34.04:マクシー
「ザッカリー・ハウトラさん。釈放です。お気をつけてお帰りください」
カウザン第一拠点のガーディアン事務所で、牢から出されたザッカリーに対して、ヨアン保安官が難しい顔をしてそう告げた。
「俺だけですか? ウイリアム殿下はどうなります?」
差し出された剣と私物を受け取りながら、ザッカリーは尋ねた。
「あなたの場合、被害者のマックスが被害などないと言い張るので、拘置を諦めた形だからね。目撃証言は多数あるにも関わらずだ」
ヨアン保安官がぞんざいな口調で言う。
なんという不敬な女だ、とザッカリーは腹に据えかねながら聞く。
こんな、男のような口調で、男のするような仕事をしているから、結婚ができないのだと指摘してやろうか、と思うが、人質に囚われている王子の事を考えると軽率な真似はできない。
「ウイリアム・モスタの被害者であるユージーンは重傷で、腹膜炎を起こして、一時は生死の境を彷徨ったのだから、すぐに無罪放免とはならない」
「ウイリアム殿下は、モスタ王国第二王子であらせられる。このままだと、国際問題になりますよ」
「あなた方に、国際問題を論じる資格などない」
ヨアン保安官が、さっさと出ていけという仕草で、ガーディアン事務所の出口を指さした。
ザッカリーはむっとしながら、しばらくそこに立っていたが、その場にいる全員に無視され続け、仕方なく外へと出る。
西には夕焼け空が見えており、クエストを終えた狩猟民の流れが、食堂や宿舎へ向かっていた。
まずは、宿でテレンスとドニの二人に会って、情報を摺り合わせよう。
拘置されている間に来ているはずの、本国からの指示も確認しなくてはならない。
できればその前に、身体の汚れを清めたかった。
宿の方向へ歩き始めたザッカリーは、男女のエルフが数人、距離を詰めてくる事に気づいた。
彼らの目つきが気に入らない、とザッカリーは思う。
まるで、犯罪者を見るような目だ。
全員、浅葱色の詰め襟服を着ている。
国へ帰れば、皆の羨望の的である騎士団団長を父に持つ自分が、なぜこのように威圧されなければならないのか。
この国では、我慢のならない事が多過ぎる。
腰に下げた剣で反撃する事も考えたが、相手に関する情報が少なく、ここで事を起こしても多勢に無勢だ。
ザッカリーは身を翻し、住宅街への坂を駆け上がってから、急いで人気の無い小道へ入る。
結果的に彼は、エルフ達の視界から消える事はできたが、同時に、誰の目にもつかない状況に我が身を投じた。
拉致は一瞬だった。
ぐいっと持ち上げられる感覚に、ザッカリーは悲鳴を上げる。
足が地に着かない。
景色が回転した。
「うるさいなぁ」
男の声が言った。
次の瞬間投げ出されたのは、どこかの住居の、屋根の上だった。
こんなに軽々と、一瞬でこの高さに移動するなんて、信じられなかった。
側に立っているアッシュブロンドの髪の男を、見上げる。
「な、誰」
風雨に晒された屋根の上は、土埃だらけだった。数日間過ごした牢屋で汚れた上等な服が、更に汚れていく。拘置中手入れを怠っていたザッカリーの赤毛も、泥と汗と一緒に額に張り付き、酷い有様だ。国に帰ったら、この扱いについて抗議文を送らなくては。
「騎士団団長の息子って、お前?」
「そうだが?」
と、答えてから気づいた。
これは、あの時、アレクサンドラの横に立っていた男だ。
マクシミリアン第一王子。
第二王子の王位継承のためには、必ず排除しなくてはならない障害物。
さっと身体を起こして、剣の柄に手を掛ける。
先日仕留め損なった時、この男は鎧を着ていたが、今日は普通のシャツ姿だ。
騎士の家門に生まれて今日まで、父の厳しい訓練に耐えてきた自分には、至極簡単にこの愚鈍そうな男を倒す事ができるはず。
