マンダリンを待ちながら
大官はいつも午前十時に、この道を通った。西洋風の馬車を二頭の蒙古馬にひかせていて、大官本人はいつも右側の扉のほうに寄って座っている。以前、馬車の前で人力車が車輪を外して倒れかけ、馬車が止まったことがあった。西洋風の山高帽をかぶった馭者が毒つき、手綱を引くと、大官の姿を覗ける窓が、趙の目と鼻の先へと、まるで献上されたみたいに止まったのだ。大官は八十を超えた老人で、顔が痩せこけ、伸ばしている白い髭すらも細い蜘蛛糸のようだった。この老総督は黒く色のついた眼鏡をかけていたが、これは目をひどく悪くしていているせいであり、アヘン用の豆ランプの光ですら、老人の視力に悪影響を及ぼした。百人が見れば百人が言うだろう——このじいさんは一年ともたないさ! だが、大官がまとう、宝石糸で龍の縫い取りをした礼服はこの老人がテロによって死ななければいけないことを趙に熱く再認識させるのだ。大官がいる限り、革命はならぬ。大官が天寿を全うする限り、革命はならぬ。「あんなじいさん、勝手に死ぬさ」と、先輩の学生が笑ったが、そんなふうに笑いながら正論を告げられると、趙はテロリストとしての矜持を馬鹿にされたような気がして、つい声を大にして、「天命を待ってはだめだ。人民の名において、大官は死ぬべきなのだ。そして、それはただテロによってのみ、起こせるんだ!」と大声で言った。居酒屋に政府の密告屋がいれば、全員切り刻みの刑は間違いない発言だったので、先輩の学生は趙と話すのを嫌がり、居酒屋の店主は趙を出入り禁止にした。しかし、趙は人が自分から離れれば離れるほど嬉しくて踊りたくなりそうだった。なぜなら、この手のテロはだいたい仲間による警察への密告で失敗する。つまり、孤独になればなるほど、彼のテロは成功に近づくのだ。本当のテロリストは仲間をつくらず、孤独を恐れず、爆弾を投げるのだ。
爆弾! 今日日の暗殺者はいったいどれだけ恵まれているのだろう! もし荊軻の懐にダイナマイトがあれば暗殺は成功、秦王は始皇帝となることなく、飛び散った肉片となって歴史から退場しただろう。爆弾はピストルよりもずっといい。ピストルはきちんと狙わないと当たらないが、爆弾は狙う必要はない。おおよその方向があっていれば、それでいい。「だが、もし、馬車に他の人間が乗っていたら?」結社の同志たちは下らない心配をした。「たとえば、大官の家族とか」この言葉に趙はカッとなった。「なぜ、大官の家族を一緒に吹き飛ばすことを否定的にとらえるのですか? 断じて僕には理解できませんね。僕は大官の家族が乗っていても関係なく吹き飛ばすべきだと思います。たとえ、大官の孫、いや、ひ孫の乳飲み子が馬車にいたとしても、僕は吹き飛ばしますよ。きれいさっぱり粉々に。あなたたちは大官の家族の身の安全を心配しているようですが、大官の家族たちは苦力の心配をしてやったことがありますか? 華美を誇って、贅沢三昧の暮らしをし、腹を空かせてめまいをさせた苦力が彼らの通る道に倒れたとき、食べ物を買ってやる代わりに、召使に棒で打たせてどかす連中ですよ? たとえ、ひとつの肉まんを恵んでやったとしても、饅頭ひとつで自分が天下にふたりといない仁政家だと思う、自己瞞着の権化たちですよ? 全中華の苦しむ人民に代わって、大官を吹き飛ばす。これが僕にとって、革命の全てです」「革命はそんな一時の情熱みたいなものではないよ」「あなたたちにとってはそうでしょう。あなたたちは建設的なひとですから。これは嫌味とかで言っているわけではありません。思想よりも前に役割があるのです」「いや、思想は役割よりも前に来るべきだ。そうでなければ、きみは清王朝のためにも爆弾を投げることができることになる。そうならないのは思想が先にあるからだろう?」趙はその質問にうなずいた。「ええ。そうでしょう。思想の注ぎ込まれ方が違えば、わたしは革命の領袖を吹き飛ばすために爆弾を使ったでしょうね。歴史を思い返してください。