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二十三片「エミツラの脱出計画」

 硬い音を立てながら、どのくらいの時間を掘り進めていたことだろう。

 岩永姫は閉じ込められた場所で、エミツラとともに小石を手にして一心に穴を掘っていた。ちょうど岩と壁の間に、徐々に埴輪一体が通れるだけの隙間ができてきている。あともう少しだけ穴の周囲を広げれば、エミツラだけでもこの場所から抜け出すことができるだろう。

「これくらいでよかろう……」

 岩永姫は手で穴を広げると、エミツラを見下ろした。

「エミツラ、お主の身体であればこの大きさの穴を通り抜けることができよう。どうにかして父神さまを説得してほしい。それか、阿戸のところへ行き、すぐに逃げるように伝えるのじゃ。できるな?」

 エミツラは頬に片手を当てて、岩永姫をじっと見上げる。すると何を思ったのか、岩永姫の下衣の裾を引いて洞窟の脇へと引っ張っていく。

「エミツラ、どこへ行くのじゃ! そちらではなく、この穴の向こう側じゃ!」

 岩永姫が困惑顔でエミツラについて歩く。エミツラは岩永姫の下衣を引っ張りながら、洞窟の端の地面を腕で示した。

「エミツラ、一体何がしたいのじゃ? ここに座って待っておれとでも言うのか?」

 眉間にしわを寄せる岩永姫に、エミツラは大きく頷いた。

「そんなことよりもわたくしの父神さまを止めることの方が先じゃ!」

 苛立った様子で叫ぶ岩永姫に、エミツラも譲らない。ひたすら岩永姫の下衣を引っ張り、しきりに洞窟の端の地面を腕で示していた。

「ああ、もうわかった! お主が戻るまでこうして端に座っていろということじゃな?」

 エミツラの指示通り、岩永姫が地面に腰を下ろす。すると、エミツラが満足したように頭を上下に振った。エミツラが岩永姫に座るよう指示した場所は、掘り進めていた穴より離れており、かつ出入口を塞ぐ大岩を左手に見た位置だった。

 岩永姫が座ったのを確認したエミツラはぴょんぴょん跳ねながら穴の方へ移動していく。その際、執拗に両手を突き出しては、何度も「そこを動くな」と岩永姫に指示してきた。

「心配せずともこうして座っておるから早く行け! こうしている間にも阿戸に危機が迫っておるのだぞ!」

 岩永姫がエミツラに叫ぶと、小さな埴輪の背が掘り進めた穴の向こう側へと潜り込んでいった。

「まったく……一体何を考えておるのやら」

 岩永姫が眉根を寄せてため息まじりに呟く。エミツラを見送ると、岩永姫は両膝を抱えてうずくまった。身動きが取れない状況がひどくもどかしい。

「阿戸……」

 こうしている間にも、阿戸の身に何か起こってはいないか心配で居ても立ってもいられなかった。山主神は比較的温厚な神だが、非常に頑固な一面もある。怒り心頭な父親が、何をしでかすか。それは岩永姫にも予測できなかった。

「うぅ……阿戸に会いたい……」

 一人でいると、嫌な想像ばかりが脳裏を過っていく。

 このまま、二度と阿戸に会えなくなってしまったらどうしよう。

「嫌じゃ……阿戸。お主と別れとうない……」

 せっかく思いが通じ合えたのに、こんな別れ方はあんまりである。自分の中で絶えず浮かんだ嫌な想像に、岩永姫が顔を伏せて縮こまった時だった。

 ひどい揺れが、山の宮を揺さぶった。岩永姫は咄嗟に跳ね起きる。

「まさか、父神さまか!?」

 岩永姫の心配を余所に、揺れはすぐに収まった。詰めていた息を吐いたのもつかの間、再び山の宮が激しく揺さぶられる。どうも断続的な揺れのようだ。まるで、巨大な何かが壁に体当たりでもしているような振動だ。心なしか、岩永姫のいる場所へとどんどん近づいてきているようだった。

「な、何じゃ? 一体……何が……」

 岩永姫が不安から洞窟の壁に背を預け、身構えた時だった。出入口を塞いでいた岩が粉々に砕けた。

「きゃあぁっ!」

 岩永姫は咄嗟に頭を両腕で庇った。砂塵が舞い、細かく砕かれた石の欠片が床一面に散らばる。周囲が静まり返ると、岩永姫は恐る恐る顔を上げた。

「なんと……父神さまの眷属の白猪ではないか……」

 岩永姫の目の前には、小高い丘ほどの巨大な身体を持つ猪が横たわっていた。全身が真っ白な毛で覆われた猪は、岩に体当たりをして目を回してしまっている。岩永姫は立ち上がると、気絶している猪の傍へゆっくりと近づいた。

「なぜ、いきなり突っ込んできたのじゃ……?」

 岩永姫が不思議そうに首を傾げていると、気絶している猪の背中でもぞもぞと動くものがある。じっと見つめていると、穴に潜って外へ出ていったはずのエミツラがひょっこり姿を現した。

