モブ令嬢と悪役令嬢(2)
王太子だったマクシミリアン第一王子の貴族学園卒業を控えて、モスタ王国の上位貴族議会では王太子妃候補の選定を行うことになった。
候補に挙がったのは、カラドカス公爵家の長女、ノーマだ。
ノーマはマクシミリアン第一王子と同じ学年で、優秀な成績を収め、何よりも本人が、王太子妃に選ばれる事を熱望していた。
「貴族学園での三年間、姉はマクシミリアン第一王子殿下と日々同じ教室で過ごし、機会をとらえては殿下に話しかけ、殿下も姉を拒まなかったため、お互いに恋心を抱き合っていると思い込んでいました。ザイオンがカラドカス公爵家の養子に入ったので、私も姉も続柄としてはザイオンの義妹に当たります。それで、マクシミリアン第一王子殿下は姉をザイオンの『いもうと』と認識し、ぞんざいに扱うことができなかったのでしょう」
アメリアは、涙は止まっていたが、ハンカチを握りしめたままだ。
「生徒達も、いつも一緒に居るように見える二人を仲が良いと捉えており、上位貴族達は息子や娘の話を聞いて、女性を忌避しがちなマクシミリアン第一王子が唯一心を開いた女性だと思った節があります」
アメリアとクロエはガーディアン事務所の三階にある会議室で、窓のそばに椅子だけを運んできて、向かい合って座っている。季節は冬だが、亜熱帯と言っても良い気候の地域なので、両開き式に開かれた窓から吹き込んでくる風は、少し涼しいかなという程度の涼しさだ。
経緯を説明するにはまず、姉ノーマの引き起こした婚約事件について話さなくてはならないと、アメリア・カラドカスは言った。
当初クロエは、もう終わった話だから説明しなくてもいいと固辞した。だがアメリアは、それならせめて私を殴るか罵るかしてください、と譲らなかったので、穏便に済ませたい一心でクロエは、説明してもらう方を選んだのだった。
(駄目よ、クロエ。面倒臭いなんて、思ってはいけないわ。アメリアはとても真剣なんだもの。国境を越えて、わざわざ会いに来てくれたんだし)
クロエは、そんな気持ちが表に漏れ出さないように、顔の神経を引き締めた。
(もうすぐお昼よね……)
今頃会議室の外ではマクシミリアンが、僕はお腹が空きました、などとヨアン保安官に要求して、ザイオンに小言を食らっているに違いない。
……集中力が途切れるので、とりあえず現在進行形の彼らについては思考の外へ追い出す。
「卒業を控えたある日の夜、議会から王太子妃候補の内定をもらって有頂天になった姉は、極秘だと言われたにも関わらず、本人としては良いニュースを『恋人』にもたらすつもりで、公爵家の名前と賄賂と使って女性の使用人に扮し、マクシミリアン第一王子殿下の私室に侵入しました」
「あらま。夜這いかぁ。それはマズい」
クロエは人ごとのように言った。
「王子の私室には、ザイオンと、上半身裸で彼の前に跪いたマクシミリアン第一王子殿下がいました」
アメリアは、やや気遣わしげにそう言う。
変な誤解を招かないかと心配したのだろう。
「あひゃひゃひゃ。……それはマズい」
思わず気の抜けた笑い方をしてしまった後で、クロエはキリッと顔を引き締めた。
ちゃんと服を着て人間らしくしろ裸でウロウロするんじゃないこれで何度目だと叱りつけるザイオンと、気がついたら服が無くなっていましたと言い訳して兄に許しを請うマクシミリアンの様子が、目に見えるようだ。事情を知らない人間がいきなりそのシーンだけを目撃したら、何を考えるだろうか。
笑い事じゃない。
「クロエ、バンカラになりましたね」
アメリアはようやく、それまでの悲壮な表情を引っ込めて、笑顔を見せた。
「毎日モンスターを狩っておりますから」
クロエは力こぶを作って見せたが、バンカラって? この世界でも通じる言葉だっただろうか?
「……姉は、まるで浮気現場を見つけたかのように、ザイオンをそれはそれは口汚く罵り、王子妃は自分に決まったのだから男妾は出ていけと、部屋の外に聞こえるほどの発狂ぶりだったそうです」
「マクシミリアンは裸がデフォだし、重度のブラコンだから、他人から見れば誤解されやすいかもね」
「まあ。まさか今でもそうなんですか?」
アメリアが、眉を顰めた。
「……最近は、かなりましになったかな」
クロエが『他の人に裸を見せないでね』とマクシミリアンにお願いしているせいか、部屋の外では服を着るようになった。重度のブラコンは、おそらく一生治らない。
「良かった。もう大人ですものね。身体だけではなく、心もちゃんと成長したんですね」
「……うん、多分」
クロエは明言を避けた。
「姉はその夜、拘束され、貴人用の牢に入れられました。マクシミリアン第一王子殿下とザイオンが王城から姿を消したのは、その直後です。二人とも、姉に聞くまでは婚約の事を知らされていませんでした。上位貴族会議では、マクシミリアン第一王子殿下が性格的に婚約を受け入れないであろう事は予想しており、殿下と仲の良い女性を選んで、秘密裏に外堀から埋めていくという計画を立てていたのです。それを台無しにし、王位継承者を国外逃亡に追い込んだとして、姉は責任を問われ、貴族学園を卒業目前にして退学、今も公爵家内で蟄居中です」
「それは少し可哀想よ。あの二人の亡命は昔から計画されていたものなのに」
国中を駆け巡ったであろう醜聞をクロエが知らなかったのは、噂話をするような友達がいなかったからだ。貴族学園に入学して初めて、『マクシミリアン第一王子が、見目麗しい側近と男同士で駆け落ちした』という級友達の会話を耳にした。その二人が、自分と関わりのあった兄弟の事だとは思ってもみなかったが。
「いえ、本来なら王族の私室に侵入するなんて、その場で斬って捨てられても文句の言えない行為です。それに姉は、カラドカス公爵であるお父様を苦境に陥れました。王宮内の第二王子派閥だけではなく、第一王子派閥までもがこの失態を責め立て、お父様は失脚に追い込まれたのです」
アメリアの口調は事務的だったが、その表情には怒りが滲んでいた。
「お父様が職を辞し、表舞台から消えた後、貴族議会では第二王子派が優勢となりました」
当時の出来事は、クロエも少しは知っている。
「私が第二王子の婚約者に選ばれたのは、娘を将来王太子妃にしてくれるなら、第二王子派閥に入るというルグウィン公爵家からの申し出があったからなのね」
アメリアは頷いた。
「おそらくそうです。第二王子派は、ルグウィン公爵家とその配下にある貴族達を味方につけ、ついに反対勢力を数の上で上回って、第二王子を立太子させました。それからの三年、第二王子派は多くの貴族を取り込み、勢いを増すばかりでした。第一王子の後ろ盾だった貴族達のほとんどは、その後唯一の対抗馬となった第三王子の支持派閥に加わりましたが、新旧支持者同士で意見の相違が多く、分裂状態に陥り、弱体化してしまいました」
クロエが貴族学園に在籍していた三年間、次期国王はウイリアム第二王子でほぼ決まったような状況だった。
そこに、第二王子自身が水を差す形で、勝手に婚約破棄してルグウィン公爵との約束を反故にしたのだから、派閥内外で資質を問う声が上がるのは当然の成り行きだ。
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