いくつものの王朝ができるとき、そこには君主のために喜んで命を投げ打ったひとたちがいます。そして、今度の場合は、僕は君主ではなく、人民のために命を投げ打つのです。人民の代理として大官を吹き飛ばすのです」趙はつけ加えた。「やつのひ孫と一緒にね」「そうは言うが、人民がきみを代理に暴力を執行させると思う根拠はなんだい?」「僕がそう思っているからです」「それじゃあ、ひとりよがりじゃないか?」「いけませんか? 先輩たちは清王朝が平等な選挙を実施して、過半数の投票を得てから革命をするんですか? 革命は携わる人びとひとりひとりの信念によって発起するんです。覚えていますか? 去年の暮れ、大官は爪を一寸切りました。そうしないと自分で書類をめくれないからです。すると、このことをきいた、常識的で人道的だと知られていた知識人たちが、大官をほめたたえました。自分の華美よりも民のための仕事をとった稀有にして素晴らしい判断だと。馬鹿げてますよね? 本当に民に尽くしたいなら、彼の贅沢な邸宅を売って、苦力たちのための住居をつくるか、蔵に入りきらないほどの米を用意すべきなのです。爪を切っただけでほめたたえられる老害がいる一方で、一日じゅう、くたくたになるまで豆袋を運ばされて、洗濯板みたいな胸をした家族たちをろくに食べさせられない労働者たちがいる、この現状が異常なものだと認めたそのとき、革命家は人民から革命を委託されるのです。自由とよりよき未来のために働くのです」すると、齢の近い李がたずねた。「わかったよ。きみの言う通り、僕らは大官の家族もまたテロの標的にするべきなんだろう。ただ、馬車のそばにいるのが、ひとりの貧しい苦力だったら、どうするんだい? 彼が死ねば、家族は飢え死にする」「もちろん、爆弾を投げますよ」だが、その帰り道、興奮が覚めてくると、苦力が巻き添えになると分かっていて、爆弾を投げることができるか、決意が怪しくなった、――というよりも、洗濯娘との会話が思い出され、彼の自信を大いに揺らがせた。洗濯娘はまだ十四かそこらで歴史というものをまったく知らなかった。趙は炒めたタケノコのにおいがする裏庭で洗濯物の塊に難渋する娘相手に、中国において、何度も何度も王朝が滅んでは生まれ、また滅んできたが、今度の王朝はただの王朝とは違う、なんといっても、今度立つのは皇帝ではなく、人民なんだ、と熱弁をふるった。「ジンミンってなあに?」「全ての人だよ」「秀才さんもそうなの?」「うん」「あたしもジンミン?」「ああ、人民だ」「じゃあ、あたしや秀才さんが天子さまみたいなことをするの?」「その通りだよ」「わっかんないなあ」そう言って、洗濯娘は洗濯物を石に叩きつけ始めたので、趙はすっかりびしょぬれになった。「だってさあ、あたしたちに仕事を割り振ってる因業ばばあもジンミンってことになるんでしょ? そうしたら、結局、ジンミンあたしはジンミン因業ばばあの下で洗濯物を叩きつけるわけで、それ、前と変わらないじゃないの」「そうしたことは全部よくなるよ。革命と人民は自分の手で働くものの味方なんだ」「でも、ばばあはなくならないよ。そういうもんでしょ。たぶん、お針子にもばばあがいて、マッチ工場にもばばあがいて、まあ、もちろんクソジジイもいるだろうけど、そういうやつらがいつでも何もかも握っちまうんだ。秀才さんだって、秀才さんの働き場にばばあかジジイがいて、革命も握られちゃうよ? これって、本当にいいことなんかなあ?」趙は衝撃を受けたが、それはばばあと趙を入れ替えて理解しようとしてしまったからだった。つまり、どこにも趙がいて、趙みたいなやつが全てを握ってしまう。絶対にないと言えないではないか? このことを思い出し、趙は爆弾で巻き込むかもしれない苦力にとって、自分は洗濯屋の因業ばばあやマッチ工場のクソジジイ、そして、皇帝や大官と同じなのだと再認識させられた(趙の精神生活は再認識の嵐だった)。「苦力を巻き込んではならぬ」と心のなかでつぶやいた。