「妹が好き」と書いてシスコンと読む
ノックの音もなく飛び込んできたセシルお兄様は、その勢いのまま私の前に立った。
「フィー! 大丈夫か?」
「お兄様、そんなに慌ててどうなさったの? もしやソフィ姉さまになにか!?」
ガタッと音を立てて立ち上がった私は、その私を見て唖然とするセシルお兄様と対面する。
「へっ?」
「えっ?」
「いや、俺はソフィリアのことでお前が泣いていないかと心配で……」
「あらやだ、王宮にはお兄様と宰相閣下がいらっしゃるから大丈夫だと仰ったのはお父様なのよ。だったら、私があれこれ心配しても仕方ないでしょう? だから、自分に出来ることをと思ったのだけれど」
その先の言葉は、がばりと音がしそうな勢いでお兄様に抱きしめられたため紡げなかった。ぎゅうぎゅうと締め付ける腕をため息に混じりに引きはがすと、やっと安心したのか、お兄様の顔がちょっとだけ緩んだ。
「あぁ、なんて私の妹は可愛くて頼もしいんだ。兄さまはフィーがいて幸せだよ。なのにオニール、許すまじ」
怒りを乗せた微笑みは、さすが親子と思うほどお父様に似ている。普段は火と水くらいに雰囲気が真逆なのに、血というものは争えないのですわね。
「それにしても、大丈夫か? は、私のセリフでしてよ? 明日の準備があるとはいえ、こんなに早くお戻りになるなんて、ソフィ姉さまのことは問題ありませんの?」
先ほどの残念なお兄様はどこへやら。ふっと笑ったお兄様は私の手を取り、執務室に置かれていたソファに座らせる。
処理したい仕事もあったのだけれど、まぁ、急ぎではないからあとでやろう。
「父上の仰ったとおり、王宮には宰相閣下がいらっしゃるから問題ないよ。そもそも、王宮は閣下のフィールドだからね。父上といえども好き勝手するわけにはいかないさ。それに、俺が焦って動いては、かえって邪魔をしてしまう。頭を冷やし、明日は最善を尽くす。そのために王宮を辞してきたんだ」
「そうでしたのね。流石、お兄様は次期当主様ですわ。それに引き換え私といったら、あまりお役に立てておりませんわね」
「何を言ってるの、フィー。君は、君という存在が奇跡なんだから、そんなこと言わないでおくれ」
実際のところ、私は奇跡の子がどんな存在なのかよく分からない。
聞かされていたのは、コランダムの直系には女児が生まれにくく、私は300年ぶりだということ。
もしかしたら、これも神の祝福なのかもしれない。だが、それについてお父様が何かを言っていた覚えがないのだ。私に関することだったから言わなかっただけかもしれないけれど。
「私が生まれた意味は、あるのでしょうか」
300年ぶりだというのだから、以前にもコランダムの直系に生まれた女性が居るはずなのに、領地にあるコランダムの歴史が書かれた書物には、過去に生まれた女性に対する記述は一切残されていないのだ。
おそらく、彼女たちが特別な存在として生き、秘匿されるような何かを持っていたのだと思わなければ、そうする意味が見いだせない。
「シルフィーヌ!」
名を呼ぶお兄様にハッとしたときには、先ほどよりも強く抱きしめられていた。
強い口調と愛称でない呼び名に、私の呟きは私自身の存在を否定するようにも取れる言葉だったとそこで気づいた。
「お兄様違うの。決して、悲観していたのではないわ。あの……奇跡だというなら、私がこの世に生を受けた意味がきっとあるのだろうと……そう、思ったの。だから」
「フィー……その言葉に偽りはないね?」
しっかりとお兄様と視線を合わせて頷く。
しばらく、じっと伺うように私を見ていたその瞳は、ふっと柔らかなものへと変わった。
「すまない、俺もちょっと過敏になっていた。ただ、これだけは覚えておいて。『奇跡の子』であろうとなかろうと、フィーは俺の大切なお姫様で、かけがえのない存在なんだ。生まれた意味なんて関係ないんだよ」
「ありがとう、お兄様。だけど、私、知ってますのよ。どんなに頑張っても、お父様の一番はお母様だし、お兄様の一番はソフィ姉さまよね? だからね、お兄様」
ぐっと握りしめた両の拳を体の前で構えると、不思議そうな色を浮かべた瞳をまっすぐに見据えた。
「出来るお姫様な私は、そこに割り込んだりしない、ちゃんと弁えている者なのですわ!」
「……」
「…………?」
な、なんなんですの!?その生温い視線は!!!
