能力があるからこそ疎まれる場所がある-1
商会本部に着いた私は、まさにレイモンドの言う通りになった。
扉を開けたとたんに商会員たちに囲まれて、皆の話を少しずつ聞きながら進み、漸く会長室へとたどり着いた。
しかし、そこでもクライブとイアンが書類を抱えて待っていた。それらの書類は、彼らの立場と同じく重要なものが多い。
ここではレイモンドも執事としてより商会の幹部としての仕事が多くあり、すでに自席で書類を広げている。
そんな彼を横目にしながら席に着くと、すぐにコナがお茶を淹れ、カルセドニーで買ってきたお菓子を出してくれる。
「商会長、こちらはすべてサインが必要な書類となります。特許関係の書類と説明が必要でしたらクライブから行います」
「分かったわ。ありがとう」
今、実際に商会を動かしているのは、イアンだった。
イアンに渡された書類へ目を通しながら、サインをしていく。どうしても私のサインが必要なものだけが残されており、その他はすべてイアンが処理をしてくれている。
イアンはその有能さ故に、兄から疎まれていた。
彼の兄は、兄と慕うイアンの心を利用し、功績は自分へ、不始末はイアンの責任として両親に伝えていた。結果、偏愛とも呼べる両親の扱いは、社交の場でも同じだったそうだ。
兄が煌びやかな流行りの衣装を身に着けている横で、イアンは何シーズンも前のものを着せられ、まるで彼は兄の引き立て役のためにそこに立たされているようだったと、夜会で彼らの姿を目にしたセシルお兄様に聞いたことがあった。
そんな日々を過ごす中で、イアンの心が次第に凍っていったのは当然のことだろう。
レイモンドの声掛けに応じたのは実家から逃げ出すためだったと、まるで何でもない事のように語った出会った頃のイアン。
自己犠牲の上でも必要とされることにこだわり、しがみ付いていたのだと、私にその頃の彼を教えてくれた。『出る杭は打たれるものです』と少し寂し気に笑った彼の顔は、忙しく過ごした日々の中でも忘れられずにいる。
「ねぇ、イアン。あなた、自分で商会を起こそうと思ったことは無い?」
その瞬間、執務室内の空気が変わった気がして私は顔を上げる。
そこにあったのは驚いた顔のまま固まったイアンの姿だった。
私自身に深い考えはなく、なんとなく思ったことを聞いただけだったのだが、どうやら別の意味に伝わったようだとそこで気づく。
「待ってイアン、誤解しないで欲しいのだけれど……。まずは、私はあなたを手放すつもりはこれっぽっちもないって分かってくれる? でも、こんなに優秀なのに、そういうことを考えたことがなかったのかと……。本当に他意はないの」
「そう、だったのですね」
感情が抜け落ちてしまったようなイアンの顔が、徐々に元に戻っていく。
その様子に少し緊張を解くと同時に、事情を知っていながら何気ない言葉で傷つけてしまったのだと思うと申し訳なさが出てくる。
「ごめんなさい、イアン。本当にそんなつもりじゃ……」
「いいえ、お嬢様。ありがとうございます。お目汚しをいたしました。自分ではもう吹っ切れていたと思っていたのですが、大切だと思う方からの言葉がこんなにも大きな影響を与えるのだと、改めて思ってしまいました。めんどくさいって自分でも思います」
無理に笑おうとしているのか、彼は自嘲気味に顔を歪めた。
私は改めて言葉の力というものを思い知る。人を幸福にできるそれは、同じように不幸にも出来る。
ならば、今、私がすべきことは言い訳なんかじゃないはずだ。
「イアン、あなたがいてくれるから私は学園にも安心して通える。これからも、もっと頼りにすると思うから、よろしくね」
一瞬、我を忘れたような顔をしたイアン。それは先ほどの心を亡くしたものとは違っていた。
これで、伝わっただろうか。私が彼を必要としていることが。
「もちろんです。お嬢様のお力になれる事こそが、私の喜びですから」
ふふっと柔らかく笑ったイアンの顔には、今度こそどこにも影はなく、私はほっと安堵の息を吐く。
と、同時に彼の言葉を思い返す。
大切だと思う人……それこそ、彼に他意はないだろうとは分かっているが、なんとなくうれしいような、むず痒い気がするような、落ち着かない気分になった。
だが、そんな気持ちを引きずる暇もなく、目の前には書類が差し出され、まるで何もなかったかのようにお互い仕事をこなしていく。
渡された書類に目を通していくと、カルセドニーとの提携の契約書があった。
