残念ですが、その婚約破棄宣言は失敗です
「あの、これは一体どういうことでしょうか? ブライアン様」
目の覚めるような青いドレス姿の女性の声が会場内に響き渡る。
長く伸びた黒髪が美しい伯爵令嬢――キャサリン・フリーデルは、パーティー会場に現れた伯爵令息ブライアン・マキシムの前に立ちはだかったのだ。
彼の隣には栗毛色のつぶらな瞳の女性が腕を組んで寄り添っている。
「見ての通りだ。 今夜のパーティーで俺がパートナーに選んだのはネリーだ。それ位のこと、口にしなければ分からないのか?」
この2人のやりとりを周囲のパーティー参加者たちはヒソヒソ話をしながら注目している。
「あの女性……確か子爵家令嬢のネリー・フロン様よ」
「2人の衣装、お揃いに見えるな」
「キャサリン様とブライアン様って確か……」
周囲の注目を浴びながら、キャサリンは気丈にも尋ねた。
「ブライアン様。今夜のパーティーの意味を分かっていらっしゃいますか? ここに2人で一緒に現れるということは……」
「勿論だ。このパーティーではパートナーを連れての参加が必須。しかも相手は結婚していれば夫婦で、婚約中であれば婚約者を伴うのが条件だ」
「そうです。このパーティーの主旨は、公の場でパートナーをお披露目するのが目的ですよ? なのに、何故ブライアン様はそちらの女性を連れているのですか? 私はいつまで経ってもブライアン様がお迎えに来て下さらないので、1人でここまで来たのですよ?」
「お前、今日まで俺が迎えに来ると思っていたのか? 相変わらず愚かな女だ」
キャサリンとブライアンのやり取りを見るため、次第に野次馬が増えてくる。
その様子を見るとブライアンはニヤリと笑い、キャサリンをビシッと指さした。
「キャサリン・フリーデルッ! 俺は今、ここでお前に婚約破棄を告げる! 代わりに、ネリー・フロンと婚約することに決めた!」
その言葉に野次馬たちが一斉にざわめく。
「聞いた? 聞きました? 今の!」
「婚約破棄だって! こんな大勢の場で!」
「これはすごいことになったぞ」
キャサリンはチラリと周囲を一瞥し、ブライアンをじっと見つめる。
「おっしゃっている意味が良く分かりませんが……私とブライアン様の婚約は両家で取り決めたものであり、簡単には覆せませんが?」
「そんな事は関係無い。結婚というものは、お互いの意思が一番重要なのだ。第一、お前のような悪女と結婚なんてありえないからな!」
「悪女……? この私のどこが悪女なのですか?」
悪女という言葉に野次馬たちは再び騒ぐ。
「聞きました? 悪女ですって!」
「よくもまぁ、本人を前に言えるなぁ……」
「一体どんな悪事を働いたっていうんだろう?」
ブライアンは野次馬達のざわめきに、満足そうに頷くとネリーの肩を抱き寄せた。
「お前は俺に好意を寄せているネリーに散々嫌がらせを働いてきただろう!」
「嫌がらせ……? この私が、彼女にですか?」
キャサリンがネリーに視線を移した途端。
「キャッ! 怖い! キャサリン様が今私を睨んだわ!」
わざとらしく、顔をそむけてブライアンの影に隠れる。
「ほら見ろ! お前は睨むだけで、既にネリーにとって脅威の存在なんだよ! おお、よしよし……大丈夫だ、俺がついているから」
「ぐすっ……ブライアン様……」
縋り付くネリーの髪をブライアンは優しく撫でる。
「睨んだ……のか? あれは」
「さぁ? ただ見つめただけにも見えるけれど?」
「捉えように寄っては睨んでいるようにも見えないか?」
野次馬たちがヒソヒソ話している。そんな野次馬を鎮めるため、キャサリンは小さく咳払いした。
「コホン。では私が彼女にどの様な嫌がらせをしたのか教えて頂けませんか?」
「あぁいいだろう! ここにネリーからの陳述書があるからな!」
