34.01:悪い言葉
知らない女はこわい。
「ねえ。からおあksだ;jぎうふぁlkらのね」
何か一人でしゃべって、うるうるした目でみつめてくる。
返事ができないでいると、少しずつ、冷たい目になる。
「だから、ぴおあうぇrgvlk;b一緒にvczぉぴはえtんlk行かない? どう? 誤解しないでね。私だって、誰でも誘う訳じゃないのよ?」
何か言っているのは、音として聞こえているんだけれど、意味がよくわからない。
これは、昔からよくある事だった。
僕が人と少し違うのは、こういうところだと思う。
ザイオンには、知らない女は無視しろ、何言っているかわからないからって愛想笑いは絶対にするな、と言われている。
相手がかんちがいして、気がついたら結婚する事になるぞ、と。
モスタ王国でも、いつの間にかもう少しで、結婚させられるところだったから、慌ててカプリシオハンターズ共和国に、逃げ出してきた。
またそんな事になったら困るので、僕は黙って見返すだけにする。
「しゃべれないの?」
女は、だんだん意地悪な声になってくる。そうすると、聞き取れる単語が多くなる。聞き慣れている単語、というべきかな。
「残念ね。そんなにlk;bvczなのに。それとも、私の事、馬鹿にしてるの? ねえ、何か言いなさいよ?」
その口調が、あの女そっくりで、気分が悪くなる。
僕の『コロスリスト』ナンバー3の、僕の母親だ。
ちなみにナンバー1は、クロエの父親。
クロエや、クロエのお兄さんをひどいめにあわせた男には、いつかふくしゅうをしなくてはならないと思っている。
「シカト? シカトなの?」
女はののしり始めた。
待ち合わせ場所を、掲示板の近くにしたのが間違いだったのかもしれない。
狩猟民になったばかりの初心者が、掲示板前にたくさんいて、こっちを見ている。
この拠点にずっと住んでいる人なら、僕が、知らない女とは口をきかない事を知っているのに。
(クロエ、早く来ないかな?)
医療センターで、クロエがお兄さんの様子を聞いた後、一緒にクエストに行くことにしていた。
お兄さんは、この間モスタ王国の第二王子に蹴られた時、おなかの中が破れて、大変な事になったらしい。
第二王子の名前は、ウィルヘルムだっけ。
ウイリアムだっけ。
今は牢屋に居る。
一応弟だから、僕も時々お見舞いに行って、牢屋の前でにらみつけていたら、もう来ないでと泣いていた。僕に殺される夢を見るんだって。
もうすぐ首都にうつす、とヨアン保安官が言っていたので、会えなくなる前に、もう何回か行って、クロエに二度と近づかないように、言い聞かせてあげようと思う。
僕がクロエに会えなかった間に、三年も一緒にいたなんて、本当に腹の立つ奴だ。
火竜の頭みたいに、大剣でブチッと潰せたら、どんなに気分が良くなるだろうか。
「この私に、こんな恥をかかせるなんて! ちょっと顔がいいからって、いい気にならないで!」
さっきの女が、拳を振り上げながら突進してきたので、避けた。
勢いがついていたみたいで、広場にひっくり返って喚いている。
「殺すわよ、この童貞野郎!」
「うるさいなぁ」
黙って立っていただけなのに、なんでそんな事を言われないといけないのか、わからない。
「お前も一緒に、潰しちゃおうか」
上から女を眺めながら、うっかりと願望を口にしてしまった。
本気な事が伝わったみたいで、見返していた女の顔が青ざめていく。
「マックス!」
呼ばれて振り返ると、走ってくるクロエが見えた。
肩まで伸びた黒い髪が、揺れている。
彼女の黒い瞳が少し心配そうにかげっているのは、そばに倒れている女を見たからだろう。
「大丈夫? どうしたの?」
いつも僕を心配してくれる、優しいクロエは、容姿だけでなくて、声まで可愛い。
ギューッと抱き締めて、その髪や頬や、いろんなところに、たくさんキスしたい。鎧と服が、とても邪魔だ。クロエのスラリとした手足や、豊かな胸を隠してしまっている。一度だけ見た彼女の裸体を思い出して、ドキドキしてきた。
悪い事を考えている事がばれそうなので、僕は、顔をひきしめる。
「この人は、童貞野郎って言いながら走ってきたので、僕は避けました」
間違えた。
転けてから童貞野郎って言ったかもしれない。
クロエの、小さく息を飲む音が聞こえた。
何か良くない言葉なんだろうか。
「無視するからでしょう!?」
女は立ち上がって、また元気になる。
順番を間違えた事は、問題じゃなかったみたい。
「女から誘わせておいて、無視するって、いくら顔が良くても、それだけの男ね! 童貞だとしか思えない。笑えるわ!」
意味がよくわからないので、無視するつもりだったけれど、つい訊いてしまった。
「童貞って何?」
女の顔が白くなった。
掲示板の前にいる狩猟民初心者達も、こっちを見たまま静まり返っている。
「マックス」
クロエが、ギューッと抱き締めてくれた。
「無視で正解よ。変な事に巻き込まれずに済んで良かったわ」
クロエのサラサラの髪に、こっそりと唇を押し当ててみる。
医療センターに行っていたせいなのだろう、消毒薬の匂いがした。
「ザイオンが、気がついたら結婚する事になるから、知らない女は無視しろって」
「その通りね! 危ないところだったわ」
「クロエ……童貞って何?」
クロエが手を目一杯伸ばして、僕の頭をよしよしと撫でた。
「そんな悪い言葉は忘れてしまうのよ、マックス」
やっぱり悪い言葉なんだ。
クロエが、まだこちらを見ている女を怒った顔で睨んだ。女はぷいと横を向き、あっさりと掲示板前に引き返して、何事もなかったかのようにクエストを物色し始める。
「それよりね、マックス! お兄様の面会許可が下りたの! クエストは後にして、今から会いに行かない?」
「行く!」
僕達は仲良く手を繋いで、医療センターに向かった。クロエから手を繋いでくれたので、僕はとても嬉しかった。
結局、童貞が何かは誰も教えてくれなかったけれど、どれほど悪い言葉でも、ザイオンなら知ってるだろう、と思った。ザイオンは、大抵の事は知っている。
(ザイオンに、童貞の事を訊かなきゃ)
そう思っていたのに、思い出したのは、何日か経ってからだ。
「ザイオンは、童貞?」
僕は、訊き方を間違えた。
それが、本当に、とても悪い言葉だという事がわかったのは、その直後だった。
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