契約の内容はすでにクライブを中心とした法務部によって精査され、問題ないことは確認されている。後はここに私のサインをするだけだ。
思わず手を止めた私の様子に気づいたクライブが、イアンの隣に立ち、いつでも説明が出来る体制を取った。
「契約書の内容はあなた達が確認してくれているし、問題はないと思うわ。ただ、この契約の取り交わしに先方のオーナーは出て来たかしら」
アダマス国内のカルセドニーでオーナーと言えばセレン卿だが、本部はプラセオに在り、そこのオーナー、つまり商会長がエメリー商会との交渉や契約の場に出てきたことは無い。
本国でもその名前は公開されておらず、秘されていることから高貴な立場、所謂、王家かそれに準ずる身分の方だろうとされている。
高貴な立場と言えども商会長の名を公開しないことについて、アダマスでは考えられないことだが、プラセオではそれが当たり前のようだ。
アダマスでは勇者の剣に選ばれた直系のみが王家とされ、王族も様々な制約の上でその身分を与えられるため、そもそもの人数が少ない。だから、伏せても分かってしまうというのが現状だし、どうやらこの国の王族は商才を持ち合わせていなかったらしく、建国以降の歴史を紐解いてみても、王族が商会長を務めたことは片手で足りる程だ。記されていたものが事実であれば、それがどれだけ希少な事か分かる。だからこそのフェルスパーの活躍だったのだろうが……。
一方、プラセオは直系を王家とするのは変わらないが、王妃や王配も側室制がとられており、基本的にあちらは大家族だ。それを聞いた時、物語に出てくるような後宮のあれこれが繰り広げられるのかと、期待半分、恐ろしさ半分でそこを見てみたいと思ったものだ。
しかし、側室として入った者は、自身の死か主君の逝去でないと出られないと知って、やはり物語の中であれこれを想像するだけでいいと考え直したのは、つい数年前のことである。
「いいえ、オーナーの調査は進めておりますが、まだどなたかも不明のままです。これまでの契約内容の交渉は、すべて先方の幹部とでした。必要でしたら改めて打診してみますが、いかがいたしますか?」
「そうね……最終的な締結時には顔合わせをしたいと伝えてみて。それも拒まれるならせめてセレン卿とテーブルに着きたいわね」
今回の提携は、まずはアダマス国内での検証を経て、カルセドニーの全店への展開がすでに決まっている。となれば、商会長として私自身が出ていくべきだし、相手方もそれ相応の対応をして欲しいと思うのは当然ではないだろうか。
とはいえ、お国事情も違うことを考えれば、アダマスでの商売のやり方が必ずしも通るものではない。
「承知しました。早急に手配いたします。場所はカルセドニーで?」
私の言葉に納得したように頷いたクライブは、彼がいつも愛用している手帳に素早く何かを書き込みながら言葉を返した。
「先方の意見もあるでしょうから、国外でない限りお任せするわ」
提案したのはこちらからだが、提携の相手がカルセドニーでなければならないわけではない。だから、すべてカルセドニーの都合に合わせて卑屈になる必要もないし、少しくらいは強気に出てもいいだろう。
「では、そのように」
基本、クライブが商会長室に長居することは無い。
ちなみに、呼ばれない限り、彼のテリトリーである法務部から出てくることもなく、交わされる言葉も必要最低限だ。
そんな彼の様子に、最初は嫌われているのかと思い悩んだこともあったが、見かねたレイモンドに話を聞いて、彼のリズムを崩してはいけないと逆に思うようになった。
「最近、彼はどう?」
「時折、悪夢を見るようですが、それだけです。きちんと食事もしますし、眠っています。まぁ……ここ最近は、仕事でおろそかになっていたようですが」
閉まった扉を眺めながら問いかけた私に、答えたのはイアンだった。
今の商会本部を開く際、近くに屋敷を買い上げており、そこは彼らを含めた従業員たちの寮となっている。
しかし、幹部の三人は最近の忙しさで屋敷に帰る暇もないのだとか。
「それは、えっと……ごめんなさい」
「冗談ですよ、お嬢様。本当に、彼はもう大丈夫です」
くすくすと笑うイアンの様子に、頷きを返しながらも、私は彼らをねぎらう方法を考えなければと思った。
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