ブライアンは上着のポケットから、1枚の紙片を取り出すとその場で広げた。
「よし、今から読み上げるからな……よーく聞いているんだぞ!」
そしてブライアンはネリーからの陳述書を大きな声で読み上げ始めた。
「1つ! キャサリンはネリーに対し、すれ違いざまにわざとぶつかったが謝罪しなかった! 2つ! 学園内で迷子になったときに案内を頼んだが分からないと言われて相手にされなかった! 3つ! 挨拶をしたのに返事をしなかった! 4つ……」
得意げにブライアンはネリーからの陳述書を読み上げていくが、どれも大した内容ではなかった。
しまいに、野次馬たちもヒソヒソ話を始める。
「う~ん……聞けば聞くほど、大した内容ではないな」
「私もそう思うわ」
「こんな理由が嫌がらせに入るのか?」
キャサリンは呆れた様子で立っているし、当然ブライアン達の耳にも野次馬の話が聞こえてくる。
「ブライアン様ぁ……」
分が悪いと思い始めたのか、ネリーがブライアンの袖を引く。
「うぅうううう……9つ! キャサリンはネリーに毒殺未遂を働いた!」
ブライアンが大きな声で叫んだ。
「「ええっ!?」」
この言葉に、キャサリンとネリーまでもが驚く。
「なにっ!!」
「毒殺未遂だと!!」
「それは確かに大事件ね!」
野次馬たちは一斉に騒ぎ始めた。これには流石のキャサリンも黙っていられない。
「ブライアン様! どういうことですか! その毒殺未遂というのは!!」
「そうですよ! 私、そこまで書いていません!」
ネリーがブライアンの袖をグイグイ引っ張る。
「何言ってるんだ? それぐらい大げさに言わなければ、周りだって納得しないだろう?」
ブライアンは小声で言ってるつもりだったが、興奮している状態なので自分の声が大きいことに気づきもしていない。
「ああっ! やっぱり嘘だったんだ!」
「とんでもない男ね」
「良く咄嗟に思いついたものだ」
「う、うるさい! 確かに今のは言い過ぎだったかもしれないが、8つ目までは、本当に書いてあったんだからな!」
よもやブライアンは野次馬に文句を言い始め、小競り合いにまで発展していく。
「それでも嘘は嘘だろう?」
「そうだ、嘘つきめ!」
「皆さん!! 落ち着いて下さい!」
するとキャサリンが声を張り上げ、周囲は再び静かになる。
それを見ると、彼女は満足気に頷いて語り始めた。
「ブライアン様、先程から静かに陳述書を聞いておりましたが一言申し上げてもよろしいでしょうか?」
「な、何だ!? 言ってみろ!?」
野次馬に陳述書を見られないためポケットにササッと隠すブライアン。
「私、本日初めてそちらの女性にお会いしたのですが?」
「は?」
ブライアンの目が点になる。
「う、嘘です!! キャサリン様は嘘を言っています!」
首をブンブン左右に激しく振るネリー。
「それでは、もしかするとネリー様の印象があまりに薄くて私の記憶に残っていないだけでしょうか?」
「そ、そんな……酷いです! キャサリン様!」
「そうだ! 言っていいことと悪いことがあるぞ! だからお前は悪女なんだ!」
ブライアンが喚くも、野次馬たちの反応は薄い。
「う~ん……さっきの毒殺未遂の嘘があるからなぁ」
「確かに、あんな嘘を聞かされると……」
「どっちが悪なんだか」
「うっうううう……とにかく! その気の強いところが許せないんだよ! お前とはここで婚約破棄だ!」
ブライアンは顔を真っ赤にしてキャサリンに怒鳴る。
「……いいですわよ?」
「え?」
「そんなに私との婚約がいやなら、お望み通り婚約破棄されてあげますわ」
キャサリンは、にっこり微笑んだ。
「そ、それじゃ……」
「私達……一緒に……?」
ブライアンとネリーが顔を見合わせたその時。
「「ちょっと待って下さい!!」」
野次馬たちの中から同時に声が上がった。
