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2 1年6組


 中等部1年6組。

 新しいクラスはすでにうるさかった。活発な生徒たちは旧知の仲同士で騒ぎ出しており、普段は物静かな性格の生徒でさえも頬を紅潮させて近くの生徒と話に花を咲かせている。

 この着慣れない制服から一刻も早く解放されたい私には鬱陶しく見えた。


「夏月ちゃん!」


 ばん、と私の机に両手を力強く叩きつけたのは、今回も同じクラスになった中堀冬海だった。社交的で明るい彼女はいつもクラスのムードメーカーだ。

 そのムードメーカーがいつもより笑顔で私に迫ってくる。


「聞いて聞いて! あのね、むらっちに会ったんだよ!」

「よかったね」

「……夏月ちゃん、むらっち知らないじゃん」

「うん、知らない」

「むらっちって誰、って聞いてよー!」

「……むらっちって誰」

「私の親戚のお兄ちゃんです!」

「よかったね」

「そーじゃないー!」


 冬海はころころと表情を変える。笑顔だったり、口を尖らせて拗ねたり、眉間にシワを寄せて不満を露わにしたり。

 結局のところ、私の返事が思うようなものでなかったらしく、今は地団駄を踏んでいる。

 私はそんな冬海を見ながらも、彼女の奥に見える扉から教室へ入ってきたスーツ姿のほっそりとした男性を見ていた。手に日誌を携えているあたり、彼は教師で、ここに入ってきたということは担任だろう。


「冬海、先生来た」

「えっ、誰!?」

「いや、だから、先生」

「おー、席つけー」


 軽く明るい声が響いた。伸びやかな言葉には明らかに関西訛りがある。

 その声にぐるりと教卓を振り返った冬海が高く飛び跳ねた。


「きゃーーー! やったーーーーーっ!」

「ハイハイ、席つけよ〜」


 冬海は身体すべてで嬉しい気持ちを表現しており、本人に聞くまでもなく、担任の先生について肯定的なのは明らかだった。

 対して、面倒くさそうに手であしらう教師。その顔は仕方なさそうに破顔している。


「知ってる人なの?」


 ぐるり、と今度は冬海の顔が私の方へ振り向いた。


「あれ、むらっち!」

「はあ」


 どうやら今年1年間、私は冬海の親戚に指導されるようだ。

 その後、その親戚に注意を受けた冬海が自分の席に戻っていくのを見送りながら、私はふくろうが真後ろを向く動画のことを思い出していた。

 そして教師は日誌を教卓に置くと、清掃の行き届いた深緑の黒板に向かった。長いチョークが黒板を叩く。


「はい、みなさん、こんにちは。今年1年、担任をさせていただきます、鈴村賢司と言います。よろしくお願いします」

「よっ! みんな、拍手!」


 教室のちょうど中央の席の男子生徒がそう叫んだ。よく知らない相手だが、盛り上げ役なのは間違いない。呼応した男子生徒がお祭り騒ぎに拍手をし始め、周りに同調する女子生徒が乗り遅れないように慌てて拍手をする。

 たちまちに拍手に包まれた教室で、担任の鈴村賢司は苦笑いと照れ笑いの間の顔でお礼を言っていた。その目はざっと教室を見渡して、生徒たちの顔を見ている。

 もちろん、拍手をしていない少数のひとりである、私の顔も。


「じゃあ、お互いのこと知ってる人も多いかもしれんけど、先生は初めましてなんで、自己紹介を順番にお願いします」


 ほい、端からよろしく〜。

 そう言って担任が示したのは廊下側の一番端、出席番号1番からだった。途端に教室には若干の緊張が走る。

 私は自己紹介が苦手だ。人前に出るのも苦手だし、皆の前で発言するのも苦手だ。

 がたんと席から立ち上がった人物に皆が視線を向ける。

 あの子は誰だろうとは誰も思っていない。名前はしっかり知らないにしろ、小等部で6年間過ごしてきて全く見聞きしたことのない相手などまずいない。皆が注目しているのは、名前のほかに何を言うか、だ。

 気弱そうな女子生徒はいきなりのことにも関わらず、少し担任の顔を見やってから小さな声で言った。


「あ、青木春菜です。えっと、趣味はお菓子作りです。よろしくお願いします」

「ん、ありがとう」


 担任が短く礼を言って、すばやく何かを日誌に書き込んだ。何を書き込んだんだ、生徒のプロフィールなのか、発表時の緊張度とか臨機応変な対応力とかそういうことか。

 その様子を見ていたのは私だけではなかったようで、教室を支配する緊張の色が濃くなった。

 私も口元に手を当てて黒板を見つめる。趣味という趣味はない。お菓子作りも好きだし、読書も好きだ。でも趣味というほどのものかと聞かれると答えに困ってしまう。

 こういう風に考え込むことが多いから、自己紹介は耳に入らない。自分の番が終わった後の人の自己紹介はよく聞いているのだけど。

 そういうしているうちに、私の目の前の人物が立ち上がった。彼の名前は鈴岡昇、小等部では同じクラスになったことはないが、スポーツのできる元気な少年だ。

 その少年が元気よく言った。


「鈴岡昇です! 趣味はバスケです! 友だちには、スズって呼ばれてました! よろしくお願いします!」

「おー、よろしくな、スズ〜。ええな、それ。皆の呼ばれてた愛称も教えてほしいな」


 なに、自己紹介の必要要素付け加えてくれとんねん。

 思わず目の前の鈴岡の後頭部を睨みつける。

 鈴岡が座っても立ち上がらない私に、担任が視線を向けた。ばちりと目が合って、仕方なく立ち上がる。


「涼川夏月です。趣味は……読書で、……“お嬢”ってよく呼ばれます。よろしくお願いします」


 静かに一礼をして素早く着席する。

 担任がこちらをじっと見て、お嬢、と呟いた。

 それを聞き取った最前列の女子生徒、自己紹介は聞き漏らしてしまったが、彼女が担任に声高らかに答える。


「そうだよ、すごくお嬢って感じなの! 雰囲気とかもそうだけど、確か乗馬できるって聞いたよ!」


 ね、夏月ちゃん!

 いきなり飛んできた会話のバトンに、たじろぎながら頷く。それを受けて笑顔になった女子生徒は、ね、と誇らしそうに再び担任へ顔を向ける。

 いや、なんで知ってるんだ。

 ひとしきり騒いだ後、担任が、それじゃあ次の人、と私の後ろの席の生徒に自己紹介を促した。がたりと真後ろで音がして、ようやく話題が逸れたと溜め息をつく。


「はい、ありがとう。次の人よろしく〜」

 

 それから何人かの自己紹介があって、中堀冬海の番が来た。


「中堀冬海です! 趣味は料理で、ふゆって呼ばれてました! せんせー、よろしくお願いします!」

「はぁい、よろしくお願いします〜」


 テンション高めの冬海の言葉に、担任は他の生徒に対してとは違う笑顔で返した。悪戯っぽい、何かを含ませた茶目っ気のある笑顔だった。

 どうやら親戚だというのは、冬海の妄言ではないらしい。

 最後のひとりの自己紹介が終わると同時に、私は1年間世話になる机に肘をついた。

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