自由 その先に
「乗って」
「乗るってこれ」
ネオ・ドームの裏に、小型飛行機が隠すように置かれていた。促されるままに乗ると、操縦席に六王子くんが乗った。
「前に片瀬さん、鳥になりたいって言っていたよね?」
「え。うん」
突拍子もないことを言い出すものだから、びっくりした。前に話したことを覚えてくれていたらしい。
「俺が今から鳥になれるところに連れて行ってあげる」
小型飛行機に乗っていてわかったのは、六王子くんはやっぱり優秀なパイロットだということだ。今更だけれど。約三十分のフライトで私たちがが降り立ったのは、ネオ・トーキョーが一望できるネオ・タワーだった。
「このタワー、ハンググライダーができるって知ってる?」
「ハンググライダー?」
ハンググライダー。滑空スポーツの一種で、凧のような羽のついた道具を使う。タワーの近くに着地場が有るのは知っていたけど、確か日本では多くがライセンスかライダー登録が必要だったはずだ。
「俺、ライセンス持ってるんだ。片瀬さんは、俺が登録しといた」
随分と準備が良い。もしかして以前からこの日を狙っていたのだろうか。
「ライブは、鴇子からのプレゼントなのに」
「これだってプレゼントなんだから仕方ない」
そう言えば、六王子くんからは何も貰っていなかった。私は物を貰うより祝って貰う方が嬉しかったから、別に良かったのだけれど。
六王子くんは、目を逸らした。耳が赤い。照れているのだろう。私より一つ年下の彼は、ときどき可愛いところがある。不覚にも、ときめいた。
「プレゼントって誕生日の?」
だから、本当は言葉が嬉しかったということは、秘密にしておこう。これはちょっとだけ、仕返しだ。
「ありがとう」
羽の下にあるバーに手をかける。今日、スカートで来なくて良かった。
六王子くんの後に続いて、勢い良く駆け出す。タワーのステップから脚が離れて、一瞬の浮遊感の後、体が風に乗るのを感じた。
左右一度ずつ旋回をすると直ぐにコツを掴んだ。飛んでいるときの方向転換なんかは、考え方が飛行機に似ている。
自由。その言葉が浮かんだ。檻から放たれたみたいな、そんな、純度百パーセントの自由。それを味わえるのは、飛行機だけだと思っていたのに。
「あれ」
どうしたのだろう。視界が霞む。滑空中の視力損失はとても危険だ。
「片瀬さん?」
「止まらない」
拭っても拭っても、枯れない水が涙だと気付いた頃には、六王子くんが助けに来てくれていた。
「泣いている? もしかして、怖かった?」
夕陽が照らす着地場には、不思議と人はいないようで、私は小さく丸まって泣いている。六王子くんは背中をさすってくれた。
「違う」
ハンググライダー自体は楽しかった。ワクワクしたし、心躍った。
「飛んでいるとき、思ったの。私、自由だって。そう言う風に感じだのは飛行機以外でははじめてで」
「自由?」
「そう。自由」
生まれ方にも、育ち方にも関係なく私は私らしくいられること。
不意に、はじめて飛行機に乗った日のことを思い出した。どんなに頑張っても私の体はこれ以上育たないと知ってからは、絶望しかなかった日々に、光が指した日。小さな体はパイロットに向いていた。
小さくたって、約に立てるのだと知った。それならば、私は一人の人間として生きて行けるのだと。例え、普通とは違った生まれ方をしたのだとしても。
「六王子くん。私はパイロットになるために生まれてきたんだよ」
「片瀬さんを見ていると、時々そんなんじゃないかと思うときがある」
私が泣き止んだためか、六王子くんの表情に安堵の色が浮かぶ。
「そう。だからね、次はもう負けられないんだ」
そう、私が生きる道は一つしかない。そうでしょう?