「護衛の警官や通りの人を鞭でたわむれに打つ馭者は一緒に吹き飛ばしても文句はないが、苦力はだめだ。ひとりでもその死を認めれば、最後は革命成功のために一万人の苦力を死なせてもよいという考え方に行きついてしまう。それでは本末転倒であり、革命は永遠の流産を経験するだろう」彼は自分のテロリズムに人道主義っぽい一面をはめ込もうとした。そんなものが成功した例はないのだが、学生テロリストにありがちな楽観主義と悲観主義の同居は多少の矛盾にはびくともしない。人を寄せずに生きる孤独者が人道主義者になりえるかを考えるのは明日以降を生きようと思っている人間に任せればいい、自分は今日、大官の馬車ごと吹き飛ぼうと考えていた。爆弾には針金とクルミ材の棒でつくった取っ手があって、それを思い切り引き抜けば信管が燃え始め、そこで大官の座っている座席の窓に投げる。だが、もし信管が不具合を起こしたり、投弾の機会を逃しそうになったら、一番確かなことは爆弾を抱えて馬車の下に飛び込み、信管を作動させることだ。それで大官を確実に吹き飛ばせる。〈切腹〉のようなものだ。あれは個人の名誉を守るための後ろ向きな自殺だが、これは未来のための進歩的自殺だ。
趙が爆弾を革製の折りカバンに入れて、大官を待つのは鳥獣屋が十軒以上、ずらりと並ぶ短い通りだった。青、赤、黄色の鳥たち。モルッカ産のオウム。ヤマネコに狆。動物たちが竹でできた檻のなかであくびをしたり、羽ばたいている。(この畜生たちは)と、趙は考える。(爆弾がどかん!とやれば、大騒ぎするんだろうな。ピーチクピーチク、ギャアギャア、ワンワン。でも、おれはその声をきくことはない。死ぬってのはそういうことなんだ。畜生の声がきこえなくなる。もちろん、おれの死体を蹴飛ばすやつらがいるだろう。だが、それだって畜生たちの鳴き声と同じだ。きこえないし、感じもしない。霊魂や死後の世界はない。死んだら消えるのだ。つまり、夜、床につく。それで気がつけば、朝だ。眠った瞬間のことを覚えている人間なんていない。朝、どれだけ思い出そうと頭をひねっても、いつ寝たのか分からない。死ぬってのはそういうことだ)。
爆弾というのはきっと買うと高いのだろう。趙がそれをどういうふうに手に入れたかというと、それはまったくの偶然だった。彼は夕方になると、大きな銅貨を一枚ポケットにいれて、どんぶりを持って、スープ屋に向かった。貧乏学生だったので、アヒルや魚を晩に食べることができなかった。スープ屋で揚げた豆の浮いたスープを買うと、豆の衣がふやける前にさっさと食べた。しかし、その日の夕食はそれだけで一度に食べると、必ず夜にお腹がすく。だから、趙はスープは二度分けて飲むことにしていた。ただ、それがさもしい行為だってことは知っていたので、趙は二度目のスープを飲むときは誰もいない、路地の袋小路で飲むことにしていた。崩れたレンガの散らばった、めくら壁に囲まれた場所は誰の用もない場所で木賃宿が壁の向こうで貧困を詰めて盛り上がっている他に目立つものがない。そこですっかりぬるくなったスープを飲み干したとき、木賃宿の三階の窓が開いて、革のカバンが投げ捨てられた。三階のあたりから、捕吏らしい声がきこえ、木造の椅子を階段に投げ捨てたような、騒がしく硬い音がやかましく鳴り響いていた。別に盗んでやろうというつもりはなかったのだが、趙はそのカバンを持ち帰った。自分でも何でそうしたのか分からないが、今となっては彼をテロへと導く、何かが働いていたとしか思えない。そう、カバンのなかは爆弾だった。おそらく革命家が手入れを受けて、苦し紛れに外に捨てたのだ。クルミ材の取っ手がダイナマイトを詰め込んだ缶にくっついていて、それを手にすると、まるで太陽を手に入れたような気になった。まだ、臆病な革命家もどきの学生だった趙は、この爆弾をどうしたものか、ほとほと困り果てた。警察に届けたら、趙が疑われるが、こうして家に置いておいて、いつ爆発するかも分からない。それに家に置いてあるのを警察に見つかったら、弁解のしようがなく打ち首だ。