その声に、一斉に野次馬が振り向く。そしてキャサリン、ブライアンにネリーも振り向く。
すると野次馬を掻き分けて登場したのは2人の若い女性だった。
1人は赤毛の女性に、もう1人はダークブロンドの女性だ。
「一体、あなた方は誰ですか? 今、取込み中なのですけど」
キャサリンは現れた女性に尋ねる。
「ええ、そんな事は分かっています!」
「ですからここに現れたのですから!」
そして赤毛の女性がブライアンを振り向いた。
「ブライアン様、酷いじゃありませんか! 私と婚約してくださるという話は嘘だったのですか!?」
「いいえ! 言われたのは私です! それなのに一体どういうことですか!? そちらの女性は何なのです!?」
ダークブロンドの女性がビシッとネリーを指差す。
「ええっ!! 何だって!!」
これに驚くのは勿論ブライアンだ。
「どういうことですか!! ブライアン様!!」
「し、知らない!! 俺は何にも知らないぞ! 誰だ! お前たちは!」
真っ赤な顔でブライアンは2人の女性を交互に見る。
「誰だとはあんまりです!」
「あんなに愛しているよと言ってくれたじゃありませんか!」
「そうなのですか!? ブライアン様!」
2人の女性の言葉に、ネリーはブライアンの胸ぐらを掴んで揺さぶった。
「だから、知らないって言ってるだろう! お前たちを見るのは初めてだぞ!」
「あらあら。ブライアン様はネリー様だけに飽き足らず、他の女性にも手を出していたのですね?」
「うるさい! キャサリン、お前は黙ってろ!」
肩を竦めるキャサリンにブライアンは真っ赤な顔で怒鳴りつけると、野次馬たちが次々と文句を言い始めた。
「浮気しておいてその言い草は何だ!」
「同時に3人と浮気なんて最低ね」
「クズだな、クズ」
「お、おい!! 誰だ!? 今、俺のことをクズだと言ったのは! 名乗り出ろ!」
ブライアンは野次馬たちを見渡すが、当然名乗り出る者はいない。
「そんなことより、私を捨てるつもりですか!」
「君だけだよって言ったのは嘘だったのですか!?」
2人の女性はさらにブライアンに迫る。
「だから、お前たちなんか知らないってさっきから言ってるだろうが!!」
さらに野次馬たちが口々に批判を始めた。
「どうだか、何しろ嘘つきだからな」
「そうよ、毒殺未遂なんて酷い嘘ね」
「誰が信じられるものか」
「黙れ黙れ! 見世物じゃ無いんだぞ! どっか行けよ!」
突如、ブライアンは上着を脱ぐと振り回して野次馬たちを追い払おうとした。
「うわっ! ついにおかしくなったぞ!」
「なんて奴だ!」
「失礼にも程があるわ!」
すると……。
「もう知らない!! ブライアン様なんか大嫌い!! さよなら!」
ついに我慢できなくなったのか、ネリーが泣きながら走り去って行く。
「あ! お、おい! ネリーッ!!」
「ブライアン様、どうやらネリー様に捨てられてしまったようですね?」
置いていかれたブライアンに、キャサリンは口元に笑みを浮かべた。
「う、うるさい! 笑うな! 馬鹿にするな! くそっ! お前らのせいだからな!」
すると野次馬たちが反論する。
「人のせいにするな!」
「そうよ! 全て自分のせいでしょう!」
「本当に最低な男だな!」
「う……ち、畜生〜ぉっ!!」
思わず反論にあったブライアンは脱兎のごとくその場を逃げ出してしまった。
「全く、何だったんだ? あれは」
「良かったわ、あなたがあんな男じゃなくて」
「……あれ? あの3人は何処に行ったんだ……?」
野次馬たちが気付いてみると、キャサリンも2人の女性も、その場から姿を消して去っていった。
****
パーティ会場からネリーが去り、ブライアンが逃げ、野次馬たちが騒いでいる頃……。
会場から少し離れたホテルの一室で3人の令嬢が集まっていた。
「「「かんぱーい!!!」」」
3人はグラスに注がれたワインを笑顔で口にした。