予告なしの一刀両断。
それで全てが終わった。
終わるはずだったのに。
ターゲットを失ってバランスを崩し、ザッカリーは振り切った剣を手に持ったまま、前のめりになっていた。
いつの間にか後ろに回った男が、彼の尻を蹴りつけた。
頭から屋根の漆喰部分に突っ込み、ザラザラした表面に顔を削られる。
「お前さ」
刀身を顔に突きつけられて、剣を奪われた事を知る。
「あの時、クロエを狙ったのはどうして?」
「クロエ──アレクサンドラ?」
「そう」
「急にウイリアム殿下の側に来たので、護衛として仕方なく」
ガーディアン事務所で何度も繰り返した供述を、ザッカリーは口にした。
「僕、あの時見てたんだけれど、何か凄く怒った顔だったよ?」
「それはそうでしょう、マクシミリアン第一王子殿下」
渾身の一撃が失敗し、武器も奪われた以上、言葉で媚びを売る以外に、できる事はない。
「あの女のせいで、殿下の弟君であるウイリアム第二王子は、次期国王の座を追われました。婚約者でありながら、弟君が不利益を被るかもしれない事項を故意に見過ごしたのです。彼女は立場上、ウイリアム殿下を諭し、自分が無実である事を表明し、冤罪を強く主張するべきでした。マクシミリアン第一王子殿下も、弟君の事をお考えいただけるならば、あの女の罪を看過すべきではありません」
「意味がよくわからないんだが」
マクシミリアン第一王子は、身体を起こそうとしたザッカリーの上に剣をかざす。
「それって、お前を生かしておいたら、またクロエを傷つけるかもしれないって事だよね?」
相手の命を狙っておきながら、自分が命を狙われる事は、想定していなかった。
ザッカリーはそれがひどく不思議な事に思えて、ポカンと口を開けたまま、刃が落ちてくるのを待つ。
父親の科す訓練に明け暮れた人生だった。
平和な王国で、実践になど、一度も出た事がなかったのだ。
「凄くやりにくいんだけれど」
とマクシミリアンが言ったのは、ザッカリーに向けてではなかった。
彼らはいつの間にか、浅葱色の詰め襟服を着たエルフ達に囲まれていた。
「その男は、傍系のエルフ家門一同で拘束いたします」
一番背の低いエルフが、胸に手を当てて一礼した。
「お渡しいただけますか? マクシー様」
マクシミリアンが、エルフに怒った視線を向ける。
「僕をマクシーって呼んでいいのは、ザイオンと、クロエだけ」
兄の名前を口にした途端、彼の目に、罪悪感のような色がよぎる。
マクシミリアンはしぶしぶ剣を引いた。
エルフはわざとマクシーと呼んで、ザイオンの事を思い出させたに違いなかった。
「失礼しました」
エルフはもう一度丁寧に礼をして、仲間に合図する。
ザッカリーは、刃を見つめた顔のままで、引き立てられていった。
「ザッカリー・ハウトラも姿を消した」
ヨアン保安官は、執務室の椅子に全体重を預けた姿勢で言った。
「釈放の時間を上から指定されたので、予想はしていたが」
執務室の机にもたれかかったスラン師団長は、唸っただけだった。
「水面下ではすでに、交戦状態という事だな。モスタ王国第二王子の側近は全員、捕虜となったわけだ」
「仕方あるまい」
と言って、スラン師団長はもう一度唸った。
「我が国の建国の英雄であるお方の、一粒種を、あの国の現国王が文字通り飼い殺しにして、命を奪ったとあればな」
「気を付けろ。まだそれが事実だと認定されたわけじゃない」
「ああ。だが最早、事実かどうかを置き去りにして、事態が突き進んでいる」
エルフ達は、国を落として墓を暴くまで、止まらないだろう。
ヨアン保安官は、最近深くなってきた眉の間の皺を、マッサージして伸ばそうとする。
「事実なら、殲滅だけじゃ済まないかもな……」