「エミツラ!」

 岩永姫は目を見開いて、自分の腕に飛び込んでくる小さな眷属を見つめる。

「お主、一体どうやって……?」

 戸惑う岩永姫に、エミツラは左手に掴んでいた長い毛を見せた。間違いなく、気絶している猪の毛だろう。

「まさか……お主、この猪のどこぞの毛を無理やり引っこ抜いて怒らせたのか?」

 呆れ顔になった岩永姫に、エミツラは誇らしげに胸を張った。

「ふふ、猪には申し訳ないが……よくやったな、エミツラ!」

 岩永姫を脱出させるため、初めから自分より大きな体を持つ山主神の眷属を怒らせるつもりだったのだろう。岩永姫に座る場所を指示したのも、大岩の破片に彼女が巻き込まれないようにあらかじめ配慮しての行動だったようだ。

「勇敢で、頭のいい自慢の眷属を持ってわたくしは幸せじゃぞ」

 岩永姫はエミツラに頬ずりした。

 エミツラも嬉しそうに岩永姫にすり寄っている。

「さ、父神さまを止めに行くぞ!」

 岩永姫が顔を上げると、今度こそエミツラも手を上げて返事をした。

 エミツラを肩に乗せ、岩永姫は閉じ込められていた空間から飛び出す。山主神の神気を受けて輝く岩たちの間を駆け抜け、父神の過ごす部屋へと迷わず駆け込んだ。

「父神さま! どうか考え直して――」

「ほぉ、これが『れんず』なるものか!」

 山主神が普段過ごしている広間に岩永姫が駆け込んできた瞬間、父親の驚いたような声が響き渡った。岩永姫は呆気に取られてその場に立ち尽くす。

 彼女の目の前では地面に胡坐をかいて向き合っている山主神と阿戸、そしてそんな二人の間で甲斐甲斐しく世話を焼いているシカメツラの姿があった。

「実に面白い。わしが生み出す鉱石を磨き、こうして覗き込むと遠くのものが大きく見えるようになるとは……」

「『レンズ』は大陸よりさらに西に位置する異国で発展したものだと、俺のじいさんが話してくれました。用途によって形状を変えることがあるそうですが、このように鉱石を透明になるまで磨き上げ、片側を球面上にします。そうして差し込む光を屈折させることで物体を大きく見せたり小さく見せたりするのだそうです」

 阿戸はどこか嬉々とした様子で山主神に解説している。彼の傍らにはレンズの他にも様々な鉱石が散らばっている。それらをシカメツラが回収し、隅へまとめて整理しているようだった。

「ふむ、では次はこの鉱石だ。この鉱石の場合、そなたならばどのように加工する?」

「父神さま、一体何をなさっているのです?」

 岩永姫は呆れ返った調子で自分の父親の背に声をかける。

「む、岩永姫か」

 顔を上げた山主神が、呆然と立ち尽くしている岩永姫を見て眉根を寄せた。

「まったく、そなたは相変わらず堪え性がないな。部屋でじっとしていることもできないのか」

「岩永姫!」

 顔を顰める父親に反して、岩永姫の姿を目にした阿戸は安堵の表情を浮かべる。即座に立ち上がると、岩永姫のもとへ駆け寄ってきた。阿戸の腕が、岩永姫を強く抱きしめる。

「岩永姫、無事でよかった!」

「阿戸、わたくしはこの通り無事じゃ。お主の方こそなんともないか?」

「俺よりも岩永姫の方が深刻だろう! 身体の方は何ともないのか?」

 阿戸が岩永姫の全身をざっと確認すると、不安そうに岩永姫の顔を覗き込んでくる。シカメツラとエミツラは互いの無事を確認した瞬間、拳を作った腕を掲げた。おそらく、互いの健闘を称え合っているのだろう。

「わたくしは平気じゃ。それよりも、阿戸よ。わたくしに説明してほしい。一体これは……どういう状況になっておるのじゃ?」

「あ、ああ……山主神さまが課す試練を受けていたんだ。一応……」

 岩永姫の問いかけに、阿戸は苦い笑みを浮かべる。

 大方、回数を重ねるごとに試練であることを忘れて阿戸自身も山主神とのやり取りを楽しんでいたのだろう。シカメツラが整理していた鉱石の山には、明らかに阿戸が研磨したものが目立つ。

「長らく人の世と交わりを絶っておったが……人間たちがここまで鉱石の加工技術を向上させていたとは驚いた」

 山主神は目元を綻ばせながら、掴んだ翡翠の原石を眺めている。その表情には嬉しさもありながら、どこか悲しんでいるようでもあった。

「では父神さま、これでお分かりいただけたでしょう!」

 岩永姫は自分の胸に手を当てると、父の横顔を見据える。

「わたくしがこうして美しい姿を手に入れることができたのは、阿戸の優れた技術があってこそ! 神の器を作り変えたとて、死ぬことはないのだと証明されたわけです!」

 岩永姫の言葉に、山主神が露骨に眉根を寄せてため息をこぼす。

「まったく、我が娘ながら己の身体の異変にここまで鈍感とは……。いや、もしやわしの話を最後まで聞いておらんかったな?」

 戸惑う岩永姫に、山主神が呆れた様子で立ち上がる。手を取り合う岩永姫と阿戸に歩み寄ると、山主神は愛娘の頭にそっと手を乗せた。


「そこの土師にも説明したのだが……岩永姫よ、そなたは死にかけておったのだぞ?」


「……はい?」

 父親の口からもれた物騒な単語に、岩永姫は目を見張った。岩永姫の唇から間の抜けた声がもれ、やがて山の宮の洞窟の奥へと静かに消えていった。

Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2022

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