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34.02:幸せロードマップは終わらない

「ザイオンは、童貞?」

 って知ってる? と、続ける勇気が、マクシミリアンから蒸発していった。


 夕食後の穏やかなひとときには相応しくない言葉を、口にしてしまったようだ。


 マクシミリアンがそう理解したのは、昔々まだとても小さかった頃、ザイオンと一緒に寝ていたベッドでおねしょをしてしまった時に見たきりの、軽蔑と怒りの綯い交ぜになった表情が、ローテーブルの向こうにあったからだ。


(僕はもう、二度とこの悪い言葉を口にしません)

 マクシミリアンは、自分自身に誓った。


 今すぐこの場から逃げ出したかったが、これまでの経験上、そんな事をしたらザイオンの怒りがずっと収まらないことも、彼は知っていた。覚悟を決めて、マクシミリアンはザイオンの小言を待った。


 だが、ザイオンは、ふっと表情を緩めて言う。

「そんな訳ないだろう」


 マクシミリアンは混乱する。

 そんなわけないだろう、という事は、違う、という意味。

 いったい、童貞とは?


 キッチンで洗い物の途中だった傍系のルファンジアが、シンクの中に食器を落とした。貯まっていた水が、泡と共に跳ね返って飛び散ったが、構わずに彼女は、皆が座っているソファの方へ駆けつける。


「ザイオン様、それはまことのお話でしょうか!?」

 彼女は、恐ろしいほどに真剣な顔をしていた。


「俺を見ろよ」

 ザイオンは自惚れた顔で言う。

「女が放っておくと思うか?」


 マクシミリアン第一王子が、美麗な側近と共に駆け落ちした、という噂が流れたほど、彼の容姿は確かに優れていた。

 だが、今まで彼は、自らの容姿について自慢した事はなかったし、他人の外見を褒めたこともなかった。そのため周囲の者は、彼が外見的な属性には頓着しない性格だと思い込んでいたのだった。


「ゲッ」

 マクシミリアンの隣に座っているクロエから、淑女に相応しくない音声が漏れ出た。ナルシスト死すべし、と言いたげな表情がそこに浮かんでいる。


「それはつまり、すでにお世継ぎがご誕生されている可能性もあるという事でしょうか?」

 ルファンジアは、ザイオンの座っているソファの前に進み出て、片膝をつく。


「俺がそんなヘマをすると思うのか?」

 ザイオンが、不機嫌に言う。


「この問題に、『絶対』はないのですよ、ザイオン様。まずはエリクシャナ様に連絡を取り、対策を考えますね」

 ルファンジアの言うエリクシャナ様とは、ザイオンの祖母に当たる人物だ。


「は? 対策? 何の?」

 ザイオンの口調がけんか腰になっていく。


「クロエ、お世継ぎって何だ?」

「今の会話に限って言えば、ザイオンの赤ちゃんの事ね」

「ザイオンに赤ちゃんが生まれるのかぁ」


「生まれないぞ!」

 こそこそと、ソファに座って話しているクロエとマクシミリアンの方へ、ザイオンの怒号が飛ぶ。


「まずは、お相手の方のお名前をお伺いしたく存じます」

 と、ルファンジアが一礼する。


「そんなの、いちいち覚えている訳ないだろう」

「という事は、複数人でございますね? 日時と場所をだいたいお教えいただければ、我々傍系エルフの魔術師で調査が可能かと思います。最初の方とは、いつ、どこで?」


「絶対教えねぇ」

 ザイオンの顔色が悪くなっていく。

「絶対調べるなよ!」


「もしや、訳ありの方でしょうか……」

 ルファンジアの表情が、気遣わしげになる。

「アレシャトに繋がる王の血筋となるお方の、ご母堂でありますれば、我ら傍系のエルフが最大限のおもてなしをさせていただきます。ザイオン様におかれましては、お相手の方の情報のみ教えていただければ」


