三十三片「戦後処理と新たなる脅威」
五か国から豊稲国への侵攻を食い止め、二週間ほどが過ぎた。
大宮殿の謁見の間では、照守王を始めとした、朔、阿戸、手力、雷の四人が控えている。雷と手力より戦での損害報告を聞いた後、照守王は阿戸を振り向いた。
「阿戸、義姉上のご様子はどうであった?」
「化蛇姫の時よりは落ち着いている様子でしたが……」
阿戸は眉間のしわを深めて口ごもる。
この場に、岩永姫の姿はない。甥っ子や世話係の伊奈を心配して今日は東宮殿へ通っていた。阿戸としてもそれで気が紛れるならばと岩永姫の自由にさせていた。
現世で生きていくことを決めた岩永姫は、「死」というものにも向き合おうと気丈に振舞っているようだった。だが、まだやはり恐怖や悲しみから、しばらくは誰かの傍にいないと落ち着かない様子である。阿戸はそう正直に答えた。
「阿戸も特使として、大いにこの国の勝利に貢献してくれた。朔よ、できる限りの配慮を頼む。破壊された施設や物品の製作があるゆえ、阿戸にあまり休みをやれんのが気の毒だが……義姉上と少しでも時を過ごせるよう計らえ」
「仰せの通りにいたします」
照守王の命令に、朔が深々と一礼した。阿戸も礼の言葉とともに頭を下げる。
「さて、待たせたな。朔よ、件の話を皆に話して聞かせよ」
「はい」
照守王が朔の方へ顔を向けて促した。朔が居住まいを正す。すぐさま、その場に集まった皆の表情が険しさを増した。
「まさか、この期に及んでまだ豊稲国へ攻め入ろうとする連中がいるのですか?」
雷の警戒に、手力も傍らで頷いている。
豊稲国の戦勝は瑞津穂の地に轟き渡った。
船守国を筆頭とした五つの国を、山主神からの助力を受けてたった一国で退けたのだ。この戦で、豊稲国が山主神と和解したことが周辺諸国に広く知れ渡ったことで、それまで日和見を決め込んでいた国からぞくぞくと使者がやってきているという。
その中には、那国、湯土国、羽合国、霧国の四か国も含まれていた。四か国は舞い戻った兵士たちから事情を聞き、すぐさま豊稲国へ使者を送って照守王に降伏の意思を伝えた。
照守王はこれを承諾、豪族の地位はく奪とその土地で採れた特産物を豊稲国へ献上することで国土侵攻への賠償とした。この程度で済んだのは、山主神の石壁によって豊稲国内の田畑への被害がほとんどなかったためである。また四か国を吸収する形で領土を広げた豊稲国は、この四か国に対して豊稲国側が派遣した国造を置くことで地方統治を行う処置を取った。
「我が国に海上から侵攻してきた船守国についてです」
朔の言葉に、場の空気が一気に張り詰めた。鋭く目を細めた雷と手力の傍らで、阿戸も険しい表情を浮かべている。
「船守国は夜闇に乗じて、豊稲国への侵入を計りました。その作戦は、手力右将軍率いる右軍とエミツラ殿の機転もあってどうにか防ぎ、白蛇王はやむなく退却したわけですが……」
そこまで言って、朔の表情が強張る。
「動向を探らせていた埋たちの報告より……船守国が落ちたとのことでした」
「はぁっ!?」
「我が国に攻めてきておいて、自分たちが滅んだのか!?」
雷と手力は同時に呆れ返った様子で声を上げた。阿戸も開いた口が塞がらない様子だった。
そんな阿戸の肩上ではナキツラが両頬に手を添えて驚いた様子で身をそらしている。たぶん、本人は真剣な態度を示しているつもりなのだろう。
「一体、船守国に何が起こったのですか?」
阿戸の問いかけに、朔は驚く皆の顔を順に見回すと低い声で告げた。
「八雲国です」
阿戸が全身を強張らせ、血の気の引いた表情になる。
「八雲国が船守国に攻め入り、かの国を滅ぼしました」
淡々と告げる朔から視線をそらし、阿戸は顔を俯かせて握りしめた拳をじっと見下ろしていた。阿戸の異変に気付いたナキツラが、しきりに阿戸の頬を撫でてくる。しかし、今の阿戸にナキツラへ応えてやれる心の余裕はなかった。
八雲が……迫ってくる。
