大人はわかってくれない
カーテンの隙間から漏れる朝の光でアイレットは目を覚ます。
さっきまでの生々しい光景が目に焼き付いていた。息を切らしながら体を起こすと、全身に汗をかいていて身体が重くなっていて、寝着はすっかりびしょぬれだった。
アイレットは散らかった部屋の押し入れのドアを開く。新しい服を取り出そうとする。 その時、トントン、とノックの音がして
「入っていいですか? ……なるほど。では入りますねー」
「なんも言ってないでしょ今入ったら殺す!」
顔を赤くしてそう叫ぶと、ドアを足で蹴って抑えつける。
急いでびしょぬれの服から新しい水色の服をつかんで着替える。着替え終わると不機嫌な声で、ドアの向こうのヨーゼフに入っていいと声をかける。
「パンケーキが好きとお聞きしまして」
ヨーゼフはアイレットの不機嫌など素知らぬ顔で、ニコニコ笑いながら、また片手に朝食を持って来ていた。
「……いらない」
「……!!…………?………!?」
彼はアイレットの一言に落雷に撃たれたように崩れ落ちる。
「う、うそよ! 意地悪されたから意地悪しただけ! ごめんなさいって」
アイレットは皿を受け取ると、黙々と食べ始める。
「……昨日はごめんなさい」
アイレットはパンケーキに目を向けたまま、ぽつりと言う。
「何が、ですか?」
「お母さんとお父さんのこと。巻き込んじゃって」
「……聞いていたのですね。あなたが謝ることではないでしょう。それに、謝るのはこっちです」
そう言ってヨーゼフはまっすぐに立ち上がる
「え?」
「あなたのご両親の事情も知らず、先日は知ったような口を聞いてしまいました。申し訳ございませんでした」
ヨーゼフは深々と頭を下げる。
「い、いいわよ別に」
アイレットは慌てて頭を上げるように言う。
「もともとは悪い人たちじゃないの。……でも、変わってしまったの」
「……お兄さんが、チャチャム様がいなくなってからですか?」
「……知ってるのね。そうよ」
アイレットは話す。兄が五年前の戦争で公国軍として戦争に行ってから両親は変わってしまった。いや、正確には戦争に行って、周りの皆が帰還しているなか、音沙汰がなかったから二人は変わってしまったのだ、と。
真面目で酒の一滴も飲まなかった石工職人の父はいつからか酒浸りになり、母もどこか遠いところを見るようになった。二人とも、兄の話題を出されることを極度に嫌った。まるで、兄が死んだ、と思う可能性を考えたくないとでも言うように、家から兄の痕跡は消されていった。
そして兄はいつの間にか、家の中では存在しない人間になっていた。
「私に呪いが現れてからも、お父さんは酒を飲み続けた。それどころか、余計に帰ってくる日が減った。逆に、お母さんは怖いくらいに優しくなった。
「兄の代わりだとしても、お母さんがわたしのことを見てくれて、嬉しかった。信じたかったけど、この前、教会の子から噂を聞いたの。母が若い男の人と一緒にいるところを見たって」
「……」
「大人なんて信用できないもんよね」
「……ええ。私もよく知っています」
アイレットは笑う。
そうだ、これを持ってきたんです、とヨーゼフは服の内側から白い粘土の塊で出来た人形を取り出す。アイレットはその異形を見て
「沼地の怪物……?」
「アイレットさまみたいです」
「……なるほどね」
アイレットはそれを受け取ると大切そうに棚の上に隅に置く。
「あの子と、私のこと話した?」
「ええ、でも、呪いのことは話していません」
「……ありがとう」