ボンヤリ
鞠香は、既に部屋に帰っていたようだ。私たちが共同生活をする寮の一室は、個人用の部屋とリビングに別れていて、最低限のプライバシーは守られる仕組みになっている。
優秀な戦闘機パイロット候補生には、一人一部屋を与える仕組みもあるけれど、私は鞠香との暮らしが結構気に入っているので、特別部屋の移動などはしなかった。どうやら麻奈美も同じ考えを持ったらしい。
自室のベッドの脇に、御影くんから貰ったバコパを置く。先ほどの遣り取りを思い出して、ちょっとだけ赤面。男の子って、ときどき急に気障になるのも嫌い。
「あ」
渡されたラッピングに包まれた麻奈美のプレゼントに気づく。
そう言えば、結構な大きさのこれは一体何なのだろう。振ってみると、コトリと音がする。必要以上にキラキラしたリボンに手をかけると、案外簡単に外れた。
ラッピングを解くと、ピンクの箱が見えてくる。箱の蓋には、これまたキラキラした字体で“トゥインクル”と書かれてある。確か、ネオ・トーキョーに住むセレブたちの間で流行っているシューズ店だ。
「ピンクのミュール」
中から出てきたのは、キラキラ、ピンク、ヒール……のつまるところ、女の子度満載のサンダルだった。これからの季節にぴったり。嬉しいかも。
「可愛い」
よくみると、メッセージのようなものがついている。麻奈美からのようだ。
良いこと? 片瀬さんは足のサイズが小さいのですから、既製品はダメですわ。本当のレディは、足に合ったヒールを選ばなくては。ですから、明日からはよろしかったらこのミュールを履いて下さいね。ああ、勿論制服に合うようにデザインさせましたのよ。急だったから、私が一年前に履いていたものと同じデザインですけれど……とにかく、その歳でスニーカーはなしだと思っていましたの。歩きにくくとも、レディはヒールですわ。強要ではありませんから、気に入らなかったらおっしゃって。作り直させますから。せっかく優秀なんですもの、見た目もスマートに、ですわ。
だって。麻奈美らしいメッセージだ。実を言うと、ヒールを履かなかったのは、ピッタリ合うサイズがなかったからだ。私は以前麻奈美にその話をしていた。
赤いラインの入った制服に、ピンクのミュールはとても合った。朝日を浴びて、装飾がキラキラと輝いた。
「似合ってるわね。そのミュール。トゥインクル?」
まず飛びついたのは鞠香だった。流石は現役トップモデル、良く知っているみたいだ。
「麻奈美からのプレゼント」
コツコツと音を立てて地面を蹴る音が鼓膜に響いて、心地良い。
サイズがピッタリだから、高めのピンヒールも足を痛めることはないようだ。
教室に入ると、麻奈美と目が合った。けれど、麻奈美は私の足下を一瞥すると、自分の席についてしまった。その顔がほんの少し誇らし気だったのは、多分気のせいではないだろう。私は自分の席についた。六王子くんは、既にもう教室に来ていたみたいだ。ノートを眺める横顔は、もう一年生には見えない風格が備わって来ていた。
「おはよう、六王子くん」
「……」
六王子くんは、視線こそ私の顔を捉えているものの、心ここにあらず、と言った感じだ。
「六王子くん?」
「あ、ああ。おはよう片瀬さん」
そう言ってすぐにノートに視線を戻した。邪魔しちゃったのかな。
今日で座学の全てが終了し、私たちはまた実践に入る。特訓を重ねた表計算システムを見せつける良い機会だろう。そして、次こそは六王子くんに勝ってみせる。
でもその前に、しばし休憩時間。私たちは鴇子のライブに向かうべく、準備をしていた。服は、鞠香にアドバイスを貰って、できるだけ明るい色でも大人っぽく見えるものにする。靴は勿論、麻奈美から貰ったミュールだ。
待ち合わせ場所は、ライブ会場になっているネオ・ドームの時計の下だ。既に麻奈美が来ていた。
「麻奈美」
「遅いですわよ、片瀬さん、倉田さん。まあ、あの二人よりはマシですけれど?」
御影くんと六王子くんは、遅れてやって来た。この前から感じていたけれど、やっぱり六王子くんは心ここにあらず、だ。
「すみません。コイツがもたついちゃって。ほら六王子、先輩方に謝れ」
「ごめんなさい」
やっぱり気のせいじゃないような。じっと見ていたせいか、六王子くんとバッチリ目が合ってしまった。思わずサッと逸らすけれど、視線は感じていてもう一度見てみると、まだこちらを見ている。どうやら無意識のようだ。
「どうしたの?」
「……いや、何でもないよ。皆が待っている。行こう片瀬さん」
六王子くんは私の先を歩いていった。ちょっとだけ、それが寂しい気がして、胸がキュッとなる。あれ、何だっけこれ?
「まあいいや」
麻奈美に呼ばれて慌てて駆け寄る。ヒールで走るのは、まだ慣れなくて大変だ。ライブ開始まで、あと数分。私たちは無事に会場入りした。
鴇子は、やっぱり凄い。それが私がまず感じたことだった。ステージ上で歌って踊る彼女は、普段の天然キャラを忘れさせるくらいのオーラを放っている。
私の隣で鞠香と御影くんが異常なまでの盛り上がりを見せていた。どうやら二人、気が合うみたい。
横に座る六王子くんの様子を伺おう見やると目が合った。あ、まただ。
六王子くんがボンヤリをはじめてからと言うものの、良く目が合うようになった。私が心配でつい見てしまうからだろう。
「ごめん、私見過ぎかな?」
「えっ。いや」
また目を逸らされた。ああ、絶対気持ち悪いと思われた。嫌われちゃったかな。
ステージ上の鴇子が手を振ってくる。懸命に振り返して、周囲の人も振り返していることに気づき恥ずかしくなると言うのを幾度か繰り返し、ライブは盛り上がりの絶頂期を迎えた。会場のファンはアンコールを叫び出す。
「もういいよな?」
六王子くんが微かに何かを呟いた気がした。
「何?」
手首を掴まれたかと思ったら、会場の外へと引っ張られて行く。
「えっ。何なの?」
「しーっ」
耳打ちしてくる声が、良く知った声だと気づく。
「六王子くん?」
「いいから着いて来て」
どこに? とか、何で? とか考えている内に、あっという間にライブ会場の外に出てしまった。