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八片「女神の悲嘆と土師の決意」

「すごい揺れだったな……」

 阿戸は地震が収まると、頭を抱えて伏せていた体を起こした。

「そうだ、窯はっ!?」

 阿戸は身を起こすと、急いで窯へ駆け寄る。窯の内外の様子を細かく確認していく。僅かな亀裂も許されない。窯の役割は内部を高温に保つことである。ほんのわずかでも亀裂が入ろうものなら、土器や埴輪が上手く焼けなかったり、割れてしまう危険があった。

「……よかった。窯は何ともない」

 阿戸は安堵した吐息をもらす。そのまま、窯の近くで建てていた家を整える作業に戻った。焼き入れをしている間、寝泊りするための簡易な家である。里にある自宅よりも、一回りは小さい。しかし、それで十分だった。

 窯の火の番をするための、一時的な寝床である。里の家からこちらへ足しげく通うよりも、窯の傍に家を建てて冬を越した方が阿戸としても楽だからである。

 阿戸はかちかんだ両手に息を吹きかける。

「寒いな……もうすぐ、雪が降るかもな」

 阿戸は頭上を仰ぎ見る。雲と雲が一つに合わさり、厚みを増していく灰色の空が広がっていた。

「まぁ、岩永姫がいたおかげで二年半、食料には困らなかったけどな」

 阿戸が呟きながら小さく笑う。

 岩永姫は鉱石を通じて様々なものを感じ取ることができる。「どこにどんな動物がいる」「今は水を飲んでいるようだ」といった情報を阿戸に伝えてくれるため、阿戸は指示された場所まで弓矢を持って出向けばいい。後は息を殺し、上手いこと仕留めれば数日分の肉が手に入った。おかげで、冬の備えは十分である。

 阿戸は(なめ)した動物の毛皮で作った衣服を着込み、ひたすら家の茅葺を整えていた。吐く息は白く、空気は鋭く阿戸の皮膚を突く。真っ赤になった鼻面や頬がじんじんと痛んだ。

 作業に没頭していると、突然背後で何か重い物が地面に落ちる音がした。驚いて振り向けば、岩永姫が崩れるように地面に座り込んでいる。

「岩永姫? どうかしたのか!?」

 阿戸は慌てて岩永姫に駆け寄った。阿戸と喧嘩別れした三日前とは違い、どこか憔悴しきった様子である。

「頼む! 今すぐ、火を熾してくれ!」

 岩永姫のごつごつした腕が、阿戸に縋りついた。

 その必死な様子はただ事ではない。

「わ、わかった……火だな」

 阿戸はすぐさま頷くと、薪の束を両腕に抱えて窯の前に積む。細木を削り、その削りカスに持参してきた炭火を乗せ、そっと息を吹きかける。火の勢いが強まったところへ、空気の通りをよくしながら薪をくべていった。

「足らぬ! もっとじゃ! もっと大きな火を! それが難しければ数を増やすのじゃ!」

 無事に火がついたところで、岩永姫が叫んだ。

「もっとって……いくら寒いからって、そんな焚火をいくつも作ったらすぐに薪がなくなるぞ!」

「冷えるから言っているのではない! ならばせめて松明を! とにかく火を分散させてくれ! 速く! 奴らが来る前に!」

 まさに死に物狂い。岩永姫は首を傾げる阿戸を急き立て、いくつもの松明を等間隔に設置した。ちょうど窯と阿戸の作った家を囲むようにしている。まるでそこだけ、外界から隔離するために結界を張ったようであった。

「おい、さっきから一体何をしようと……」

 阿戸の耳にも獣の低い唸り声が飛び込んできた。弾かれたように周囲へ目を向ける。木や岩の影、さらにその先の木立の中で、狼たちがこちらをじっと凝視していた。

「お、狼の群れ……」

 阿戸の顔から血の気が引いていく。しかも見るからに普通の狼ではない。人間の背丈を超える巨狼など、阿戸はこれまでの人生で見たことがなかった。全身が真っ白な毛皮で覆われた狼たちは、明らかにこちらを取り囲むように近づいてきている。狼の姿を目にした阿戸は、岩永姫に指図されないうちに焚火や松明の火をさらに増やしていった。

 阿戸が獣除けのために火を熾した後、岩永姫はまるで本当の岩にでもなってしまったかのように動かなくなってしまった。じっと窯の前に座り込み、自分たちを取り囲む狼たちを見据えている。

「あの狼は……」

「わたくしの父神――山主神の遣いじゃ」

 岩永姫の低い声が、戸惑う阿戸に答えた。

「何で山主神の遣いがここへ? 岩永姫、さっきまでその山主神の宮に行っていたんじゃなかったのか?」

 阿戸の質問に、岩永姫はわずかな間黙り込んだ。

「のぅ、阿戸。わたくしの身体を作り変える準備は、まだできておらぬか?」

 ようやく口を開いたかと思えば、岩永姫はまったく違う話題を振ってきた。

「準備はできている。けど、まず俺の質問にも答えてくれよ! なんで山主神の遣いが俺たちを取り囲んでいるんだ?」

「わたくしを連れ戻すためじゃ」

 岩永姫の抑揚のない声が淡々と続ける。

「わたくしが父神さまに己の身体を作り変えると話すとお怒りになられてな。じゃが、わたくしはもう決意したのだ。何としてでも、生まれ変わってみせると……。安心せよ。山の神は火を嫌う。こうして火を絶やさなければ、父神さまの遣いがお主に危害を加えることはない」

