六片「女神と土師の口論」
阿戸の家で行った話し合いから、かれこれ二年と半年近い月日が経っていた。
岩永姫が豊稲国を飛び出した年の冬が慌ただしく過ぎ去り、翌年と翌々年の四季をおざなりに振りほどいて、阿戸はとにかく岩永姫の身体を作り替える準備に明け暮れていた。そんな彼を手伝うため、岩永姫も毎日のように阿戸の家に通っていた。
岩永姫が生み出す鉱石は、阿戸にとって材料を揃えるための重要な資金源である。岩永姫としても、阿戸が己の身体を作り替えてくれるために色々と苦心してくれているのを傍で見てきたのだ。そんな阿戸の働きに報いるため、自分の身体から生える鉱石を提供することなど苦にならなかった。
「そんなに鉱石を採って平気なのか?」
ある時、阿戸がどこか不安そうに岩永姫に尋ねてきたことがあった。
話を聞けば、鉱石とは一つの山で掘れる量が決まっているという。鉱石は有限であり、掘り尽くすともうその鉱床からは鉱石が採掘できなくなる。
これから岩永姫の体を作り替えるというのに、その元となる肉体の岩が枯渇してしまっては本末転倒である。それを心配してのことらしい。
「問題ないぞ。わたくしは周囲に漂う神気を自らの身体に取り込み、己の中で失った分の鉱石を再構築しておるのじゃ。人間も、怪我をしても傷口は塞がろう? それと同じじゃ」
岩永姫がそう返せば、阿戸は安心したような、それでいてどこか納得してもいないような妙な表情を浮かべていた。結局、その後は一切その話題に言及してこなかったので、岩永姫も気にしなかった。
さらに別の日には、阿戸は岩永姫から受け取った鉱石で何やら細々とした物を作っていた。人間の女性が身を着飾る際に用いる宝飾品だという。滑らかに磨き上げられていく翡翠の玉を見て、岩永姫は阿戸の傍でその作業を飽きもせずに見つめることが多くなった。
「阿戸の手は、まさに神の手じゃな」
出し抜けにそう呟けば、阿戸がひどく驚いた顔をした。
「はぁ? 俺は人間だぞ?」
「そうじゃな。じゃが、そうではなく……」
言葉とは難しい……、と岩永姫は頭を悩ませながら言葉を続けた。
「ただの石が、お主の手にかかるとまるで玉のように姿を変えていく。お主が一つひとつ丁寧に手掛けたものには、大気に満ちる神気も引き寄せられておる。素人のわたくしでもわかるぞ。阿戸、お主は本当に素晴らしい腕前の土師じゃ」
「なっ……これくらい、普通だ!」
岩永姫は阿戸を褒めたつもりだったが、何故か阿戸は顔を真っ赤にして声を荒げた。頬を赤らめたまま、阿戸は岩永姫から視線を外す。そのまま落ち着かない様子で作業に戻っていった。
岩永姫は何が阿戸の気に障ったのかわからなかった。岩永姫としては正直に思ったことを口にしたまでである。
ひとまず、翡翠の玉を作ることは人間にとって「普通」のこと。
岩永姫はその時学んだことを頭の中にしっかりと刻み込んだ。
阿戸は毎日、何かしらの作業に没頭していた。
岩永姫から受け取った鉱石を砕いたかと思えば、同じように砕いた他の鉱石と混ぜ合わせたり、時には火に入れてみたりを繰り返していた。
また別の日には、森の中で目を付けた木材を切り出していた。それを窯の中に入れて燃やし、「炭」と呼ばれる黒いものを大量に取り出していた。時には里の者からも、鉱石と引き換えに分けてもらったりしていた。
阿戸のやっていることを、岩永姫は全て理解できているわけではなかった。さりとて阿戸の作業はどれも新鮮で、岩永姫は見ていて飽きなかった。
何より、阿戸が作業している様を眺めていると不思議と心が落ち着くのだ。