「アシュリー、バーバラ。協力してくれて本当にありがとう」
お礼を述べたのは言うまでもなく、キャサリンだ。
「あら、お礼なんていいのよ。だって私達親友でしょう?」
赤毛の女性――アシュリーがにっこり微笑む。
「そうよ。私達、あの男の話を聞いたときからずっと懲らしめてやりたいと思っていたのだから」
ワイングラスをクルクル回すのはダークブロンドの髪の女性、バーバラだ。
3人は高等部からの親友であり、ブライアンとは面識が無い。
「元々ブライアンは、私のことを可愛げがないだとか性格がキツイと言って一度も尊重してくれたことはなかったわ。その上、半年ほど前から子爵家のネリー嬢に熱を上げるようになって周囲ではすっかり噂になっていたしね。ブライアンは婚約者である私を捨ててネリー嬢を選んだって」
バーバラとアシュリーは黙ってキャサリンの話を聞いている。
「彼が私と婚約破棄をしようと考えている話も周囲の噂で知ったのよ? 別に、私としてはあんな男どうでも良かったけど……」
そこでキャサリンはワインを手にした。
「それにしたって、別の女性を好きになったから捨てるなんて私のプライドが許さなかったわ。婚約破棄は受け入れるけど、あの2人を喜ばすような真似はしたくないもの」
「勿論よ! 性格が悪い上に婚約者のあなたを蔑ろにしたのだから!」
「あんな男、懲らしめて当然よ」
アシュリーとバーバラが興奮気味に頷く。
「だけど、あんなにうまくいくとは思わなかったわ。あのパーティーで婚約破棄を告げてくるとは思ったけど、あれだけの人が集まってくるなんて」
すると、キャサリンの言葉にバーバラとアシュリーが顔を見合わせる。
「あぁ、あれ実はね……」
「私達が集めたのよ」
「え? どういうこと?」
その言葉にキャサリンは身を乗り出した。
「あのね、キャサリン達がいた場所を指さして修羅場が始まったみたいよって私とアシュリーが大きな声で話したのよ」
「そうしたら、出席者達が興味を持ってあなた達のところへ集まったというわけ」
その言葉に目を見開くキャサリン。
「そうだったのね!? だからあんなに人が集まったのね……フフフ。それにしても、本当にブライアンは馬鹿ね。パートナー絶対同伴の場で、あんな失態をしでかすのだから。あのパーティーには有力貴族たちが大勢集まっていたわ。きっとブライアンの評判は地に落ちたわね。ネリーとの仲も壊れたし、いい気味だわ」
「キャサリン、ブライアンはあの女性に捨てられたわ。もしあの男が復縁を迫ってきたらどうするつもり?」
「許してあげるのかしら?」
アシュリーとバーバラが交互に尋ねる。
「許す? そんなはず無いでしょう。だって向こうから婚約破棄を告げてきたのだから。追い返してやるに決まっているでしょう」
「そうよね。キャサリンなら他にも素敵な男性が現れるわよ」
「私もそう思うわ。だってキャサリンは美人だし、頭も良いもの」
バーバラとアシュリーはワインの酔いも手伝ってか、興奮気味に語る。
「フフ、ありがとう。2人とも、でも正直に言うと、私は結婚には興味ないわ。だって職業婦人になるのが夢なのだもの。そう、例えば……悪い男を懲らしめる私立探偵……とかね?」
そして、キャサリンはクスクス笑った。
その笑みは、とても美しく……どこか悪女のようにも見える。
「だったら、その時は私を雇ってくれないかしら」
「私も雇って欲しいわ!」
友人2人が手を上げる。
「ええ、勿論そのつもりよ。だって私達3人が手を組めば最強だものね。さて、それじゃ今夜は私の婚約破棄をお祝いして飲み明かすわよ!」
「ええ!」
「賛成!」
こうして3人の令嬢は夜が更けるまで楽しい時を過ごすのだった。
その数年後――
キャサリンは言葉通りに探偵業を始めた。
勿論、従業員は……言うまでも無い――
<終>