飛ぶのち、飛ばない!
鞠香が衣装に着替えて来た。彼女はこのステージを今度リリースするシングルのプロモーションビデオにするらしい。
「かわいい、鞠香!」
「ありがとう。乗るね?」
鞠香がステージに乗った事を確認する。ステージ上は、特殊な装置が使用されていて、あらゆる角度に傾いても重力が変化しないようになっている。
「六王子くん、オーケー?」
「オーケー」
「じゃあ、飛ぶよ! カウント開始、五、四、三、二……上昇!」
スロットル・レバーを引く。タイミングばっちり。私たちは大きく上昇した。
まずは水平飛行。鞠香を乗せたステージは、約四十秒間水平移動する。
そのままの体制を保ちつつ、軽く上昇、背面飛行開始。この間、二十秒。
背面飛行を開始して三十秒目に差しかかった時点で、一回転。
ここまでは、いつもとあまり変わらずに飛べている。寧ろ、少し軽くなったみたいだ。
ワクワクする。六王子くんとなら、何でもできる気がする!
六王子くんも、乗ってきたみたいだ。音声通信してくる。
「じゃあ、ロール行きますか!」
「うん!」
三、二、一で、私たちはゆっくりとロールを始めた。それに伴って、鞠香の曲も終盤に入る。このままラスト十秒までは、上昇だ。
「この曲、癖になりそう」
「俺も、この飛行思い出して癖になりそう」
六王子くんと目が合う。ほぼ同時に頷いた。機首を下に向ける。
「いっけぇ!」
私たちは、急降下した。地面に掠る、ギリギリまで。今までなら、ペアでは絶対にできなかった技。
着地成功。周囲から完成が湧き起こる。しばらくは、余韻に浸っていた。
「気持ちよかった。ありがとう」
「俺も、片瀬さんと飛べて楽しかった。ありがとう」
鞠香がステージから降りる。こちらに駆け寄って来た。
「もう最高! 気持ちよかったわ!」
「良かった」
「特に、最後のあれ。何て言うんだっけ? 急降下?」
鞠香は上機嫌でそのまま仕事に戻ってしまった。売れっ子モデルって大変。
私たち、第一総合高校ネオ・トーキョーの学生は、寮に住んでいる者がほとんど。私も、寮にお世話になる一人だ。
男子寮が二、三階、女子寮は四、五階で、格納庫の上に位置する。
私のルームメイトは鞠香だ。
「疲れたな」
ベッドに身を沈めると、すぐに夢の世界に引き込まれた。
目の前には知らない小父さんが二人いた。無視して通り過ぎようとしたけれど、道が塞がれてしまう。
「小父さんと一緒に来ようか」
「なぜですか?」
「可愛いね、君」
腕を掴まれた! 必死に振り払うけれど、無理だ。力が、足りない。
「離して!」
なぜなのだろう。どうして? どうして私はこんなに弱いのだろう。どうして私はこんなに小さいのだろう。
「誰か!」
酷く汗をかいていた。見慣れた天井だ。私はベッドに寝ていて、ああそうだ。眠っていたんだ。
「嫌な、夢」
時計を見ると、まだ一時間も経っていなかった。そのまま寝る気にもならなくて、シャワーを浴びる。
鞠香はあと二時間は帰って来ない。壱拾八号機にお疲れ様を言いたいな。暇だし、格納庫に向かうことにする。
普段はもう暗いはずのそこが、誰かいるのだろうか、明るかった。
格納庫の奥にしまわれた壱拾八号機に、人影がある。
「誰かいるの? それ、私の機体なんだけれど」
「ん? エマ先輩。ちょうど良かった」
人影の正体は、御影くんだった。
「今日の飛行見てて、もうちょっと羽を薄くした方が良いかと思って。ちょうど今できました」
「乗っていい? 申請書は出してきた」
飛行の自主練習をするには、担任に申請書を出す必要がある。私は、面倒だから予め十枚位は申請してある。
「あ、なら六王子と飛んでやって下さい。アイツも今、上にいますんで」
「六王子くんが?」
一年生だからだろうか。凄く頑張っているんだな。邪魔をしちゃ悪い気がする。
「ならいい」
「え?」
「明日にでも来る」
私が帰ろうとしたそのとき、御影くんは意外な行動に出た。
「おい、六王子!」
「え?」
壱拾八号機の音声通信を使って六王子くんと話し始めたのだ。
「エマ先輩が一緒に飛ばないかってさ」
「片瀬さんが?」
通信はすぐに返ってきた。私は焦る。
「私は、彼の邪魔はしたくないから……!」
「六王子はね」
焦る私をよそに御影くんは通信もそのままにこう言った。
「片瀬エマと飛ぶために毎日自主練習してるんです」
「え?」
御影くんが、これまでの顔つきと違ってあまりに真剣だったから、私は戸惑った。
空で六王子くんが何か言っているようだ。
「御影。余計なことは言わなくて良い」
「だって」
「それは俺のエゴだから」
私と、飛ぶために? 六王子くんは、一年生で戦闘機パイロット育成コースに来ちゃう人なのに?
