それは記録、もしくは、記憶
『愛する私の娘へ
幼い君の記憶を封じ、この生を何も知ることなく過ごしてほしいと願った私の懺悔を先にしよう。
君の人生は君が決めるべきだし、そこに制限を加えてはいけなかったのかもしれない。だが、君の父親として、あの時、君の記憶を封じたことは恥じるものでは決してない。それだけは信じて欲しいと思う。
さて、この手紙を見ているということは、君自身がその名を思い出してしまったのだろう。
その名を冠することは、その存在が『大聖女』たることの証明でもある。
我がコランダムに生まれる女性は、すべて聖女の資格を備えている。だからこそ希少だが、その中でもその名を冠する存在が度々生まれる。そして、その名を冠する存在が生まれるのは、コランダムだけだ。
その事実は、代々の当主にしか伝えられず、そうであるときだけ、その代の夫人にも伝えられる。代償は命の秘匿契約と共に。
君がその本の封印を解けたなら、それは、君が『ルクレツィア』であることの証だ。
恐らく、今の君が知りたいと思うことの多くは、渡した本から得られるだろう。
その後に君が何を想い、何を目指すのか……。
願わくは、君の心のままにこの生を全う出来るように。
ただ、それだけを私は望んでいる。
光が空を焼いた日に
ダリル=コランダム』
お父様の手紙を読み終えた私は、しばらく動けなかった。
まるで世界のすべての時が止まってしまったかのような静寂の中で、ただ、自分の息遣いと鼓動だけが響いている。
予感はあった。
コランダムに生まれる女の子は、皆、奇跡の子と言われたとされ、私も例に漏れず新たな『奇跡の子』と呼ばれた。
始めは、ただ、コランダムに女の子が生まれにくいからだと思っていた。
不思議に思ったのは、家系図には名前が載るのみで、彼女たちの記録が一切なかったこと。
今ならわかる。秘されていたのだ。
恐らく、以前お父様が語ったように、王家に見つかり『保護』されたコランダムの子が居たのだろう。そして、結果は決して良くないことになったのだと、あの時のお父様の様子を見れば想像できる。
だから、コランダムは『奇跡の子』たちを隠すことにしたのだ。
「お父様……ありがとうございます」
呟くように口にした言葉は、少し震えていた。
同じように震える指先で、手にした本の表紙をゆっくりと開く。
――あの人を探して――
最初に目に入ったのはそんな言葉だった。
――――――――――――――――――――――
シェリルは、私の妹は聖女だった。
人の世界が魔族の侵攻に怯えながらも、対策を始めた時だ。聖女の存在は喜ぶべきことだ。だが、素直にそうできないのは、家族だからだろうか。
それだけではない、彼女には前世の記憶があるという。そして、その前世は、大聖女であったルクレツィアだ。
コランダムが旧帝国領の一部を賜り、今のような大国の一つとして歩み始めたその立役者と言ってもいいが、実情はそんなにきれいなものではない。
帝国へ繁栄をもたらしたルクレツィアは、反乱軍の手に落ち、夫であった皇帝を護りながら絶命。その時に反乱軍と国を呪い、帝国には光が射すことは無かったという。
その後、ルクレツィアの施した帝国への結界を通り抜けられた4つの国は、皇城にて反乱軍を殲滅する。そうして、ようやく結界の崩壊と共に光を取り戻した帝国において、反乱軍を撃った国々が帝国領を分割して収めることになった。
それが、コランダム、そして、オパール、クォーツ、サファイアの各王国だ。
表向きは神殿と各国の王たちとの平和的な話し合いの元にそうなったというが、聖女が闇落ちしたなどと記録に残すわけにはいかない神殿が、口封じの交換条件として主のいなくなった領土を差し出したのだ。
「お兄様……やはり、信じられませんか?」
シェリルの声で私は我に返った。
不安そうに見つめるアメジストの瞳は、記憶の中にあるルクレツィアのものとは異なる。容姿も、性格も、まるで違う。
それなのに……彼女が大聖女であるという事実は変わらない。
私は、信じられないのではない。信じたくなかったのだ。
だが、理解している。
私自身も、彼女側の、前世と呼ばれる今の生でない記憶を持ち合わせているのだから。
「お前は分かっているのだろう? 私もお前と同じだと。そうしたのは、お前自身なのだからな」
「……ごめんなさい」
殊勝な様子で俯くシェリルの頭をするりと撫でた。
「いいさ。ところで、どこまでお前の思い通りになっている?」
ハッとして顔を上げたシェリルは、うっすらと涙の幕を瞳に浮かべたが、こぼすことは無かった。
ぎゅっと唇を噛み締め、爪が食い込みそうなほどに手を握りしめた。
私はその手を取り、ゆっくりと撫でて指を開かせる。
「私が、お兄様の近くに生まれたことだけ……」
「そうか。では、今のこの世界の状況も、読んでいたわけではないんだな」
魔族と呼ばれる異種族は以前から居た。
彼らも人と同じく秩序の中で暮らし、互いに深くなくとも交流があった。均衡を保っていた世界は、魔族の王が代替わりしたのを機に混沌へと向かっていく。
彼らは、突如、人の暮らす場所へと侵攻を始めたのだ。
「外の世界からの介入がありました。私にもその存在の正体は分かりません」
「外の世界? なぜ、そんなことに」
「私の……ルクレツィアの呪いのせい……です。私が、この世界の神の力を削いだから……」
「……は?」
思わず唖然とした私に、シェリルはあわてて説明を始めた。
前世、目の前で無惨にルキウスを殺されたルクレツィアは、世界を呪った。
その激情は世界を滅ぼすほどで、神は彼女の呪いから世界を護るために多くの力を使った。神と言えども、それだけの力を取り戻すのには時間がかかる。
さらに、ルクレツィアが聖女たちを隠してしまった。
聖女たちは、人々に恩恵を与えると共に、向けられた称賛や敬意を力として神に献上する存在でもあった。聖女たちが居れば、神の回復も早かっただろう。
通常ならば、神の力が弱まろうとも、多少、災害などが増えるかもしれないが世界は回る。聖女が居なくても神々を祀る神殿があり、『神』へ祈る力は届けられる。
そうして、徐々に世界は、聖女が珍しい存在となることを受け入れていく……はずだった。
「しかし、この世界に介入する存在が現れたのです。それは、魔族に力を与えました」
「それで、人の領域を侵し始めたということか?」
「おそらくは」
確かに大聖女は神にも匹敵するほどの力を持っていたとされるが、まさか、そこまでとは思わなかった。
――――――――――――――――――――――
そこまで読んだ私は、一度、本を閉じた。
本を開き、文字を追い始めた時から、二人が言葉を交わす場面が、まるでそこに居合わせたかのように、鮮明に頭の中に浮かんできた。
『資格ある者』にしか読めない本。
きっと、これはコランダムの聖女たちと関わってきた誰かの記録、もしくは記憶なのだろう。
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