その名前の意味を問う
昼食の後、お茶を淹れてもらうようにコナに頼んでから私は書斎に入った。
お茶とお菓子を並べてもらった後、私は一人になってからお父様との通信を繋げた。
「フィー、元気そうで何より。僕に聞きたいことがあるって聞いたけど」
「はい、お父様。私の特別な名前について……」
無駄な話をせず単刀直入にそう告げた時、通信を通してもお父様の纏う雰囲気が硬くなったのが分かった。
顔には柔らかな笑みを浮かべたままだったことが、余計とその異様さを浮かび上がらせるようだ。
「思い出したの?」
「いいえ」
力なく首を振る私をお父様はどこかほっとしたように見ていた。だが、それ以上の感情は読み取れない。
「夢の中で幼い頃の景色を見ました。あれは、ただの夢ではなく、現実……つまり、私の記憶だと、そう思ったのです」
「そっか……とりあえず、君の見た夢というのを教えてくれ」
いいながら聞く体勢を取ったお父様の様子に、私は思い出せる限り詳細に夢の内容を語った。
話が核心に触れる頃、お父様のお顔は渋くなっており、話を進めるごとにどんどん険しくなっていった。
その表情を見ながら、私はそれほどまでに深刻な話なのかと内心穏やかではない。
「坊主の方の名前は?」
「その前に目覚めてしまったのです」
「……そう」
そこで、私はふと気づいた。
お父様は、私が特別な名前を持っていることは知っている。だが、ランドルフ様にもそういった名があるのを聞いても、驚いたような様子はどこにも見られない。完璧な表情で隠しおおせていたとも考えられるが、それはおそらく否だ。
「お父様、これは……」
「今はまだ、それを知る時期ではない。そういうことだよ、フィー」
「もしかして、お父様はランドルフ様の隠された名をご存じなのですか?」
「まさか! 僕は坊主のお嫁さんになんてなりたくないよ。僕はずっとレイと一緒にいるって決めてるんだから」
何のためらいもなく、流れるように返された言葉に、私は思わず唖然としてしまった。
これは……
どうやら、私ははぐらかされたらしい。そうならば、いくら聞いても教えてはくれないだろう。
「では、あの……その名前を知ることは、ランドルフ様の婚約者になる……ということでしょうか」
「君の見た夢が、夢ではなく、現実に起きたことならばね。これは、覆せない」
「どうしても……ですか?」
「どうしても、というより、坊主が逃がさないだろう」
その時、お父様の視線がすっと逸れたことに、自分のことに必死だった私は気づかない。
「そんなこと」
あるわけがないと言おうとして、私はその先の言葉を口に出すことは出来なかった。
不意に浮かんだ昨日の風景が、ぐっと胸を締め付ける。
「では、フィー、少しだけ君の手助けをしてあげよう。君が思い出したその名前、何かしらの心当たりはないかい?」
ルクレツィア……その名に心当たりがあるとすれば、伝説の大聖女の名がそうであったと記憶している。
聖女を奪い合う世界に絶望し、自らその命を絶った『悲劇の聖女』
しかし、昔から語り継がれるその話を知る国々では、ルクレツィアの名は唯一であるとし、子らに名付けることは無い。当然、この国でも。
そこまで考えて、私自身が聖女であること、口にしても伝わらない名前、それらが繋がっていくような感覚があった。
「もしかして……」
私とルクレツィア本人と何か関係があるのだろうか。
彼女に起きた出来事は、アダマス建国よりも、もっと、もっと昔のことだ。当然、当時を知る者など在るはずもなく、まつわる文献もごくわずかだ。
『悲劇の聖女』の話は、口伝で語り継がれてきたものをいつの時代かに作家が書き起こしたもので、現実に脚色もされ、より感動的になったものだ。
だが、世に溢れる伝説や神話は、往々にしてそういうものだろう。
「フィー、コランダムの屋敷にある本をそちらに送るよ。それは『資格ある者』にしか読めない不思議な本だ。君なら読めるかもしれないね」
まるで私の考えを読んでいたかのようなお父様の提案に、思わず息を飲んだ。
