魔物隔離問題について
俺、リン、シャルロッテの三人は、セラフの羽根を囲んで身を寄せ合った。
見た目は大したことがない。
青い小鳥みたいな色の、一本の羽根ペン。
風なんて吹いてないのに、ふわりと揺れている。
セラフ本人の遺物だとかで、伝説だと「触れた者を天界へ導く」らしい。
要するに、世界一ぼったくりの高級万年筆にしか見えない。
リンの解析ルーンが羽根の上で淡く光る。
「真贋確認。魔力波形も本物です。魔王の贈り物は信用できます」
「そのセリフ、オーク商人から買った“絶対に滑らない床材”でも言ってたよな」
俺は不満げにぷくぷく泡立つ。
「結果、冒険者がスライム娘に滑って、文化の誤解で結婚したぞ」
「それは文化の誤解です!」
リンが真っ赤になって反論した。
「俺は罠だと思ってる」
「ちょっと!?」
シャルロッテが手を組む。聖歌隊みたいな顔。
「もう! 魔王が私たちに託したんだよ。チャンスは一回だけ!」
羽根が、うん、と言うみたいに脈打った。
俺は覚悟を決めて、ぷかりと浮く。
「よし。一回だけ。プレッシャーなし」
「天界に行って、ガチ天使に“魔族と一緒に風呂入ってください”って営業して、失敗したら第二の試練アウトで、俺は一生石のまま。超カジュアル」
「ご主人さま、盛らないでください」
リンが即ツッコミ。
「クライアントへの提案だと思って。丁寧に。誠実に。最初の一言でアップセルしない」
「クライアントがだいたい“天罰ビーム”持ってて、出禁リストがシャルロッテの恋文より長いのは想定外だろ」
「誰が恋文リスト!?」
「ごめんごめん。さっさとやろう」
三人で羽根に触れた。
上昇感もない。
背中に翼も生えない。
雲へ続く黄金の階段もない。
バチン!
誰かがスイッチをひっくり返したみたいに、世界が反転した。
瞬き一回俺たちは森の中に立っていた。
……ただし、地面が地面じゃない。
草と根と、白い雲のふかふかが、全部を支えている。
息を吸うと、ハチミツ入りのミントティーみたいな味がした。
うちのスパじゃない。
シャルロッテの手の中で、セラフの羽根が燃えていた。
青くて冷たい炎が、芯までじりじり食っていく。
……時間制限?
「え、これで終わり!? 俺の神ムービーは!? 翼は!? 聖歌隊は!? 俺を讃えろ!!」
リンが空気を嗅いだ。
「……ちょっと翼ほしかったですね。私」
「生えるわけないだろ。体は下に置きっぱなしだよ」
シャルロッテが自信満々に言う。
「え? 体、上がってないの? でも感覚は普通にあるぞ」
「それは……」
シャルロッテが眉を寄せる。
「魂と意識だけ上がった、ってこと」
「じゃあなんで俺だけダンジョンコア形態なんだよ!!」
「知らないよ! そういう混乱ワード投げないで!」
「お前が先に魂とか言い出したんだろ!!」
俺は叫んだ。
「これ、魂が石ボディに慣れてきてるってことじゃん! 最悪! 魂が“俺=石”って認識したら人間ボディ復活が詰む!」
「そのうち小石に転生したらどうすんだよ!? リスポーンが砂利!!」
その頃、はるか下界スパでは。
「カズキさ――ひゃあああっ!!」
ラッキーバニーの悲鳴が響く。
畳部屋の床に、俺たち三人の身体が、ぬいぐるみみたいに力なく転がっていた。
客が集まる。
「死んでる!?」
「新しいリラックスコース!?」
「おい、柄杓でつつけ!」
「揺らさないで!」
魂だけ天界にいるシャルロッテが、下界の自分の口で寝言みたいに叫んだ。
俺は頭を抱える気分になる。
「訴訟が飛んでくる……絶対飛んでくる……」
「……急ごう」
リンが青い顔で言った。
「下界の私たちが“衛生上の問題”として通報される前に」
シャルロッテが胸を張る。
