殺しに来た奴は、殺していい(3)
クッキーを運んで来た女も、弓矢で攻撃してきた男も、身元の確かな侍女や侍従と入れ替わった暗殺者だった。本物達は、おそらく殺されて、山にでも埋められたのだろう。
「確かに、殺しに来た奴は殺していいと言ったが」
兄上は怒っていた。
本気で怒った兄上は、敬語を使わない。
「絶対に殺せとは言ってない! 待避せずに、死にかけている奴にトドメをさしたり、一人で行動して、逃げている奴をわざわざ殺しに行ったりしてお前は──自分の立場がわかっているのか? そもそも、命を狙われている事がわかっていながらどうしてバルコニーなんかに居たんだ?!」
良かった。
兄上、元気になった。
あのでかい男が死んでから、ずっと暗い顔をして、ほとんど喋らなかったから、僕はとても胸が痛かった。
兄上は、人の死が嫌いなのかも知れない。
あのでかい男が死ぬところを、兄上に見せてしまったのは失敗だった。
今日も、二人殺してしまった。
これからは、兄上にばれないように殺さないと。
「聞いているのか?」
「うん」
やっといつもの兄上が戻った、そう思って僕は、怒っている兄上にうっかり笑いかけてしまう。
「何をにやついているんだ?! 俺は、命の話をしてるんだぞ? そんなに俺の話はお前にとって、聞く価値がないのか?」
兄上がこれまでになく怒っている事に気づいて、僕は笑顔を引っ込めた。
「ごめんなさい、僕。違う事を考えていて」
兄上は突然、側近の制服を脱いで、絨毯の上に叩き付けた。
この間、あのでかい男が死んでいた辺り。
「つまり、俺の話は本当に聞く価値もないって事だな! 頭に来た! 俺は辞める!」
部屋から出て行こうとする兄上を、側近達が押し止める。
「落ち着けっ……ザイオン!」
兄上が行ってしまう。
僕を置いて、遠い国に行ってしまう。『兄上』って呼ばなければ、学校を卒業する頃に、一緒に連れて行ってくれるって言ってたのに。
僕は泣きながら、兄上の足にしがみ付く。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
僕を引き摺りながら、兄上は部屋を出て行こうとする。
「ごめんなさい、これからはちゃんと聞きます」
「放せ馬鹿!」
足蹴にされても、僕は手を放さない。
「あに……ザイオンがいつものザイオンに戻ったので、僕は嬉しかっただけです。話を聞きたくないんじゃないんです」
何人もの側近の手に掴まれたまま、部屋を出て行こうともがいていた兄上は、ようやく止まった。
「俺は! ずっといつも通りだ! いつも通りじゃなかった事なんてない!」
そう兄上は言ったけれど、あのでかい男が死んでからずっと、兄上はいつも通りじゃなかった。
僕と同じように、側近達も、そう言いたそうな顔をしている。
側近の一人が、上着を拾ってそっと差し出す。
兄上はそれを受け取って、握り込み、しばらく黙っていた。
新人の側近は、驚いた顔で僕達のやり取りを見ている。兄上が、僕の兄上だという事は内緒の話だから、初めて僕達のこういうやり取りを見る人はたいていこんな感じだ。第一王子の僕に、側近の兄上が敬語を使わないのは不自然らしい。
他の側近達は慣れていて、何も言わない。
多分新人もすぐに慣れるだろう。
「手を放してください」
と言われたので、僕はそっと、縋り付いていた兄上の足から手を放した。
「第一王子らしく、ちゃんと、ソファに座って」
僕は床から起き上がって、そうする。
兄上は、側近用の制服をもう一度着る。
他の側近達は、ほっとした顔で兄上を見ている。
「課題をやれとかいう次元の話をしてるんじゃないんです。自分の命を大切にしろって言ってるだけです。危ない場所に居たり、避難せずに死にかけている奴をわざわざ殺したり、逃げている奴を王子殿下自身が、追いかけて殺しに行く必要はない、わかりますか?」
「わかります」
僕は素直に頷く。
「本当にわかってますか?」
兄上に念を押されたので、僕は言った。
「バルコニーは危ないので近づきません。危ないと思ったらすぐに待避し、死にかけた人はそのままにしておいて、逃げた人は見送って、近衛隊に任せます」
それで正解だったらしい。
兄上は他の側近達に、後を頼む、と言って疲れた顔をして部屋を出て行った。
その後、課題をやらなくても良くなった、という事はなくて、僕は血の滲んだ紙に、何十回も、今日の学校の授業でわからなかった言葉の書き取りをした。半分終わったところで、もう終わりでいいんじゃないかな? と、新人の側近に訊いてみた。
「……ザイオン殿に確認して来ましょうか?」
怯えた顔でそう言われたので、僕は溜め息を吐いて、仕方なく最後まで課題をやり遂げた。
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