囚人38番
Something failed(後)の続きの話となります。
この作品には、暴力的な描写が含まれています
免疫のある方のみ、お進みください▼▼▼
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あなたは次の国王になるのですよ、と母親である王妃はウィリアム第二王子に常々言い聞かせていた。
そのためには完璧でなくてはなりません、とも。
王妃は家庭教師に勉学の進捗を聞いては、感情的に鞭を振るうこともあった。
ウィリアムは、苦手な計算問題や幾何学問題を半分以上は答えられるまでに頑張って勉強した。それでもなお、『王族なら満点を取るべき』と王妃は激高した。
王妃が鞭を振るうたびに、ウィリアムの尻には血が滲んだ。まだ幼かった彼は、自分が怠け者だから悪いのだと思っていた。
十歳の時ウィリアムは、自分に兄がいることを知った。兄のマクシミリアンはどうしようもない馬鹿で、王妃に見捨てられ、十年以上もずっと存在しない者として扱われていたのだ。今でこそ第一王子として大事にされているものの、『あの馬鹿が国王になったら国が滅ぶわ』と王妃は言った。
国を滅ぼさないように、そして王妃に見捨てられないように、ウィリアムは日々研鑽を続けたが、完璧にはほど遠かった。城内に一流の学者を招いて、同年代の側近候補たちと一緒に授業を受け、彼らと同じぐらい頑張っても、試験の正答率は五人の中で最低ランクだった。
ウィリアムが十三歳になった頃、兄のマクシミリアンが貴族学園に入った。
まともに話せないにもかかわらず、よくも外部に出せたものだ、とウィリアムは側近候補たちと一緒に嘲笑った。
ある日、授業が終わって帰る側近候補たちに付き合って城の正面玄関に向かうと、そこには第一王子マクシミリアンの側近であるザイオンがいた。
黒髪で金色の瞳の、整った容貌の青年は、ニコリともせずに軽く会釈をしただけだった。
ウィリアムは顔を背け、通り過ぎながら、わざと彼にぶつかった。
「ああ。そこに居たのか。気づかなかった」
ニヤニヤと笑いながら、ウィリアムは言った。
軽くよろめいたザイオンは、怒る様子も見せず、口元に薄笑いを浮かべた。
幼稚だな。
言葉に出されたわけでもないのに、そんな台詞が聞こえた気がして、ウィリアムは笑みを引っ込めた。
どう嬲ってやろうか。
不敬罪で投獄することもできるんだぞ、などと、ウィリアムが自分からぶつかっておいて、黙っている相手に凄んだりしたら、傍目には滑稽に映るだろう。
そばにいて、迎えの馬車を待っている側近候補たちは、戸惑ったようにウィリアムを見ている。
王子としての威厳を保つためには……などと考えていると、正門の方角から複数の足音が聞こえてきた。
「お待ちください! 殿下!」
「ザ! イ! オ! ン!」
叫びながらザイオンに飛びついたのは、この国の第一王子マクシミリアンだ。
その勢いはとんでもなく、衝撃でザイオンは転びそうになった。
どうにか持ちこたえたザイオンは、先ほどウィリアムに軽く体当たりされた時とは違って怒りの形相を見せた。
「いってぇな! この馬鹿!」
不敬罪どころではないその罵り声を意に介さず、マクシミリアンは手に持った紙を振り回している。
「見て! 見て見て!」
側近兼護衛らしい二人が、正門の方向から必死な形相で走ってくる。
さらにその後ろには、学園から正門まで乗って来たらしい馬車が見えた。
護衛対象に出し抜かれるとは無能な連中だ、とウィリアムは冷笑を浮かべる。
「ほら! 0じゃない!」
マクシミリアンがザイオンに紙を押しつけている。どうやら貴族学園で実施したテストの答案用紙らしい。
30点台の数字がチラリと見えて、ウィリアムは毒気を抜かれた。
「マジか」
怒っていたはずのザイオンが、ふいに笑みを零した。
「よく頑張ったな……お前にしては」
ザイオンとほとんど変わらない背丈のマクシミリアンが、頭を撫でられ、髪を乱されて、嬉しそうに踊り始める。
「僕は頑張った!」
「やめろ、恥ずかしい」
正門から全力で駆けてきた側近たちが、口々に言う。
「置いていかないでください、マクシミリアン第一王子殿下!」
「部屋に帰りましょう、殿下!」
彼らはウィリアムに会釈すると、踊っているマクシミリアンを引きずっていった。
馬鹿馬鹿しい、と踵を返したウィリアムを、彼の側近候補たちが追ってくることはなかった。滲み出る不機嫌に臆したのだろう。
(何だ、あの点数!)
ウィリアムは、胸の内に凝る黒い感情が何なのか、自分でもよくわからなかった。
(私は、たとえ80点取ったとしても、鞭で打たれるのに!)