阿戸は己の手が白くなるほどに強く拳を握りしめた。
「八雲って、船守国と手を組んでいたのでは? 先日討ちとった琉蛇って将軍が、八雲国から仕入れた武器を所持していました」
「あの釣り竿みたいなやつか。あんな武器、初めて目にしたな」
雷が怪訝そうに指摘し、手力も腕を組んで首を傾げている。
「おおかた、一時的な同盟関係であったのだろう。白蛇王はもちろん、その親類縁者すべてに至って見せしめのために処刑されたようだ。そして、船守国は八雲国の兵士たちによって焼き払われたと聞いている」
照守王はすでに朔から報告を受けていたのだろう。深刻な面持ちで唸った。
「船守国が落ちたことで、八雲国が豊稲国にまでその勢力を拡大してくるのではないかと懸念しています。今回の国土防衛は成功しましたが……手放しには喜べない状況です」
八雲国の工業技術は瑞津穂の地において随一を誇っている。八雲国が大陸に近い立地であり、交易が盛んであることも一因だ。しかしそれ以上に、八雲国が各方面の技術者を大量に抱え込んでいることが発展の主な要因だろう。中でもここ数年の間、八雲国は鉄器の生産に力を入れているようで、琉蛇が仕入れたような鉄製の武具を大量に生み出していた。
「阿戸殿」
朔の呼びかけに、阿戸は弾かれたように顔を上げた。気づけば、その場に集まった全員が阿戸を気遣うように見つめていた。
「阿戸、お主をはじめ、我が国の技術者たちを八雲国へ明け渡すことなど絶対にあり得ぬ。無論、義姉上についても同じことだ」
照守王が確固たる口調で、青ざめた阿戸を見据える。
「聞けば船守国が抱えていた技術者も、八雲国が本国へ連れ去ったと聞く。噂では……八雲国に技術者を献上すれば、その国に対しては侵略せずに見逃すとまで言っているそうだ」
「はっ……胡散臭いですね」
雷が眉根を寄せ、皮肉を口にする。
「ここまであからさまな要求をしてくるとは……八雲国は何故そうまでして技術者を抱え込むのでしょうか?」
「私としても、その点が気がかりなのです。しかし、埋たちが潜入を試みようとしても上手くいきません」
手力の言葉に、朔が眉間のしわを深めた。
「埋たちが手を焼くとは……八雲にはそれほどの手練れが?」
「おい、雷。喜ぶな」
何故か前のめりになって表情を輝かせる雷に、手力の呆れ顔がため息をついた。
「いずれにせよ、我が国と八雲国が対立するということになれば、八雲国は必ずや阿戸や義姉上を狙うだろう。特に『女神の身体を作り変えた土師』は八雲にとって喉から手が出るほどほしいはずだ」
照守王の顔が初めて、大きく歪んだ。心底から腹立たしいと言わんばかりの表情である。
「義姉上と阿戸はこの豊稲国の希望だ。そなたたちを手放すくらいなら、八雲国と正面きって戦うほうがずっとマシだ」
「照守王さま……」
照守王の言葉に、阿戸は微かな笑みを浮かべた。
「王さまのおっしゃる通りです。一時の安寧を求め、八雲国のご機嫌を取ったところで……いつかは船守国のように飲み込まれるだけです」
照守王に続き、朔も苦い顔で吐き捨てた。よほど、船守国の最期に煮え切れないものを感じているのだろう。
「それで、この話……岩永姫さまには?」
「お伝えしておりません」
雷の質問に、朔はすぐさま首を横に振った。
「この話は、今この場にいる者にしかしておらぬ。戦の直後、八雲国に対して備えるにしても、復興活動や食料危機への備えが先だ。義姉上や兵士たち、民に必要以上の不安を煽るようなことは得策ではない。八雲国としても、我が国が山主神と手を取ったことを知ればすぐに攻め入ってくるようなことはせぬだろう」
この話は、皆の胸の内に留め置け。
照守王はそう言って話を締めくくった。
阿戸も皆に倣って頭を下げながら、険しい表情で床の木目を睨みつけていた。
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