彼と同じ空間にいるだけで、岩永姫の記憶の中で「醜い」といった照守王の言葉を一時でも忘れることができた。
「さて、今日はどのような作業をしておるのかのぅ」
今日も今日とて、岩永姫は愉快な心持ちで阿戸の家にやってきた。
阿戸は家の裏手にある森の中で、何やら地面を掘っていた。
「今日は一体何をしておるのだ?」
「ああ、岩永姫か。じいさんの形見を掘り出している」
阿戸は木板で掘った穴をさらに両手で掘り下げていく。すると、地面の下から細長い木箱のようなものが出てきた。阿戸は木箱を取ると、箱に巻きつけられた縄を、黒曜石を尖らせた小刀で切り裂く。箱から出てきたのは麻布に包まれた鉄製の槌や棒などの道具類だった。
「それは何の道具か?」
岩永姫は阿戸が箱から取り出した金属の槌を指差す。
「昔、八雲に住んでいたときにじいさんが使っていた道具だ。熱した金属を打ち付けるのに使う道具で、形見なんだよ」
「ほぅ……」
阿戸は掘り出した道具を再び丁寧に麻布に包み、木箱へ納めた。縄をかけて背に負うと、岩永姫を振り返る。
「今日は案内したい場所がある。今から平気か?」
「わたくしは構わぬぞ。ここから距離があるのか?」
「いや、山を少し上ったところだ」
そう言って阿戸は歩き出す。岩永姫も後に続いた。獣すら通らない叢をかき分け、急な斜面を登っていく。しばらくして、見晴らしのいい開けた場所に出た。切り立った崖の傍には、何やら見慣れぬものがあった。
「これは、窯か?」
里で見かけたものとは造りがだいぶ違う。
よく人間の王が隠れた際に、その身体を治める陵墓に似ていた。
「ああ。以前、粘土を分けてほしいって言ったのは覚えているか?」
「うむ。なかなか細かい注文だったのでな。よう覚えておる」
「ははは……。従来型の、山の斜面に穴を掘っただけの縦窯じゃ、内部の温度を高温に保てないんだ。それだとあんたの身体が、焼いている最中に破損する恐れがある。だから、粘土で作ったこの窯で焼くんだ」
「……そうか」
岩永姫の声が沈む。しかし、阿戸は背負ってきた道具を下ろし、作業の手を止めずに続けた。
「ようやく準備が整った。季節ももうすぐ冬で、空気も乾燥してきている。土練りから体を成形し、そこから水分を飛ばして乾燥させるのに冬場の乾燥した空気は最適なんだ」
「そうしたら、窯で焼くのか?」
「ああ。まずは素焼きかな。本焼きの前段階で、そこで一端適度な焼き加減を確認して、窯に入れた君の身体に釉薬を塗り付ける。防水のためだ。そこからさらに高温の窯で焼き、窯全体の温度を下げていって窯出しとなる。窯出しの後に、君の眼球やら髪やらを取り付ける作業をするから、場合によってはまた窯で軽く焼き入れを行うかもな」
「……そうか」
岩永姫は窯に顔を向けたまま、挫けそうになる心を叱咤した。
「では、長期作業となるな!」
「そうだな。でもこれが終われば、あんたは念願の『美しさ』を手に入れられるさ」
阿戸がくるりと岩永姫を振り返った。いつもは見つめられると安心する彼の視線が、この時ばかりはどこか恐ろしかった。
「のぅ、阿戸よ。わずかな時でよい。可能ならば、父神にご挨拶に行ってきてもよいか?」
もしかしたら、これが最後の別れになるかもしれない。
そう思うと、岩永姫はどうしようもなく父神に会いたくなった。
「は? あんた、今まで山主神のところから通ってたんじゃなかったのか!?」
作業をしていた手を止めて、驚いた様子の阿戸が叫ぶ。
「うむ。お主の迷惑になると思い、朝まで近場の山中で時を過ごしておったぞ」