あいつは馬鹿だから、30点でも褒められる……それは、馬鹿だから期待されていない、ということ。私は期待されているから、厳しくされているのだと、ウィリアムは自分に言い聞かせた。
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死を前にすると人は、走馬灯を見るのだという。
ウィリアムは、底に38番と書かれたバケツを一つ持ったまま、昇降機の前に佇んでいた。
王子という立場にいながら、ろくでもない思い出しかない。王族に相応しくあろうと、人に負けないよう努力し、それでも足りない分は小細工してでも自分が優位に立たなくてはならないと考えて、生きてきた。
唯一自分を理解してくれたと思った女性には裏切られ、罠に嵌められた。
王子という立場を失った自分には、何の価値もない。所持品は、怪物から逃げる時に思わず手に握り締めていたバケツが一つだけ。
昇降機の籠は、ウィリアムたちが辿り着く前に地上へと上がっていった。囚人たちが我先に地上へと逃げた結果だ。取り残された刑務官はウィリアムを昇降機の傍に待機させて、追いすがってきた化け物を追い払おうとしている。
だが六本足を持つ化け物相手に、警棒一つでは制圧が難しい。
刑務官が普通の人間ならとっくにやられているだろう。だが彼は魔法で体中に障壁を作り、次々に繰り出される化け物の攻撃を素早く避け、鋭い爪で、虫のような脚を払った。
「籠が戻ってきたら、先に上に逃げろ!」
刑務官はウィリアムに向かって叫んだ。
だが、籠はなかなか下りて来ない。
化け物は、子どもが落書きしたような蜘蛛の形をしていた。
長さも節の数も違う六本の脚を交互に動かして、何度も刑務官に襲いかかった。
脚の真ん中には、嬰児のような化け物の本体がある。
その嬰児の頭から脚が生えている接続部分は、カニに似ていた。
(あの頭……バケツにちょうど良い大きさだな……)
膨れ上がった右目には、3つに断裂した大きさの違う金の瞳がある。
その目はよく見えてはいないようで、じっと立って動きを止めているウィリアムに視線を向けることはなかった。
刑務官はじわじわと、化け物を坑道側へ追いやった。
変な男だ、とウィリアムは思う。
なぜ命がけで、囚人一人を守ろうとするのだろう……。
かつては天井知らずだったウィリアムの自己評価は、今は地の底に落ちていた。
(……違うな。きっと、ずっと昔からそうだった。母上の理想を実現できない自分は、駄目な人間だと無意識に悟っていた。だから、少しでも浮上するために、人を踏み付けにして、下に見て……)
ウィリアムはそっと身を屈めて、石を拾う。
誰かが坑道で掘り出した、角の尖った石だ。
石はそこら中に落ちていた。
足場の悪さに刑務官が、一瞬体勢を崩した。
彼が両足を踏ん張って転倒を防いだところへ、化け蜘蛛の脚が突き出される。
咄嗟にウィリアムは、石を投げた。
当たらなかったが、化け物の注意が飛んでいった石に向いた。
バケツを持って、ウィリアムは駆け抜ける。
転びそうになりながらも彼は、やり遂げた。
六本脚の真ん中にある嬰児の頭に、バケツを被せたのだ。
化け物の脚が振り下ろされるが、脚と脚の間に自らの身体を滑り込ませていれば攻撃が当たることはない。
そのまま何度も、化け物に被せたバケツを上から拳で叩き付ける。障壁らしい抵抗があったが、構わずに続ける。
頭と、脚の間にある接続部分に、バケツの縁が食い込んでいった。
腐臭が酷い。
魚介類の腐ったような臭いだ。
刑務官も一緒になって何度か警棒でバケツを叩いた後、思い切りかかと落としを見舞った。
その衝撃で、化け物の太い脚が二本、分断する。
どろりとした赤緑色の体液が千切れた脚から滴って、足下に広がり始めた。
ウィリアムはほっとした。
今まで何一つなし得なかった自分だけれど、これで、毎日顔を合わせていた囚人たちの仇を取ってやれた。
あとは簡単だった。
無言のまま刑務官は、バケツがひしゃげるまで足で踏み付けて、残りの脚も切断した。
ひいぃぃと、笛を吹くような音がバケツの中から聞こえた。
バケツを持ち上げて見ると、中の怪物はまだ生きていて、ひいぃぃ、と繰り返し鳴いた。
3つの瞳に見上げられ、ウィリアムは思わず後ろに下がる。干からびて茶色い紙のようになった小さな身体が、大きな頭の下敷きになって微かに蠢いている様子が不気味だ。
鳴き声に応えるかのように坑道の奥から、ひいぃぃ、という音が聞こえてきた。
「退却だ」
しゃがみ込んで、取り出したナイフで怪物にトドメを刺した刑務官が立ち上がる。
ちょうど、昇降機の籠が下りてきたところだった。
籠といっても、枠組みしかないので周囲から丸見えだ。
急いで乗って、地上に向かって出発する間も、ひいぃぃという鳴き声が近づいてきて、ウィリアムは気が気ではなかった。
安全なところまで上昇すると、刑務官は笑顔になって言った。
「さっきは助かったよ。よくやったな! 弱いくせに、よく頑張った」
大きな手が、ウィリアムの頭を撫でた。
弱いくせに、とは。
不敬なやつだ。
(私は毎日、勉学と共に、武術と剣術の訓練も怠らなかった。強いとは言えないが、弱いわけではない……)
『よく頑張ったな』
ザイオンが、マクシミリアンに向けて言った言葉を思い出す。
あの頃、誰もウィリアムに対してそんなことを言う者はいなかった。
毎日、王子という立場におもねる上辺だけのお世辞ばかりが聞こえてきた。ウィリアムの存在を認める心からの言葉は、王妃さえも口にしなかった。
たった一言。
毎日頑張っていると、誰かに言って欲しかった。
だから偽の男爵令嬢ブリトニーに努力を認めてもらって、その一言をかけてもらった時、簡単に騙されてしまった。
ウィリアムはふいに、声を上げて泣きたい衝動に駆られる。
そんなみっともないことはできなかったが、抑えた声の分、涙だけがとめどなく流れた。
「そんなに怖かったのか? 泣くな泣くな。もう大丈夫だ」
撫でていた手が、ポンポンと軽く叩く動きをした。
あの時、マクシミリアンが変な踊りを始めた気持ちが、少しはわかるような気がした。
(私は、踊ったりはしないけれどな!)
昇降機は順調に稼働し、やがて陽光が籠の中に射してきて、囚人38番と刑務官は無事地上へと生還を果たしたのだった。
ウイリアム⇒ウィリアムに統一
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