「フィー、ありがとう」
「ど、どういたしまして?」
大丈夫、私はちゃんと皆に愛されていると知っている。
皆の一番でなくても大丈夫。
でも、私を一番にしてくれる人、なんて、居るのかしら……。
「それで? 俺の姫君は何を悩んでいるんだ?」
私の頭を撫でるお兄様の手はとても優しくて、少しだけ泣きたくなったのは内緒だ。
「レディの頭を撫でるなんて……。私、そんなに子供じゃありませんのよ」
私の抗議の声も何のその。柔らかな微笑みを浮かべたまま、お兄様はその手を下ろそうとしなかった。
私は諦めてため息を一つ吐く。これは、自分を落ち着かせるためだ。
「婚約破棄の同意書にサインをしましたの。そこには、すでに両家が承認する旨と……オニールの名前が記載されておりました。後は、国王陛下の承認があれば成立するそうです。分かっておりましたが、ちょっとだけ、悲しくなってしまったのですわ」
「あいつを愛していたの?」
「愛というには、薄いものでしたが、少なからず情はありましたの。8年、決して短くはありませんわね。それは、お兄様もよくわかっていらっしゃるはず」
あぁそうだな、とお兄様の手はやさしく私の頭を撫で続ける。
婚約者がいるというだけで、行動を制限されてきたのはお互い様だったはずで。
政略だとしても互いを大切にしようという思いは、確かにあったはずで。
良い婚約者でなかったのは、私だけではなかったはずで。
それなのに、誰かの一番になれないのは、私だけだ。
これは、ただの八つ当たりで、嫉妬で、僻みだと分かっているけれど、簡単に割り切れるものではないのだ。
「フィーは、その8年が無駄だったと思うかい?」
ふるふると降った頭は、自分でもびっくりするくらい弱々しい。
「そう、思いたいだけかもしれませんが」
「俺はね。ずっと待ち続けていた。そりゃ、何もしなかったわけじゃないけど、指をくわえて見てるしかなかった時間は、まるで地獄の様だったよ。でもね、それがあるから、俺は前を向いた。手を伸ばした。明日……その手がたとえ届かなかったとしても、これまでの時間が無駄だったなんて思いたくないんだ。だから……一緒だね、フィー」
「そんな、お兄様と私では、その重みが違いますわ」
「違わないよ。過ごした時間の中身なんて関係ない。こんなに何もかもが不平等な世界で、時間だけが、誰にでも平等に与えられているんだから」
「誰にでも……」
「そう、だって時間は嫌だといっても問答無用で前にしか進まないだろう?」
「じゃ、じゃぁ、もしも、もしもですわよ。時間を戻った人がいたらどうかしら?」
「時間を戻る? フィーは面白いことを考えるね」
「物語であったのです。つらい時間を過ごした主人公が、何かのきっかけで過去に戻って人生をやり直す。そして、今度こそ幸せをつかむの。そんな機会が私にあったら、どうだろうって……ちょっとだけ、思ってみたのです」
夢中になって話しているうちに、我に返って恥ずかしくなった。さっき、子供じゃないといった口で、夢物語を語るなんてと。
段々、しりすぼみになる私の言葉に、それでもお兄様は根気よく耳を傾けてくれた。
「そうだなぁ、それでも同じだよ。過去に戻った時点で、時間は前に進んでいくだろう? そこから自分が選び取るべき道を、ある程度、予測できるというだけで」
そこまで言って、何かに気づいたようにお兄様は、でも、と考えるそぶりを見せる。
「自由に時間を遡ったり、止めたりとか出来るなら、話は違ってくるかも。だってそれは……ズルい! 俺もそんな能力があれば欲しい! そうすれば、フィーの小さな頃とか、可愛い瞬間とかいくらでも見放題じゃないか!」
氷の貴公子だったか、月の貴公子だったか、お兄様を二つ名で呼ぶ方々にこの姿を見せてあげたいわ。きっと、百年の恋も覚めるというものでしてよ。
お兄様の言動は、実は今に始まったことではない。お父様は言わずもがな。おそらく、家族の中で一番冷静な男性は弟のシリルかも知れない。
「……お兄様、私が好きなのは結構ですが、それでソフィ姉さまに愛想を尽かされるなんてことには、ならないようにお気をつけくださいませ」
ソフィ姉さまが、本当の意味でお義姉様になるのを私も待ち望んでいるのですもの。
「ん? それは大丈夫だよ。ソフィも君のことが大好きだからね」
しれっと答えるお兄様に、普段のソフィ姉さまを思い浮かべて、私はぐっと言葉を詰まらせるのだった。
「ふふっ、いつもの顔に戻ったね、フィー。俺たちは種を撒いた。それを刈り取るのは王宮に居る宰相閣下だ。だからさ、演劇を観るつもりでいればいいよ。きっと……とても面白い見世物だからさ」
「はい、お兄様。必ず……ソフィ姉さまを」
「あぁ、家族にもこんなに後押しされたんだから、頑張るよ。だからフィーは、俺がソフィリアに振られないことを祈っておいて」
それまで、自信満々に見えたお兄様の、ほんの少しの不安が垣間見えて何故かほっとしてしまった。
でも、私はクォーツ家の温室に在るスターチスの花を知っている。
「大丈夫、きっと、お兄様のお気持ちは届いていますわ」
「ありがとう、フィー」
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