「じゃあ、ついてきて! ここは私の縄張り!」
「はいはい、地元案内」
「地元なのに追放されてるのが怖いんだが」
歩き出すと、森が薄くなって、正面にとんでもないものが現れた。
空を突き刺すほど巨大な一本の樹。
幹が太すぎて、樹皮の中に街が作られている。
金色の樹液の滝が遠くで光り、それが光の川になって流れている。
天使たちは雲のクッションに寝転びながら漂い、羽根みたいな家や、聖人像の間をのんびり飛んでいた。
完璧すぎて、むかつく。
リンが口を開けたまま呟く。
「……綺麗」
俺はというと、やかんみたいにシュウシュウ言いながら別のことを考えていた。
「金色の樹液の滝って何!? あれ絶対“メープルシロップ神格版”じゃん!」
「瓶詰めして一杯50ゴールドで売れる!!」
「ご主人さま、恥ずかしいのでやめてください……」
リンが懇願した。
「いや重要な市場調査だろ!」
俺は止まらない。
「あの浮遊スパプール見ろよ! 雲の上のプールだぞ! あれ俺の【浮遊】の上位互換、ブランディングだけで勝ってる!」
「しかもハープのBGMが無料!」
翼のアーチ門をくぐる。
天使たちは丁寧にお辞儀して、普通に通してくれた。
雷撃もなし。
「私を見分けてる……」
シャルロッテが小声で言って、慌てて付け足す。
「べ、別に私が偉いわけじゃなくて! たぶん、職務を一回だけサボって寝たから……」
「一回?」
「二回…」
「十年…」
「追放天使ガイド確定じゃねぇか!」
天界のリゾートは、完璧主義者が設計した五つ星のテーマパークみたいだった。
雲に浮かぶ温泉プール。
金色の鉱泉サウナ。
太陽光を淹れてお茶にするカフェ。
花が全部ほんのり聖属性で光る庭。
俺の目には、盗めるアイデアしか映らない。
「雲ハンモック!? 聖ジュースバー!?」
「マッサージ中に合唱団が名前を歌ってくるサービスまである!」
俺は興奮してリンに振る。
「リン、メモ!!」
「やめてください、ここ天界です!!」
そして、聖樹の幹の中心部。
巨大な神殿が掘り込まれていた。
そこに、天使の“父”がいた。
白衣を引きずり、ハローは灯りより明るく、翼は光のカーテンみたいに畳まれている。穏やかに笑った。
「ようこそ、旅人よ。なぜ『天上自由都市』へ?」
俺は胸を張る。
「うちのスパへのご招待です!」
「魔族も天使も人間も魔物も、全種族ウェルカム! お風呂で平等!」
天使たちがざわめいた。
天使父が手を上げる。
「ダンジョンコアよ。そこが我らと違う」
「天の民は“統合”ではなく“分離”を掲げる。分離こそ平和だからだ」
「隔離!?」
俺は発光した。
「中世!!」
「古の叡智だ」
天使父は淡々と続ける。
「異なる者を分ける。衝突を避けるために」
「善を悪から。安全を危険から」
「平和のため、同種は同種の中で生きる」
「それ、家畜みたいにラベル貼ってるだけだろ!!」
俺はキレた。
「次は靴のサイズで冒険者を隔離する気か!?」
「夢がないんだよ! “世界はこれで十分”で止まってる!」
「俺が見せてやる! もっといい世界を!」
「異種族スパが当たり前の世界!!」
「共同タオルと共有シャンプーの世界!!」
「……それは、できない」
天使父は静かに首を振った。
よし。
哲学がダメなら経済だ。
俺は床にぺちんと水面(気分)を叩く。
「借金は返した! 金庫も満タン!」
「つまり――買収します!! 支払います!!」
天使たちがまたざわめく。
天使父が首を傾げた。
「下界でのあなたの行いは見ている。なぜ、常にゴールドの話なのだ?」
「ゴールドは万能溶媒だからだ!!」
俺は即答。
「天界の協力はいくらだ? 1000? 1万? うちのスパ回数券? 開業以来の限定オファーだぞ!」
