第三帝国の最後の砦、その中の覚悟
シュレンホルムは窓の外をほんの少し見た。既にあたりの建物は崩れ、今は姿こそ見えないもののソ連軍が攻撃を始めるのも時間の問題だろう。
すると、部屋に将校の革靴の音が響いた。
「やあ、シュレンホルム。どうだ、1杯付き合わないか。」
そう行って部屋に入って来たのは同僚のラドルフだ。左手には酒が、右手にはグラスが握られている。
「ああ。頂こうか。」
2人でベッドに腰掛け、不安定な布の上で酒を注ぐ。
「ん?これキリル文字が書いてあるぞ。もしかしてウォッカか。」
「ああ。奴らは嫌いだがこいつはどうも憎めない。美味い酒と女に国境も人種もあったもんじゃないさ。きっと、ソ連の赤共は俺らのビールで前夜祭の最中だろうよ。」
ラドルフはそう言って一気にウォッカを呷った。
「やっぱり私は止めておくよ。忌むべき共産主義者の酒など口には出来ん。総統閣下に――」
「申し訳が立たん、か?お前も律儀な奴だな。」
ラドルフはシュレンホルムに腕章を投げた。
「もう閣下はいらっしゃらない。そして第三帝国もあとはここだけだ。俺らがここで降伏しても、親衛隊たるSSのメンバーを生かしておくとは思えないね。ヴァイトリングもどうにかして脱出しようとしてるそうじゃないか。」
シュレンホルムは、ラドルフの血に汚れた鉤十字を眺める。
「虚しいもんだなぁ。閣下を守るため、国を守るためと人の道を外れたと思えば、閣下は自ら地獄へ行った。そして国は無くなる。俺らは無駄の最たるものさ。」
「いや、無駄じゃないさ。」
シュレンホルムは静かに口を開いた。
「俺はここで居場所を見つけた。例えやることが吐き気を催す程のクソさだったとしても、部隊にいることは幸せだった。分かってはいるさ。仮にここでソ連軍を数百メートル、数キロメートル後退させたとしても、それは無意味だということをな。だが、俺はSSにいたお陰で、皆と死ねる。お前ともだよ、ラドルフ。」
「勝手に殺すんじゃねえよ。」
ラドルフは掠れた引き笑いをした。
「ついこの間、閣下が亡くなられた日から、私達は死にっぱなしさ。だが、今日ここで、閣下ではなくドイツを守る為に生き返り、未来のドイツの為に死ぬのさ。」
「かあっこいいねぇ。皆お前位の本気な高尚な意思があればいいのにな。1階にいる紋章付きの奴らは死ぬ事が怖いらしいぜ。」
部屋から出て、本会議場の入口を見ると、土嚢のこちら側で銃を構えた親衛隊員が血走った目で外をみている。……死を恐れるが故の落ち着きと集中力であった。
すると、外からパーン、と乾いた銃声がしたと思ったら、忽ち豪雨の様な銃声と断末魔が聞こえてきた。
「やれやれ、ついに始まっちまったかよ。」
軍帽を被り、銃を肩にかけたラドルフが気だるそうに呟く。
「とりあえず外には高射砲がある。あれでしばらくは時間稼ぎ出来るだろ。それでもかなりの数の兵士か来るだろうさ。」
「ラドルフ、私は屋上へ行く。一緒にこい。」
「嫌だね。散々悪態をついた後で格好がつかないが、やはり俺は旗が真っ赤に変わるのは見たくないのさ。1分1秒でも帝国が息を出来るようにせいぜい頑張るさ。じゃあな。」
ラドルフはそう言い、振り向きをもせずに眼下の騒ぎに紛れて行った。
議事堂の入口が突破され、どこからともなく飛来したロケット砲によって鷲の紋章が虚しく崩れ落ちた。
「……野郎。」
シュレンホルムが小声で悪態をついていると、頬を銃弾が掠めた。
「あそこだ!上の階には将校がまだまだいる筈だ!根絶やしにしてしまえ!」
「ナチの豚ども、今日が貴様らの命日だ!」
怒号と共に更なる銃撃が浴びせられる。
シュレンホルムは射線から身を隠すと、頬を伝う血を拭うこともせずに屋上へと向かった。
屋上に行くと、鉤十字の旗の前で僅か数人の親衛隊が地上のソ連軍に攻撃していた。
そのうちの1人がシュレンホルムに気づくと、「ジーク・ハイル!」と叫び、他の兵士もそれに倣った。シュレンホルムはユーゲント時代からの古株で、親衛隊の中でも1目置かれる存在であった。
「ジークか……」
シュレンホルムはそう呟くと、親衛隊員にこう告げた。
「親愛なる親衛隊隊員よ。これからは、『|ハイル・ドイチュラント《ドイツ万歳》』と言え。」
すると、隊員の1人は酷く困惑した様子で、言った。
「シュレンホルム殿!そのフレーズは、反総統閣下派のものではありませんか!」
「いや、私はそういった意味で言えというのでは無い。閣下は死に、帝国はあとこの国会議事堂だけで、我らは最早ナチスの亡霊のようなものだ。恐らく、私も君たちも死ぬだろう。」
その言葉を聞いて、隊員たちに緊張感が走る。
「しかし、この死は無駄ではない。抵抗は無意味かも知れないが、我らの死は、ドイツ再建の礎となるだろう。我らの死を教訓にドイツは平和で強い美しいかつての姿を取り戻すだろう。
だから、言え。総統のためではなく、ドイツの為に!親衛隊最後の任務はこの旗を最後の1人まで死守することだ!」
シュレンホルムがそう言い終えたあと、砲撃の雨の中静寂が屋上を支配していた。
どれだけの時間がたったのだろうか。
「……ハイル」
1人。
「ハイル・ドイチュラント……」
また1人と。
「「「ハイル・ドイチュラント!」」」
全員の声がひとつになった。
「では総員、銃を構えろ!」
シュレンホルムの掛け声と同時に、議事堂の中からソ連兵が屋上に出てきた。
「………うっ……」
(手が、足が、動かない……)
自分は今倒れ込んでいるのか?それとも立っているのか?シュレンホルムはそれすら分からなかった。
(ソ連兵が突撃してきて、倒して、またきて、それで……)
記憶もあやふやだ。ようやく光を取り戻してきた目で見ると、自分は倒れ込み、左手は血まみれで動きそうにも無い。
(死ぬのか……これが、私の終着点か。)
そのまま、深い眠りにつこうとした時――――
「ついに……終わる……この地獄が…」
(………?何だ…?)
見ると――ソ連兵がソ連国旗を持ち、紋章の上に登ろうとしていた。
何をしようとしているのかは一瞬で分かった。
「……………さぁせるかぁっ……!!」
シュレンホルムは自分でもどこにそんな力が残っていたのか分からないが、立ち上がりピストルをソ連兵に向けた。
パァーン………
やけに乾いた銃声が響いた。
1拍置いてから、ゆっくりと、シュレンホルムは倒れ込んだ。
「くそっ。まだこいつ生きてやがった。おい、いいから早く旗を立てろ。この戦争に終止符を打つぞ!」
銃を撃ったソ連兵はボロボロの親衛隊員を乗り越え、旗を持ったソ連兵に声を掛ける。
「ああ。」
そして、斜めに持ったソ連国旗がベルリン国会議事堂の上にはためき、歓声が上がった。
先程撃たれた親衛隊員は、最早息をしてはいなかった。