 クロエが、マクシミリアンの肩にもたれかかるようにして、顔を伏せた。

 追い詰められているザイオンの姿が、愉快で仕方が無い様子だ。

 クスクスと笑う彼女の吐息が、マクシミリアンの首筋を擽る。

 花弁に留まった蝶を捕らえる時のように、そっと、少しずつ、マクシミリアンは、彼女の身体に両手を回した。


「教えねぇって言ってるだろう! 子どもなんていない! 絶対だ」

「仕方がありませんね。それではまず、エリクシャナ様にご連絡を取って、指示を仰ぎます」

「仰がなくていい!」


「それから今後は、アレシャトに繋がる高貴な子種を注ぐ範囲について、予めご相談を頂かねばなりません」

「子種言うな!」


 クロエは顔を伏せたまま、かすかに身体を震わせ始めた。マクシミリアンは両腕の内に、彼女の身体を収めた。

 クロエは逃げない。

 それどころか、縋り付いてきて、小さく呻いた。

「高貴な……高貴な子種……っ」


 薄衣越しにマクシミリアンは、クロエの身体の動きと熱を感じた。特に、二人の間で少し潰れている、彼女の柔らかな胸の感触に、ドキドキが止まらず全身が熱くなる。


 昔、クロエが『幸せロードマップ』という言葉を教えてくれたけれど、これが『幸せ』というものに違いない、とマクシミリアンは思う。


「実はすでに、傍系の家門から幾人か花嫁候補を出し、(いにしえ)の作法に則り、数人に絞っているところです」

「種馬扱いか? 俺の意思はどうでもいいんだな?」


「とんでもございません。候補というだけです。顔合わせをしていただき、お気に召さなければそれでも良いのです。または全員を選んでいただいてもよろしいかと」

「……全員?」

 ザイオンの声が、少し揺らいだ。


「最終的な選定にはまだ少しお時間がかかりそうだと聞いております。お待ちいただく間、お体を鎮める必要がありましたら、私めを召されてもよろしいですよ?」

「は?」

 ザイオンは、小柄な外見のせいで、かなり年若く見えるルファンジアを睨め付けた。

「悪いが、俺の好みとは真逆だ」


「差し出口を申し上げました。ひとまずは、これまでのお相手を全て、お話しください」

「堂々巡りだな。なんと言われようと俺は、自分の恋愛遍歴を他人にべらべら喋るつもりはない」


「恋愛、とおっしゃると、つまり、不特定多数がお相手ではないのですね? よろしゅうございました。それでは、日時は不要ということで、お名前さえいただければ。箇条書きの文書にしていただいても構いません」


 ルファンジアは、軍服を思わせる服のポケットから和紙風の紙と筆記具を取り出して、ローテーブルの上に置いた。

「なお、相手が同性の場合でも、必ず漏れなく、お書きください」


「何でだよ!」

 ザイオンがそう言った途端、クロエがぱっと身体を起こしたため、マクシミリアンからは遠ざかった。


 マクシミリアンは、右手をさりげなく下ろす。

 そっと服の下に忍んで行って、あと少しで、目標に到達するはずだったが、空振りに終わった。


(残念……)


 クロエは驚いて、ザイオンを見ている。

「そうだったんだ!」

「同性相手でも、子種が不埒者の手に落ちる可能性を考えますと、看過できません」

 馬鹿丁寧に説明し始めるルファンジア。


「全然っ違う、深読みするな!」

 ザイオンは立ち上がると、マクシミリアンの側にきて、拳で頭を叩いた。

「え……なんで僕!?」

「お前が変な事を言い出すからだろう!」

 怒って部屋を出るザイオンを、ルファンジアが追っていく。

「お待ちください! 大事な事ですので!」


「深読みかなぁ」

 クロエが、マクシミリアンの頭を撫でながら言った。

「どう思う?」


 ここまでの会話の意味を、完全に理解していたとは言えないマクシミリアンには、答えようのない問いだった。


 クロエも、答えが返ってくるとは思っていない。

(普通、否定が先だよね。そんな相手はいないとかなんとか。何でだよって、疑問が先に立つっていう事は、無意識の肯定じゃないのかなぁ)


「最近ザイオンがひどいと思う」

 たいして痛くなかった頭を、クロエの肩にもたれさせて、マクシミリアンは視線を下に向けた。

 綺麗な鎖骨の下に、滑らかな肌が続く。その先で、襟ぐりの大きい麻生地のシャツが豊かな膨らみを覆っていた。


 そこにさりげなく手を触れるには、どうしたらいいのか。

 さっきからマクシミリアンは、その事ばかりを考えている。


「今のは本気で叩いた訳じゃなかったでしょう? ザイオンは、恥ずかしかっただけよ。……子種とか言われて」

 クロエは、クスクスと思い出し笑いをした。

 マクシミリアンは再び、彼女の身体にそっと両手を回そうとしたが、クロエが立ち上がる。

「ルファンジアが忙しそうだから、食器は私達が洗おうか」

「……うん」

 キッチンへ向かうクロエの後に、切なさを抱えて、マクシミリアンが続く。


 初めはクロエと一緒に暮らす事で完了したと思っていた幸せロードマップだが、どうやらその先があるらしいと、マクシミリアンは気づき始めていた。











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