「ご親切に」
天使父は丁寧に一礼した。
「贈り物を感謝して受け取ろう」
「よし! 断れまい――って、なんで首飾り?」
俺の石の手に、数珠を押し込まれる。
「返礼だ。聖なる方は、施しには施しで応えよと教える」
「違う違う!! 回数券を使え!!」
「施しは受け取るのが礼儀。だが、我らに“使う理由”はない」
俺は震えた。
「こいつ、詭弁家だ!!」
「く――」
口元に、ピカッと細い光が走った。
「は? 今の何!?」
「俺、罵倒もできないの!?」
「ご主人さま、落ち着いて!」
リンが小声で必死。
「じゃあこうだ!!」
俺は追い詰められた勢いで叫ぶ。
「一生に一度の大盤振る舞いだ!! スパ会社の“ステーク”を1%やる!!」
「ご主人さま!」
リンが頭を抱える。
「欲しがる理由がないものを買うわけがないでしょう!!」
「普通、金で解決できない問題は“もっと金”で解決できるんだよ!!」
「それが変なんです!」
天使父が穏やかに聞き返した。
「ステークとは何だ? 食事の話か?」
「……リン、説明して」
「いや無理ですって!」
「シャルロッテ。ステークを説明して」
シャルロッテが死んだ顔で言う。
「……“持分”だよ。お金を出して、少しだけ“自分のもの”にするやつ」
天使父はにこり。
「だが我らは、すべてを共同で所有する。光は“分かち合い”を教える」
「ゴールドも同じ。なぜ必要なのだ?」
俺はビシッと仰け反った。
「お前ら、良い人すぎる!! 怖い!!」
「欲望が全部洗われてる!!」
「で、で、シャルロッテは何やらかして追放されたんだよ!? この天界で追放されるって相当だろ!!」
「私を巻き込むなあぁぁ!!」
シャルロッテが悲鳴を上げた。
セラフの羽根がさらに短く燃える。
青い炎が細くなっていく。
時間がない。
俺は三人で頭を寄せる。
「OK。賄賂ダメ。哲学ダメ。ゴールドダメ」
「こいつら、純粋すぎて話が通じない」
「どうする?」
リンが唇を噛んだ。
「ご主人さま……」
「ご主人さまは、欠点を“武器”にするのが得意でした」
「この天使たちの“純粋さ”……それも欠点だとしたら?」
俺の湯気が跳ねた。
「それだ!!」
「こいつら純粋すぎるのが問題で、解決策だ!」
「ガチャゲーだって“純粋”だけじゃ売れねぇ!」
「売れるのは“背徳”だ!!」
「七つの大罪で釣る!!」
「私の功績も忘れないでください!」
リンが叫んだ。
憤怒は危険。
怠惰はここにすでにある。
なら――傲慢。
羽根がさらに燃える。
天使たちは穏やかにこちらを見ている。
俺は二人に言った。
「よし。最後にもう一回だけ理屈で行く」
「それでダメなら、奥の手を出す」
「奥の手?」
俺はニヤリと笑った。
「リン。お前だ」
そして俺は、ひそひそと作戦を耳打ちした。
「無理です!!」
リンが即座に拒否する。
「なんで私がそれを……!」
「問題提示して、解決策を提示する」
俺は真顔で言った。
「ビジネスの基本だ。下界の超大手通信会社も毎年やってるやつ!」
「何その前世の闇企業の儀式!」
「リン、よろしく」
「シャルロッテは気絶するな」
俺は天使父の方へ向き直る。
「理屈で動かなきゃ、体験で動かす」
「“不浄”と“神聖”の両方を見せてやる」
「つまり――ヌミナスな体験だ!!」
シャルロッテが顔面蒼白。
「……え、天界を堕落させてスパを救うって、本気で言ってるの?」
「本気だ!!」
俺は叫んだ。
「罪を回数券みたいに売りつけてやる!! ガハハハ!」
羽根の炎がさらに縮む。
時間切れが迫る。
俺は狂気じみた笑いを浮かべた。
これだ。
こいつらの唯一の欠陥。
アキレス・ハロー。
天界そのものを、誘惑してやる。




