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誕生日

 寮には、ドリンクを飲んだり座って話したりできるテラスがある。

 私はこのテラスから眺める空が好きだ。今夜は、月が美しい。

 鳥になりたい。それは子供のころから変わらず、小さな私の願い。

 鳥のように滑らかに飛ぶのは簡単じゃない。私は壱拾八号機のパイロットになった日から、毎日欠かさずに自主練習をした。

 溜め息が出た。やっと最近、願いに手が近づいたと思っていたのに。今、私はまた願いから遠ざかっている。

「片瀬さん?」

 貸し切り状態だった夜のテラスに、六王子くんが入って来た。

「うわ、綺麗な月」

「誰もいない空を一人で飛べたら、きっと気持ち良いと思うの」

 気が付くと、私は無意識に話し始めていた。

「鳥になれたら、良いと」

「鳥か」

 六王子くんは静かに相打ちを打ち、空を眺めた。

「片瀬さん、飛んでるときはどんなこと考えてるんだろうって思っていたんだ」

 夜空を見つめるその瞳は、まるで本当に鳥が飛んでる様を見ているようだった。つられて私も空を仰ぐ。

「鳥か。鳥だったんだ。ずっと君の頭の中にあったのは」

 ハッとして六王子くんを見ると、彼もこちらを見ていた。

 目が合う。私たちはしばらく見つめ合っていた。

「帰ろうか。明日も壱拾八号機に乗らなくちゃ」

 一時の静寂を破ったのは六王子くんの方だった。私はただ頷いて自室へと戻った。

 一週間たち、鞠香が帰って来た。何でも、突然写真集の仕事が入ったらしく、国外に出ていたのだと言う。

 私はと言うと、表計算システムでの飛行特訓を継続していた。

 特訓をしていて一つだけわかったことがある。それは、表計算システムでの飛行も、スロットル・レバーでの飛行も、自分がどのように飛びたいかをイメージすることが成功の鍵であると言うことだ。

「片瀬さん、随分上達したと思う。本来の飛行に近づいている」

「ありがとう。ちょっと、コツみたいなのがわかって来たみたい」

 どうやら、飛行の合間に表計算システムを使うタイミングが重要らしい。

 例えば、ここは勝負するぞと言う場面で数値を入れれば、手動より滑らかな飛行ができるわけだ。逆に、頻繁に使おうとすると、入力が各段に増えるから、ミスが起こりやすくなる。

