プロローグ
新卒から勤務している中学校は、小学校から高校までのエスカレーター式の学校だ。そのせいか、この辺りの学校関係者は教員も生徒も皆、小等部、中等部、高等部と呼び分ける。
俺も最初はその呼び方に慣れなかったものの、3年目から自然と口に出るようになった。時間がかかっていたネクタイ結びも手早くできるようになったし、考え事をしていても教室に辿り着くようにもなった。
何事も慣れだな、と葉桜になりかけの桜並木を見て心底思う。
「お、おはようございまーす!」
「おはようさーん」
新学期の登校初日、教員たちは全員で校舎の外へ出て生徒を迎える。たまに広い敷地で迷子になる生徒もいるからという理由もあるが、ほとんどが顔見せだ。
「せんせー、ファイト!」
「クラスで虐められたら慰めてやんよー!」
「アホか。ほら、ちゃんと新校舎行けよー」
去年の受け持ちの生徒たちが冷やかしに通る。彼女たちは今年から高等部に在籍する。目と鼻の先にある新校舎に胸を踊らせているのだろう。
適当にあしらった彼女たちの背中を見送りながらも、俺はクラスで虐められるというワードが胸に引っかかっていた。
今年の受け持ちは1年生。担当のクラスには絵に書いたようなヤンキーが2名、やんちゃな生徒が数名、扱いにくい生徒が1名在籍する。他のクラスも曲者揃いのため、贅沢は言えないが、あまり気乗りはしない。
「わあ、むらっち、おっはよー!」
「むらっち言うな。中等部進学おめでとうな」
「ねえねえ、うちの担任って誰?」
「お前、ヒトの話聞けや」
今年の1年生には遠い親戚の女の子も在籍する。基本、近親者には関わらないように配置されるはずだが、遠すぎて親戚なのかも怪しいほどのため、今回は近親者扱いではなかったようだ。
嬉しそうに目を細める少女はくるりと一回転してみせた。
「どお、どお? 似合う?」
「おーおー、似合う似合う」
「むらっち棒読み〜」
「ハイハイ、中堀冬海サン。早よせんと遅刻すんで〜」
その時、ふわりと冷たい風が吹き抜けた。春になって暖かな陽気になってきたとはいえ、時折吹く風は冷たく、日陰は寒い。
風がアスファルトに落ちた桜の花びらを巻き上げて、咄嗟に目を瞑る。つむじ風のように巻き込むような突風の後、そろりと目を開けた。
「……おはようございます」
中等部の制服を着た女生徒がひとり立っていた。
足元ではつむじ風と花びらが巻いていて、長い黒髪が風に好き勝手に揉みくちゃにされているのを片手で抑えている。
ここまで来るには砂利道を通るはずなのに、何も聞こえなかった。
「お、おー」
ちらと確認するように向けられた目は真っ黒で、肌の白さに髪と目の黒が際立つ。モノクロで描かれた絵のような色合いに、一瞬躊躇いが生じてしまう。
ぱちり、ひとつ瞬きをして、少女は俺の前を通過した。
「あ。挨拶忘れた」
教員生活4年目の春、忘れられない黒に出会った。