜空みたいにきらめく連中で、笑うたびに星屑がこぼれる。
そして俺は、しれっと能力を吸った。
新【能力:星図投影】獲得!
空中に星座を打ち上げられる。花火みたいに。
パーティ芸だが、こういうのが客の財布を開かせる。
リンが、片付けの地獄を見ながら呟いた。
「ご主人さま……本当に……やりましたね」
「天界を」
「お湯で堕としました」
「言い方がひどい!!」
俺はむっとしつつも、少し誇らしかった。
「聖人でも罪人でもいい。客が楽しんでるなら、俺の仕事は果たしてる」
もちろん、建前だ。
本音は一つ。
俺の身体、返せ。
俺は人間だ。俺は人間だ。俺は人間だ……!
ともあれ。
第二の試練は、大勝利だった。
リンがタオルをきっちり畳み、危険な笑みを浮かべる。
「いいでしょう」
「では……その湯が、他に何を“聖なるもの”にできるか」
俺は一瞬だけ固まった。
「……リン?」
「冗談です」
「目が冗談じゃない!!」
夜明け。
父天使が現れた。
輪っかは少し傾き、目だけがやけに澄んでいる。
「ダンジョンコア・カズキ」
「教えに背くと分かっていても、認めねばならない」
「天界に欠けていたものがあるのかもしれない」
「隔離ではなく、多様性による平和……それが“天の理”に近い可能性がある」
その奥で。
厨房からブラックウェルが、堪えていた笑いを漏らした。
「……風呂屋一つで、ここまで揺れるとは」
「なぜ我々は思いつかなかった」
天の民は、厳粛な顔で帰っていった。
「また来る」と誓いながら。
教会は、たぶん改革される。
噂は広がった。
「天界すら、カズキ聖スパに通ってるらしいぞ!」
酒場がざわつく。
そして、港町クラス。
疲れ切った人間の兵が、戦線の泥の中で光るものを見つけた。
輪っかだ。
へこんだ金の輪を拾い上げ、槍にもたれたまま呟く。
「……天界がもう浸かったなら」
「俺たち、なんでまだここにいる?」
答えはなかった。
上官はすでに王へ手紙を飛ばしていた。
進軍か、停戦か。
首都の空気が変わり始めたのを、王も無視できない。
異種族隔離の正当性も。
戦争の正当性も。
大きく揺れ始めていた。
もちろん、歓迎しない連中もいる。
教会は裂けた。
新宗派が生まれた。
名は「至上」。
戦う理由を失いたくない、元軍人たちが中心の、人間至上主義の集団。
こいつらは、未来の厄介事になる。
そして。
俺たちは再び、魔王城へ呼び出された。
玉座はいつも通り高く、重い。
だが今夜の魔王の目には、征服よりも、もっと厄介な“渇き”があった。
「天使を客にした」
「教義を削った」
「第一の試練とは比べものにならぬ成果だ」
牙が笑みの形を取る。
「ますます貴様のスパに興味が湧いた」
「だが最後の試練が残っている」
「三人の英雄よ。命ずる」
「グレミー王に、戦争を終わらせろ」
「……やっぱり、そう来たか」
俺は苦く笑う。
魔王は、わざと誇らしげに言った。
まるで、他人事みたいに。
俺は一瞬だけ考えた。
今やこれは、種族の戦争じゃない。
“代表者”の戦争だ。
グレミー王と、魔王。
王と王の意地だ。
だから俺は言った。
「なあ魔王」
「第三の試練ってさ」
「グレミー王を説得するだけじゃなくて」
「お前も説得される側に入るべきじゃないか?」
空気が一段冷えた。
「無礼だな」
魔王が鼻で笑う。
「敵が睨み続けているのに、償いの話などできるか」
「馬鹿げている」
「はいはい。分かった」
俺は肩をすくめた。
「でもな、波はもう起きてる」
「この大波は、いずれ勝手に王どもを揺らす」
「その前に、こっちから会議を用意してやる」
魔王が目を細める。
「会議……?」
俺は言い切った。
「和平会議だ」
「うちのスパで」
「えっ!?」
リンとシャルロッテが同時に叫んだ。
「カズキ、それは無理!」
「ご主人さま、絶対無理です!」
「無理じゃない」
俺は即答する。
「今この瞬間に、俺はもう会場を押さえた」
「最上級の湯と、最上級の席でな」
「よし。第三の試練、受けて立つ」
「王同士のサミットだ」