結局、趙は彼が先生と呼ぶ学者のもとに相談に行くことにした。先生の門扉を叩くと、先生は来客中だと女中に言われ、趙は小さな部屋に通されて待つことにした。その部屋は通路みたいに狭い庭に窓を開けていたのだが、同じようにこの庭に窓を開けている部屋があるらしく、そこの声が庭伝いによくきこえてきた。先生が誰かと熱心に話しているようだった。「でも、それは革命とは言えないよ」先生が言った。すると、相手がこたえたが、どうやら日本人のようだった。「そうかもしれません。ただ、天皇と国民の関係は封建制的な隷属ではなく、市民に対する国家なのです。今日日、国を変えるなら、まずは国を近代的な国家にする必要があるのです」「それでは人民は?」「近代的な国家を築くということは市民と国家の利益が同一のものにすることが肝心です。これまでの制度では人民のほとんどは自分の生まれた村から出ることはありません。彼らは国家を想像することができないのです。これでは国が出せる力は村単位の細かい力の集合に過ぎません。すでに国家を築いて、だいぶたつ西欧にかないません。だから、まずは隷属民を市民に、封建制度を国家に発展させることが必要なのです。これが第一の革命なのです」「人民への弾圧は?」「最小限にとどめます。なにせ、数百年の封建制度があったのですから、一朝一夕にこれを排除はできませんよ。産みの苦しみなくして革命はなりません」「しかし、君主がいる」「先生。中国の歴史を振り返ってください。いくつもの王朝にいくつもの皇帝がいますが、そのうち自分の力で政治を行ったものは片手で数えるほどでしょう? ほとんどは宦官に操られるか、姻戚に牛耳られるかのどちらかです。それか戦国時代ですよ。日本の天皇には宦官はいませんし、姻戚も力を持ちません。国家の指導的立場にいる軍人と政治家が市民の利益と国家の利益の均衡をとりながら、国家を繁栄させ、十分な力を蓄えさせているのです」「人間の役割はどうなるのだい?」「維新をなした人間は二種に分かれます。指導者と人斬りです」「人斬りだって?」「つまり、効率と合理的判断が重なったときに使われるテロリストです。改革をなそうとする勢力が反動的な勢力によって潰されそうなとき、危急の対応が迫られるとき、人斬りが使われるのです」「なんだか、物騒な話だね。それに卑劣な気もするんだが」「もちろん卑劣です。人斬りは武術家ではありませんから、お互い礼をしてから剣を抜くなんてことはしません。殺すために斬るのだから、不意打ちだろうが何だろうがやります。彼らには思想はありません。思想はもっと賢明な人びとのためにとっておき、自身は役割を第一と心得るのです」「狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る」「その通りです。日本には最も優れた人斬りが四人いました。そのうちふたりは維新前に殺され、残りのふたりは維新後に殺されました。テロリストは革命の仇花。テロをしている瞬間にこそ、最高の役割があり、革命への貢献があるのです。そして、革命が成った後、彼らの役目は終わるのです」趙はこの話を盗み聞きしたのだが、きき終わるころにはもうすっかりテロリストになっていた。偶然にも爆弾を手に入れ、そして、それを先生に相談しに行ったところで人斬りの話をきいた。ただ、テロのためにのみ存在し、それ以外ではいられない男たち。彼ら無くして革命は成らないのだ。彼は女中にことわって、帰宅すると、このひとつしかない爆弾を誰に使うか考えた。一番は皇帝だが、北京まで行くお金がない。となると、この都市で最も偉い人物を狙うしかない。そうなると、やはり大官が一番である。
