禁断の書
このお話は、本編の8年ほど前、
【城に棲まう兄弟】の中間ちょっと下辺り
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【モブ令嬢はお邪魔な王子を殺したい】の番外編となります。
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カラドカス公爵家は、王家から分かれたセントロニオ公爵家の、更に分家であり、王家の親戚筋であった。政治の主流からは外れていたが、国家の財務を担当しており、王家の内情は把握している。
ザイオンの出自を知った上で養子とした公爵は、生真面目・厳格を体現したような男だった。野心家ではないが、王家の現状は容認できないと考え、マクシミリアン第一王子の暗殺未遂事件を機に、国王に働きかけたようだ。
幸いマクシーは、背嚢越しに刺された事もあって、かろうじて命は助かった。
だが、出血が多かった事もあり、当分は安静に過ごさなくてはならない。
今は北の離宮ではなく、幼い頃住んでいた一室に軟禁されて、泣きぐずっていると聞く。
その様子が目に浮かぶようで、ザイオンは溜め息しか出ない。
(今は堪えろ。そこで大人しくして、傷を治すんだ)
どうにも落ち着かなかった。
(本当なら今頃俺は、母親の生まれた国に行って、新しい生活を始めていたはずなのに)
想定通り、物事が進まなかったせいなのか?
強烈な違和感が、常につきまとった。
国王が今更、息子達の存在に配慮しているかのような行動を見せ始めた事も腹立たしい。今まで一片の関心もなく、どこで何をしているか知ろうともしなかったくせに。
ザイオンは、何年も前に、恐ろしく汚れた格好で北の離宮に来たマクシーの姿を思い出す。
言葉も話せないあの状態から、何とか人間らしくしてやったのは自分だ。その過程を知りもせずに、第一王子だのなんだのと持ち上げている連中も気に入らない。
苛つく事ばかりだが、一番苛つくのは、マクシーを捨てて行こうとしていたにもかかわらず、マクシーのために、もうしばらくこの国にとどまる事を選んだ自分に対してだ。
(あいつをこのまま置いて行ったら、第二王子の派閥に今度こそ本当に殺されるか、その対抗勢力に駒として扱われるかの二択だろう)
落ち着かない気分になるのは、そうした苛立ちとは別の事が原因だ。
それがなんなのか、ザイオンにはよくわからなかった。
今日から住む事になった、王城近くにある公爵家の邸宅は、王城のミニチュア版だ。
コの字型の建物が庭園を囲み、公爵と公爵夫人、四人の子ども、そして侍従や侍女などの使用人が、ここに住んでいる。
建物の装飾や庭園の施設などを見ると、公爵家の最低限の威厳を保つ程度のものであり、過度な煌びやかさはなく、カラドカス公爵の厳格さが現れているように思えた。
夜、与えられた部屋で、眠れずに寝返りを打ち続けていたザイオンは、諦めてベッドを出ると、誰もいない庭園を目的もなく歩く。
下弦の月が照らす中、散歩道の両側を埋めているバラは、夜でもしっかりと花弁を開いていた。その様子は荘厳とも言えたが、時折耳元を虫が飛ぶので、辟易する。
散歩道の先に、東屋が見えてきた。
ガゼボとも呼ばれる、屋根付きの小さな休憩スペースだ。
月明かりに照らされた東屋が、なんとなくうら悲しい雰囲気をたたえて見えた時、ザイオンは理解した。
(俺は、寂しいのか)
一日中側に居たがり、一緒に遊びたがり、邪魔ばかりしてきて、鬱陶しいとさえ思っていたあいつが側にいない事を、そんな風に感じるとは。
東屋の小綺麗な椅子に腰掛けて、丸テーブルに肘を突き、静かにザイオンは落ち込んでいた。
足音が聞こえて顔を上げる。
月明かりの中でザイオンが見たのは、痩身の若い男が散歩道を歩いてくるところだった。
昼間公爵が家族を紹介した中に居た男は、彼一人だ。
茶色い短髪に、グレーの瞳、父親によく似た顔つきの、ドミリオ・カラドカス。
父親は背が高くて、ドミリオは小柄な方なので、ミニ・カラドカスと三人の妹達から呼ばれていた。公爵家の跡継ぎだ。
その瞳は、厳格な父親と違って、常に何か面白い事を探しているように見えた。今も何らかの企みを抱いた様子で、一気にザイオンとの距離を詰めてくる。
「おや。新しい弟くん」
丸テーブルの横に立って、たった今気づいたかのような口調で言う。
ザイオンの軽装とは違って、外出を想定していたかのように、隙の無い服装をしている。
「眠れないのかい?」
「まあね」
ザイオンは、相手の目的を図り兼ねながら答える。
この家に長居をするつもりはなかったが、波風を立てるのは本意では無い。
公爵の子ども達はザイオンの出自を知らず、突然養子に来た彼を、公爵の庶子ではないかと警戒している節があった。庶子を養子として迎えたのなら、後継問題にも影響があると考えているだろう。当然敵視してくるはずだ。
「君に、良いものをあげよう」
ドミリオが、テーブルの上に一冊の本を置いた。
月明かりでは、はっきりとは見えないが、表紙には絵が描いてある。
女性が、扇情的な格好をして、両足を立てているように見えた。
「えっ」
あまりに意外で、声が出た。
「閨本と言って」
ザイオンの方に屈み込み。ドミリオは声を落として、説明する。
「カプリシオハンターズ共和国からの輸入本だ。あちらでは、印刷技術が格段に進歩していてね」
「いや……こんなもの、俺は……」
「もちろん、この国では、この手のものは違法だ。だが、安心しろ。私が密輸入した訳では無い。出所はお父様の書斎だ」
「そんな馬鹿な」
思わずザイオンはそう言った。
ニコリともしない、カラドカス公爵の厳しい顔つきと、この怪しげな本とが結びつかない。
「どんなに堅物でも男である限りは、閨の問題は避けて通れないのだ、純朴な義弟よ。そもそも、お父様には子どもが四人もいるんだからね。この禁断の書には、男女の営みだけでなく、己の昂ぶりを鎮める方法も詳細に記されている。眠れない夜ともおさらばだ」
(何言ってやがるこいつ)
ザイオンは、軽蔑を込めた視線を相手に投げかけようしたが、うまくいかなかった。長い年月を孤立した状態で過ごしてきた彼は、この時、北の離宮に置いてある書物の曖昧な性描写にしか、接した事がなかった。
想像でしか補えなかった事が、目の前に置かれた本に書かれているのかと思えば、十七歳のザイオンには、拒絶する事は難しい。
彼は、自分がいかに凡人であるか、思い知った気がした。
ドミリオ・カラドカスの、暗闇でもわかる見透かしたような視線が、彼に向けられる。
ザイオンは、全身が熱くなるほどの羞恥に襲われた。
「これはただの挨拶代わりなので、遠慮無くもらってほしい。それではおやすみ」
ドミリオはさっと方向転換して、散歩道を帰っていく。
(あまりに想定外で、何もできなかった)
いっそ、敵対するような言葉を投げつけられた方が、心安らかだったろう。
日が昇れば婦女子も来るこの東屋に、このような書を置き去りにすることはできない。
仕方なく、ザイオンは、その本を持って自室へ帰った。
思った以上に本の内容が過激だったので、隠し場所には非常に苦労した。
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