私たちは、夕陽が沈む前に寮へと帰って来た。
「どこいってたのよ?」
鞠香は私に何度もメールを送ったらしい。沢山のことが起こったから、気づかなかった。
お詫びの気持ちも込めて、ふざけておく。
「デート?」
半分は多分嘘じゃあないと思うのだけれど。六王子くんはプレゼントだって言っていたから、本当はプレゼントを貰いに行ったと言うのが正しいのかもしれない。
でも、本当のことを話すと、六王子くんの前で泣いてしまったことも話さなくてはならないだろうから、全てを知っている鞠香にはどうしても言い出せなかった。
私は、パイロットになるために生まれてきた。それは、比喩的な言い回しではなくて、一つの事実だ。現に、私は一般的に小学校に通うはずの齢まで、ネオ・トーキョーの地下にある研究所で育てられた人工体である。毎日の座学と採血、週に一度きり、私の父親であると言われていた男との交流があるだけの暮らしだった。
中学からは、地上の学校に通うようになり、そこで鞠香や、飛行機と出会った。私は地下で受けていた座学が素晴らしかったのか、成績はすこぶる良かった。飛行機に関しては、パイロット間違いなしと言われた程だ。
だが私は知らなかった。私が予めパイロットになるためにデザインされた人間だと言うことを知らなかったのだ。違和感を感じ始めたのは、中学二年のときだった。周りと比較したときに、明らかに私の成長は滞る一方だった。それに加えて、鞠香や周囲の学生から聞く家庭の話と、私がホームと呼んでいた研究所との生活は全く違っていた。
はじめは、冗談のつもりで聞いてみたところ、変にに焦ったような反応が返って来たのがきっかけとなった。私の体には何か秘密があるのではないだろうか? 研究所の職員に問いただしても、誰一人として応えてはくれなかった。
そこで私は父親に聞いてみることにした。実は、この男に真相を聞くのは少し怖かったが、彼ならは正直に答えてくれる気がしたのだ。
ある週の面談日に、私は男に切り出した。
「お父さま」
「何だい、エマ」
「私は、これ以上体が大きくならない気がするのです」
「そうだね。もう伸びないだろう」
「お父さま、お父さま。私は、普通ではありませんね?」
「普通の定義が一般ならは、そうだろうね」
「お父さま。私にはお母さまがいませんね」
「お母さまには君の話をしていないからね。会ってみたいかね?」
「いいえ、だって私のことを知らないのなら、お母さまが驚きますから」
「そうだろうね」
「私は、もしやパイロットになるために作られたのですか?」
「そうだ。しかし、それ以外のことは君には普通の人間らしく選ぶ権利は与えているつもりだが?」
「はい。不満はありません。少し驚いただけです」
男は、別段隠すようなこともせずに話してくれた。私は男とその妻の精子と卵子を使い試験管の中で生まれたと言うこと。男の妻には、私を正しくパイロットに育てるために情を移してもらっては困るので、私の存在を話していないと言うこと。私には、男と妻の間に母胎から生まれた姉がいると言うこと。それから、
「君の身長は、もう伸びないだろう」
「そうですか」
男が返ってしまうと、私は泣き崩れた。もし、私が姉だったなら、どのくらい伸びたのだろう。モデルやアイドルになれたのかもしれない。人の役に立てたのかも知れない。
もう私には、パイロットになる以外に人の役に立てる道は残っていない。鞠香に真実を語ったのは、高校生になる一カ月前だった。
実践授業一日目。早くも、私たちは勝負することになった。
「宜しくね」
「片瀬さん」
パイロットスーツに着替えて、壱拾八号機に乗り込もうとしたとき、六王子くんが話しかけてきた。
「何?」
「あ……負けないから」
六王子くんは何か言いかけた口を、一度閉じてそう言った。
「私も、負けない」
負けられない。私はネオ・トーキョー一のパイロットでなくてはならないから。
「俺は、負けないよ」
でもそう言った六王子くんの言葉は、現実になった。スロットル・レバーを引いたタイミングが悪かった。上昇しようとしたところを、撃たれた。本物の弾なら即死だ。
格納庫の前に小さく丸まって泣いている。以前は隣にいた麻奈美が、今は六王子くんに変わっていた。
「片瀬さん」
「……」
「俺と逃げないか」
私とハンググライダーで空を飛んだあの日、六王子くんは鞠香に真実を問いただしたのだという。
「片瀬さんの様子、明らかに変だったから」
私はあまりこの事実を他人に知られることを好まない。もちろん、勝手に詮索されるのも嫌いだ。けれど、あの日彼の前で取った態度を考えると怒る気は失せた。
「片瀬さんは、自由になりたくないのか?」
「なりたいよ。だから鳥なんかに焦がれて、飛行機に乗る」
そうだ、飛行機にさえ乗っておけば、私は自由になれるのだから。
逆に言うと、私にそれ以外の道はない。
「飛行機以外にも自由になる方法はある!」
六王子くんの声が、これまでにない程に怒っていた。見上げると、真剣な眼差しと目が合う。一体彼は、私に何を求めているのだろうか?
「俺とネオ・トーキョーを出よう?」
「無理だよ」
寮に入ったとは言え、第一高校ネオ・トーキョーは国の管轄だ。きっと研究所にも早い段階で話が行くだろう。そうなれば、私だけでなく六王子くんにも罰が下されるだろう。
「それに、六王子くんの夢はどうなるの?」
彼もまた、優秀なパイロットだ。それこそ、私のために将来を台無しなんかにできない。
「前に俺言ったよな。片瀬エマを越えるために頑張ったって」
「うん」
「俺は文字通り、片瀬エマを越えた。だから俺はそれで良かったんだ。ところが、その片瀬エマはイメージと違って小さな女の子で。俺が負かして泣かせてるのは、ただの女の子でさ」
「ただの女の子……?」
「だって、そうだろう? 見た目だけじゃない。飛行機よりスイーツが勝っちゃうし、ヒールだってはくし、俺の前で泣くし」
私は顔が熱くなった。心当たりのあることばかりだ。
「あ、あれはだって、チョコオレンジタルトが無料で試食できるからって……」
「ほら、そうやって今も俺の前にいる君は、片瀬エマでありながら、一人の女の子なんだ」
六王子くんが私の両手を握りしめた。そのまま引き寄せられて、顔が近づいて来る。
「惚れたって言っている。察せバカ」
そう言った唇は僅かに私のそれを掠めて、限りなく唇に近い頬へと落とされた。
「ば、バカは言い過ぎよ」
負けた。苦しい照れ隠ししかできなかった。これではきっと、私の気持ちはバレているのだろう。
「いいわ。その挑戦受けて立つ。逃げようじゃないの、一緒に」
どこまでも飛べる気がした。六王子くんと一緒ならば。私は正真正銘、鳥になったのだ。