「火を嫌うって……それなら、岩永姫はどうなんだ? 大丈夫なのか?」

 耳ざとく、阿戸はそこだけ聞き返してくる。岩永姫は苛立たしさを覚えた。

「まぁ……大丈夫ではないな」

 最悪の場合、そのまま死んでしまうかもしれない。

 そう力なくこぼした岩永姫の肩を、阿戸が強く掴んだ。

「何でそれを早く言わなかった! 俺がこれからしようとしていることは、あんたの身体を火で焼いて体を作っていくことだぞ!」

「承知しておる。お主は何度も説明してくれたではないか」

「だったら今すぐ、あの遣いの狼たちと一緒に山の宮へ帰るんだ! そして、もうこんなことは二度とするな!」

「嫌じゃ!」

 鋭い声で、岩永姫は阿戸の言葉を拒絶した。

 阿戸の腕を振り払い、顔を彼に向ける。

「そうして、何もせぬまま山に籠れと? そうして岩のように、ただ何もせぬまま永遠に在り続けろと? そんなこと、その辺に転がる石でもできることじゃ!」

 岩永姫は身を縮ませると、吐き出すように続ける。

「そんなこと、わたくしは断固として願い下げじゃ! 阿戸よ、わたくしはただ『在りたい』のではない! 『生きたい』のじゃ! 美しく、気高く、自らの自尊心を恥じ入ることなく、堂々と皆の前に立ちたいのじゃ! そのためにわたくしは皆の言う『美しさ』を手にしたい! 今を逃せば、わたくしは『わたくし』という誇りすら殺すことになるのじゃ!」

「岩永姫……」

 阿戸が呆然と岩永姫を見下ろす。そんな彼に、岩永姫は震える両手を伸ばす。岩でできた歪な腕で、阿戸の身体にしがみついた。

「頼む、阿戸よ……。わたくしは……一度きりでよいのじゃ。一度でいい。妹のように……誰かにあの優しい眼差しを……わたくしに向けてほしいのじゃ。こんな……こんな惨めな気持ちのまま……永遠に存在し続けるくらいなら、死んだ方がずっとマシじゃ!」

 己にしがみついて訴える岩永姫に、覇気はない。今までも妹や照守王のことを話すときはどこか寂しげな様子だったが、ここまで悲嘆に暮れた様子ではなかった。

「……命をかけてまで、やり遂げたいことなんだな?」

 己にしがみつく岩永姫を見つめ、阿戸は囁いた。岩永姫は静かに頷く。

「初めて会った時にも言ったが、成功する保証はない。それでも、後悔はしないか?」

「わたくしの意思は変わらぬ。それに、今まで阿戸がわたくしの望みを叶えようと苦心してくれているところを傍で何度も見てきた」

 岩永姫は顔を上げると、真っ直ぐ阿戸を見つめた。

「どのような結果になろうと、わたくしは甘んじて受け入れる。何より、わたくしはお主を信じる。お主はわたくしの願いを叶えることができる、この世で唯一無二の土師じゃ。わたくしの命を託すならば、お主を置いて他にはいない」

「……っ!」

 岩永姫の言葉に、阿戸は咄嗟に手で口を覆った。

 寒さのせいで赤らんだ顔が、さらにその色を増す。

「そういうの、反則だろ……」

 阿戸が居心地悪そうに視線をそらした。

「阿戸よ、どうかわたくしの願いを聞き届けてほしい。お主にしか頼めぬことなのだ」

 岩永姫は重ねて言った。

 阿戸も覚悟を決めた様子で、真剣な表情を岩永姫に向ける。

「わかった。君の望みに、俺も全力で応えよう」

 阿戸はきっぱりと言い切ると、岩永姫の両手に己のそれを添えた。自分に縋りつく岩永姫の両手を握りしめ、阿戸は岩永姫の傍で膝を折る。真っ直ぐ、岩永姫の顔を見つめた。

「俺の持てる知識と技術、その全てをかけて君を生まれ変わらせてみせる。だから君も、簡単に死ぬなんて言わず……どんなことがあっても耐えてほしい」

「ああ、わかった。阿戸……お主には心から感謝している」

 どこか安堵したような、穏やかな岩永姫の声が囁く。

「阿戸は、いつだってわたくしの言葉を真剣に聞き入れてくれる。その度に、わたくしの心はこんなにも晴れやかに澄み渡るのじゃ。お主と出会えたことは、わたくしにとってどのような(ぎょく)にも代えがたい宝物じゃな」

「っ……だから! そういうことは作業が無事に終わってからにしてくれ……」

 阿戸がどこか切なそうな顔で懇願するように呟く。

「……すぐにでも作業を始めよう」

 気持ちを切り替えるように、阿戸は岩永姫の腕を引いた。

「うむ、始めてくれ」

 岩永姫もまた、己の足で地面にしっかりと立ったのだった。

Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2022

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