「私と、飛ぶために」
「エマ先輩、知ってますか。ここのパイロットは、もはやネオ・トーキョーのスターなんだ。まして、その頂点に立つあなたは、手の届かない星だ」
パイロットが花形の職業であり、パイロット候補生たちの様子が連日テレビで報道されているのは知っていた。
「六王子はね、一年下と言うだけであなたと競えないことをとても悔やんでいた」
テレビで騒がれる自分は、今まで顔が写らなかったせいもあって、他人みたいに感じていた。
六王子くんが、追ってくる。あのときみたいに、私を上回るスピードで、ついて来る。そう思うと、ゾクゾクした。
「飛ぶ」
「片瀬さん?」
「私、飛ぶよ。六王子くんと。でもそれは、壱拾八号機が零号機に近づいてからにする」
私が御影くんに施してもらったカスタムは、ほんの基本型だ。
すでに今日、ペア飛行の授業が終わったから、しばらくは実践を離れて、座学に入る。
「御影くん。カスタムよろしくお願いできるかな?」
「俺で良いんですか?」
「腕は良いみたいだから」
鞠香はまだ戻らないだろう。私は麻奈美の部屋に向かった。
「麻奈美。遊びに来たよ」
「なんですのぉ?」
上気した頬、トロンと溶けてしまいそうな目。何より、呂律のハッキリしない話し方は、彼女が酔っていることを全力で表現している。
「ちょっと、一体どうしたの?」
「お酒呑んだら気が晴れるって言いますから、良いかなって」
晴れ渡った空のように爽やかな笑みを浮かべるのは、麻奈美のルームメイトである桐谷鴇子である。
芸能コース所属の彼女は、その天然な性格のためか本人も理解していないうちに不思議系アイドルの道へまっしぐらである。
これでもトップアイドルなのだから、世の中って不思議。
「それ以前に私たち未成年だって」
「あ、そうでした」
鴇子は、テへなんて言っている。こっちも完全にできあがっているな。
「ほら、水。二人とも、そんなに呑んで。二日酔いになるよ?」
「ありがとうございます」
「ありがとう」
卓袱台に水を置く。自分にはコーヒーを淹れた。
「気が晴れるって言っていたけれど、何か悩んでいるの?」
そう言った後の麻奈美の反応は早かった。
「あなたにわかって? 私は、たかが一年生に片瀬エマのペアを奪われましたのよ!」
成る程、そう言うことだったのか。裕福な家庭に育ち、成績優秀な麻奈美が、私以外に負けたのはこれがはじめてだった。
「私だって、六王子くんには負けたよ?」
「あれは……。まさか、片瀬さん覚えてませんの?」
「覚えてって、何を?」
麻奈美によると、零号機は私が急降下をはじめてもしばらくは動かなかったらしい。
「あれは、六王子さんではなく零号機の実力です」
私が五秒くらい降下した頃、零号機は降下をはじめた。麻奈美に言わせれば、一瞬にして零号機は壱拾八号機に追いついたらしい。
「零号機のカスタムの特徴は、他を一切寄せ付けない急降下の速さなんです」
あの急速な接近は零号機の機能の一つであったと。六王子くんの力ではなく、零号機の力であったと言うのか。
「……飛ばない」
酷く裏切られた気がした。実力に、機体の能力も含まれると言う認識は、私の中にもある。
「片瀬さん?」
壱拾八号機がカスタムされてより性能が上がれば、私はもっと自由に飛べるはずだ。
「飛ばないったら飛ばない!」
今日だって、六王子くんとなら何でもできると思った。ゾクゾクした。麻奈美と飛んでいるときとは違う楽しさを感じ始めていた。
「泣いていますの?」
「泣いてなんかない!」
私は自室へと走った。泣いていない。私は泣いていない。
あんな男のために泣くものか。せっかく、ライバルと思える人を見つけたと思ったのに。私は、泣いてなんかいない。