資格ある者にしか読めない本、資格ある者にしか聞こえない名前、そして、大聖女。
そこに書かれたものは『真実』のような気がする。
「お父様は、読めたのですか?」
だが、その問いに対するお父様の答えは無言の笑顔だけだった。
これはまた教えてくれないってことだ。
「と、とにかく、ありがとうございます、お父様」
「うん。……ねぇ、フィー」
「はい、なんでしょう?」
「君は、ランドルフの婚約者になりたいかい? 王家とか、辺境伯とか、政治とか家門のこととか、ぜ~んぶ置いておいて……」
全部おいておいて……
私自身の気持ちはどうか、と、お父様は問うている。
私はどうなのだろう。
確かに、私はランドルフ様をお慕いしている。だが、自覚したばかりのそれが、恋とか愛であるか? と聞かれたら、自分でもまだよく分かっていない。
なにせ、初めてのものだから。
そして、恋人になるとか、婚約者になるとか、果ては生涯の伴侶として共に過ごしていきたいかとか、今の私には想像できないのが正直なところだ。
「やはり、考える時間が必要だと……」
「どうしてって、聞いてもいいかい?」
「はい、あの……正直、自分でも分からないのです。自分のことなのに、おかしなことだとは思うのですが、こう……いう感情は、初めてで」
「うん、大丈夫。君の気持が決まったら教えてくれればいいよ。それまでは返事は保留しておくから」
「はい、おねが…………え?」
返事を保留?
お父様は、確かにそう仰いましたわね?
返事を……保留?
婚約の『返事』を、私の気持ちが固まるまで『保留』?
そういうこと?
「ちょうど、君からの連絡が来る前に、正式に申し入れがあったんだ」
「教えてくださればよかったのに……」
「それをしたら、君は正直に自分の気持ちを見ないだろう? だからと言って、僕からの問いは変わらない。家のことも、国のことも考えなくていい。君が彼と共に生きたいのならそうすればいい。少しでも懸念があるのなら突っぱねればいい。迷っているのなら答えが出るまで待たせればいい。それすらも出来ないなら、君を手に入れる資格はない。それだけのことだ」
それだけのこと……
お父様の仰ることはシンプルだ。
ただただ、私の好きにしていいと?
「お父様……」
「だから、フィー。大いに悩みなさい。君の人生だ。君が納得して、君が選んだ道を行くべきだよ」
「はい、ありがとうございます」
何とかそれだけを返して、通信は切れた。
今の私の頭の中は、ぐちゃぐちゃになっている。
普段ならやらなければいけないことを順番に整理することが出来る。けれど、今はどれから手をつけていいのか分からなかった。
途方に暮れている。
まさにそんな状態で呆けていた私の前に、レイモンドが温かい紅茶を差し出した。
「ありがとう」
私の言葉に笑顔で応えたレイモンドは、もう一つ、私の前に一冊の本を差し出した。
それはとてもシンプルな表紙だったが、鍵のようなもので封がされている。しかし、そこには鍵を差し込むような穴はなく、仕掛けも見当たらなかった。
「そちらは、本邸からのお届け物です」
多くは教えられなかったが、すぐにそれがお父様の仰っていた『資格ある者』にしか読めない本だと気付いた。
こんなに早く……
そっと指で表紙を撫でると、それに応えるように封が解けた。
そうなることが当然のようにも、おかしなことのようにも思う。
私に何が起きているのだろうかと、考える間もなく、もう一つのものが差し出された。
「そして、これは封が解けた際にお渡しするように言われておりました当主様からのお手紙です」
私の視線は、手元の本からお父様のお手紙、そして、レイモンドへと移っていく。
そこにはいつもと変わらない笑顔を浮かべた彼がいて、夢の中を漂っているような感覚が、いくらか現実に戻ったように感じた。
「お邪魔は致しません。何かありましたら、お呼びくださいませ」
そうして、控え目な扉の音ともに私はまた、一人の世界へと取り残された。
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