午前九時半の鳥獣屋通りではおかっぱ頭にカンカン帽をかぶった趙が大官の馬車を待っている。二頭の、足が太い蒙古馬に曳かれながらやってくるのを待っているのだ。趙の着ているのは黒い学生服で、これは科挙制度の代わりにあらわれた大学試験制度に受かったものの社会的地位を表すものだった。辮髪をやめて科挙の代わりに西洋風の得体の知れない試験を受ける趙のことを嘲る連中は多かったが、趙はなんとか塩と木綿を扱う商人の父を説得して大学に通うことにした。父親はごく普通の商人だったから、息子が科挙の代わりの試験を受けて、高位の役人になったとき、どのくらいの賄賂がもらえるのか夢想した。父親は息子を近代的な大官にすることを夢見ていたのだが、息子はその大官を吹き飛ばすために命も大学生の地位も捨てるつもりだった。だが、父親はごく普通の商人だったから、実際、これからの中国で最も賄賂をもらえるのは大官ではなく、軍人や技師、西欧的な法律家になることに気づけなかった。つまり、父はどのみち失望を経験することになる。それなら、あまり期待を抱かせ過ぎず、早いうちに失望させてやるのが親孝行だ。趙はテロをそのように解釈した。親に孝行するのは最大の倫理だが、テロリストはその倫理すら捨てなければならない。なぜなら、テロリストにとって、親とは密告屋の第一候補だからだ。
親に会っては親を殺し、仏に会っては仏を殺せ。テロリストの兇状は万人には理解されないだろうが、大切なのは理解や同情ではなく、テロ後の結果だ。その後、趙に続く学生たちがテロを志向し、歓喜の孤独で武装するもよい。他の大官たちが恐れ、萎縮し、それが革命活動に利するもよし。大官の殺害に怒った清朝が革命家を弾圧するのであれば、革命はより苛烈な形で支配階級に牙を剥くのだから、これすらもよいのだ。ここまでよいことが続けば、テロをしないのは世界に対する不実である。とくにテロを決意できるほどの人間はみな、テロリストになるべきなのだ。
午前九時五十八分。大通りのほうから馬蹄と車輪の音がした。二頭の蒙古馬が見えた。趙はカバンのなかに手を突っ込んで、爆弾の取っ手を握った。ところが、そのとき、鳥屋の親爺の不手際から竹の籠が開いて、なかにいた小さな白いソロモンオウムが飛び立った。そして、オウムは開きかけた革カバンのなかに入ってしまった。そのため、鳥屋は趙がオウムをつかんでカバンに入れたと勘違いした。「鳥泥棒!」親爺は叫んだ。趙はもう馬車に意識を集中していたから、親爺のいう声はきこえなかった。たとえきこえたとしても、自分が鳥を盗んだという意識は全くなかったから自分のことだとは思わず、ちょっと振り向くことさえしなかっただろう。鳥屋は逃げもせず振り返りもせず謝りもしない趙にひるんだ。だが、すぐにひるみが怒りに変わり、鳥屋は後ろから趙のカバンをつかんだ。趙は跳ね上がるほど驚いた。そして、顔を真っ赤にした鳥屋がカバンをしっかりつかんで引っ張ろうとしているのに動揺し、趙もカバンを引っぱり返した。そして叫んだ。「カバン泥棒!」「鳥泥棒!」「カバン泥棒!」「鳥泥棒!」趙と鳥屋の親爺は道の真ん中でカバンを引っぱり合い、馭者が手綱を引っぱって、大官の馬車が止まった。大官の馬車を止めるものは鞭で叩いてもいいことになっていたので、馭者はいくつも結び目をつくった革の鞭(これは馬の尻を打つのではなく不届きものを叩くのを専門につくられていた)を取り出して、前のめりになるように鞭をふるった。鞭は逃げたソロモンオウムとすれ違う形でカバンに当たった。カバンは強い力で真下に落ちた。すると、信管のなかの、硫酸を入れたガラス管が割れて、角砂糖の袋にかかり、砂糖は黒く変色しながら高温を発し、ダイナマイトが爆発した。
趙の体は飛び散って、数百の鳥籠に引っかかり、鳥たちについばまれたため、警察は犯人の身元を突き止めることができなかった。
死んだ鳥屋と死んだ馭者は大官から表彰され、遺族にはそれぞれ銀一万両の年金が与えられることになったが、結局、それは数度の支払い延期ののち、辛亥革命の勃発でうやむやなってしまった。
大官は1917年に桃を喉につまらせて、百一歳で亡くなった。
大官の遺族たちはその遺産で国際的な砂糖買い占めを行って、大儲けしたが、第一次世界大戦の終了とともに砂糖相場が暴落し、一文無しになったという話だ。