 しかも、この方法ならば、飛行にメリハリができて、今までより更に相手を惑わせることが可能だ。

「そろそろ、俺と勝負してみる?」

 鞠香からメールが来たのはそんなときだった。

「ごめん、私降りる」

「えっ。何で!」

「チョコオレンジタルト!」

 メールの内容は学校の近くに新しくできた甘味どころに行かないかと言うものだった。私は甘味の誘惑に負けたわけだ。

「それって……スイーツ?」

 唖然とする六王子くんは放っておいて、私は鞠香と待ち合わせている校門前まで急ぐ。やっとのことで辿り着くと、鞠香は既に待っていた。

「お待たせ!」

「特訓中だったんだって? 邪魔したんじゃない?」

「チョコオレンジタルトのためだもん。それに、前に鞠香と約束していたし」

 やっぱり甘いものには勝てないよね。

 その、最近できた甘味どころと言うのは、鞠香の知り合いが経営しているらしく、新作のスイーツを試食させてくれると言う。それが、チョコオレンジタルト。

 チョコレートもオレンジも、私の大好物だ。

「早く行こうよ!」

 チョコレートソースの上に、沢山のオレンジのスライス。一見甘そうな見かけとは違って、チョコレートの甘さは控え目。寧ろビターに近いのではないだろうか。

 チョコレートソースの下にはブランデーを浸したスポンジが敷かれているのか食感も柔らかい。

「苦みの中にも甘さがあって……わかった、オレンジは砂糖漬けなんだ」

「凄いね、君」

 鞠香の知り合いと言うのは、実のお兄さんのことだった。背が高くて、整った顔立ちが鞠香にそっくりだ。

 初対面の男の人は苦手だ。声のする方へ振り返ると、目がバッチリ合って、つい俯いてしまった。

「甘味は、好きだから」

「このタルト、どう思う?」

 試食してもらったら、アドバイスを伺います。それが鞠香の兄が求めてきた条件だった。

「美味しいですよ」

 帰り際、私と鞠香は小遣いをもらった。鞠香はきっとこれが目当てだったのだろう。

「で、どうだった? 私からの誕生日プレゼント」

「誕生日プレゼント?」

 一瞬気づかなかったけど、すぐに理解する。あ、そう言えば今日って私の誕生日だっけ。鞠香は少し不満そうに口を尖らせた。

「エマってどうしてそう自分に淡泊なのかな。祝い甲斐がないと言うか」

「ごめん」

 私の家ではあまり誕生日を祝う習慣がなかったからなぁ。誕生日と言われてもいまいちピンと来ないのだ。

「そう言うつもりじゃないから良いのよ。ただね、普通の人は普通にやって来たことだし?」

 鞠香はそれを良く知っていた。

「わかってるよ。ありがとう」

「どう致しまして」

 ニコリと笑うと、鞠香はどちらかにメールを送ったようだ。多分、お兄さんだろう。


 寮に帰ると、まず話しかけて来たのは御影くんだった。その手には、バコパの鉢植えがある。

「エマ先輩、これプレゼント!」

「バコパ?」

 小さく花弁の白い花が咲いている。下手に派手な花よりも可愛らしく、私は好きだけど。

「花言葉が、小さな強さなんですよ。ほら、先輩にピッタリ」

 そう言って微笑まれると、元が良いからなのか御影くんが凄くカッコいい人に見える。自然と頬に熱が集まってしまった。

「ありがとう」

 御影くんは上機嫌で去って行った。でも、どうして私の誕生日なんか知っていたんだろう。

「ありがたいことじゃないの」

 鞠香は大して気にしていない様子だ。鉢植えを抱え、部屋に戻る途中に、鴇子と麻奈美に会った。

「あ、片瀬さあん!」

 手を振りながら駆けてくる様子は、まるでプロモーションビデオだ。

「ちょっと、鴇子。廊下は歩くものですわ」

 その後ろから、麻奈美が歩いてきた。相変わらずのマイペースぶりは流石だ。

「片瀬さん、お誕生日なんですよね?」

「あ、うん」

 まただ。私、誕生日の話なんかしたっけ。

「随分と淡泊な反応ですわね」

「ごめん」

「もう。そんなこと言っちゃ駄目ですよ。全く麻奈美さんは照れ屋さんですねぇ。ほらほら、用意したんでしょう?」

 鴇子と麻奈美が一緒にいると、いつもは幼く感じる鴇子がお姉さんみたいだ。

 麻奈美は鴇子に促されて、ちょっと恥ずかしそうにプレゼントの包みを渡してきた。

「倉田さんに、今日が誕生日と伺って急ぎましたのよ」

「ありがとう、麻奈美」

 プレゼントを渡すと、麻奈美は自室へと引き返してしまった。そんな麻奈美を尻目に、鴇子が耳打ちしてくる。

「麻奈美さん、素直じゃないんです。だから、今日はこの辺で許してあげて下さい。あ、私の分はライブの席ってことで」

 軽くウィンクをすると、鴇子は麻奈美の後を追うように去って行った。やっぱり彼女は侮れないのかもしれない。

「それにしても、変なの」

「何が?」

 誕生日にこんなに沢山の人にプレゼントがもらえるなんて。でも、これが“普通”なんだよね。

「私、誕生日なんか教えたっけ」

 鞠香に疑問をぶつけようとしたそのとき、六王子くんの声がした。

「いた。片瀬さん」

 どうやら走って来たらしい。私を捜したのだろうか。

「あ」

 私がいきなり特訓を抜け出して来たから、怒っている? ああ、きっとそうだ。

「ごめんなさい」

「え?」

「特訓、サボった。六王子くんだって、予定はあるのに」

「そうだね」

 六王子くんが、手をあげる。あ、私あまりに酷い態度だったから、叩かれるのかな。私は咄嗟に目を瞑った。

「おめでとう」

 それは、予想とは逆の感覚として知覚された。

 ――痛くない? と言うか、これは、撫でられている?

「片瀬さんてさ、小さいよね」

 六王子くんはそう言うとずっと撫でている。私は“小さい”と言うワードにムッとして、その手を払おうとしたけど、直前で掴まれた。

「こうやって、壱拾八号機に乗ってなかったらすぐにでも勝てる」

「六王子くん、離して」

 強く睨みつけると、案外簡単に手を離してくれた。

「なのに、俺より年上で、優秀なパイロットだ」

 さっきから、何を言っているのだろう。鞠香がいるのに、変なことはしないでほしい。そう思って捜すけど、鞠香はいつの間にかいなくなっていたみたいだ。

「俺、時々わからなくなるんだよね。目の前にいるのは、確かに俺が追いかけていた片瀬エマのはずなのに」

「わからなくなる?」

 私は片瀬エマだ。六王子くんが、必死に追いかけて、追い越した、壱拾八号機のパイロット。それ以上でも、それ以下でもない。

「私は、片瀬エマだよ」

「知ってる」

 六王子くんは一度そこで言葉を切った。最早、私は相手になどされていないような、そんな口調だ。

「けど、今は純粋に目の前にいる片瀬さんの誕生日を祝ってあげたい。おめでとう、片瀬さん」

 おめでとう。その言葉が胸に染みた。それは、プレゼントを貰ってもピンと来なかったことと、多少関係があるのかもしれなかった。

「それだけ。じゃあ」

 六王子くんは、わざわざ女子寮の廊下まで来たのだろう。女の子ばかりの風景の中で恥ずかしそうに帰って行く六王子くんを見て、はじめてそのことに気づいた。


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