小さくなって座っているだけなら、岩永姫はその辺の岩と大差ない。おかげで、以前はこちらから声をかけたせいで逃げられていた里の人々も、平然と岩永姫の前を素通りしていく。岩永姫から声をかけなければ、土師たちの里はむしろ心地よい隠れ場所とも言えた。
「なっ……なんでそんな馬鹿なことしているんだよ! 仮にも女神だろ! それに神さまならちゃんと宮から通って自分の身体を労われ!」
阿戸としては寝耳に水な話である。驚くのも無理はない。
しかし、これには岩永姫にも言い分がある。
「よ、嫁入りした身で、そうそう父神さまの宮へなど戻れぬわ!」
「意地を張ってる場合か! 何かあったらどうするんだよ!」
阿戸も退かない。何をそう怒ることがあるのか。
岩永姫には「人間」である阿戸の考えがまったく理解できなかった。
「お主、忘れておるようじゃが……わたくしは岩の神ぞ? いかな邪なる神であろうと、我が父神さまより受け継いだ神気を前にすればたちどころに消え失せ――」
「そうじゃない! 獣とかに襲われたり、変な輩に攫われて見世物にされたりするかもしれないって言ってんだ!」
岩永姫は呆然と阿戸を見上げる。
「人間が神であるわたくしを害することなどあるのか?」
それこそ、命知らずな奴もいるものである。
昔、山主神に無礼を働いた人間たちは、父神の怒りを受けて噴火した山々の溶岩に呑まれてしまった。神を怒らせれば、そのしっぺ返しが甚大な規模でやってくることを巫覡はもちろん、普通の人間たちも知っているはずである。
「俺と出会った時のことを思い出せよ! あんたを化け物呼ばわりして棒で叩いたことがあっただろう! 普通の人間は自分の理解の範疇を超えた存在を目の前にしたとき、自衛のために咄嗟に攻撃してくることもある!」
「……ああ」
言われてみればそんなこともあった気がする。
なにぶん、痛くもかゆくもなかったのですっかり忘れていた。
「この際だ、はっきり言っておく!」
不意に、阿戸が真剣な顔で岩永姫に向き合った。
「岩永姫、あんたは自分の存在価値をもう少し自覚した方が良い! これから容姿を妹さんと同じくらいの美しさに変えていくのなら尚更だ! あんたは周囲の悪意に鈍感すぎる! ついでに、人間社会の常識ももう少しちゃんと学べ!」
さすがの岩永姫も、阿戸の物言いにはかちんっときた。
「馬鹿にするでない! わたくしとて……人間の向ける蔑みや不快な言葉は理解できるぞ! 今まで長い時を生きてきたゆえ、人間たちの暮らしのことも多少は知識として心得ておる!」
「世の中、あからさまな悪意ばかりじゃないって言っているんだ! 時には相手を貶めるために笑顔で近づいてくるやつもいる! 善意の皮を被って悪意という刃を突き立てる隙を伺う者もいるって話だ!」
「もうよい! これ以上、お主の話は聞いていたくはない!」
岩永姫はそれ以上、阿戸の言葉に耳を貸したくなかった。くるりと背を向ける。
「二、三日中には戻る! わたくしが戻ったら、すぐにでも作業に入れるよう準備しておいてくれ!」
「おい、岩永姫! まだ話は――」
岩永姫を引き留めようと伸ばした阿戸の手が、空を切る。
何もない空間へ溶けて消えた岩永姫を見送り、阿戸は口をあんぐりと開けたまま呆けていた。
「消えた……」
阿戸は口をへの字に歪めると、ため息をもらす。
「……ったく、人の親切は最後まで聞けよ。もう勝手にしろってんだ!」
阿戸は岩永姫の消えた空間を睨み、苛立たしげに作業へと戻っていった。
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