十五片「初仕事」
めでたく眷属を得た岩永姫は屋敷までの道中、とてもご機嫌だった。調子のやや外れた鼻歌を口ずさみながら、自分の肩上や頭の上で同じように体を揺らしている埴輪たちと楽しそうにしている。その後ろを複雑な表情の阿戸が続いた。
「しかし……うまくいくとわかっていればもう少し大きく作ってやれたのにな」
「朔殿も言っていたではないか。体が小さければ小さいなりに役立つこともあると。何事も、適材適所というやつじゃ!」
岩永姫は笑顔でそう言うと己の肩上と頭上に乗った三体を振り向く。
「まだ生まれたばかりじゃからな。周囲の者たちの様子をよくよく見て、できることからやってみればよい」
エミツラ、ナキツラ、シカメツラが岩永姫の言葉に返事をするように片手を上げた。さすがに岩永姫のように喋ることはできないようだが、意思の疎通が図れることはありがたかった。
「雅が腰を抜かさないといいが……」
「私がなぜ腰を抜かすのでございますか?」
雅への説明を考えていた阿戸は、背後から急に声をかけられて跳び上がった。
「うぉっ!? み、雅……?」
「雅! 出かけておったのか?」
胸を押さえた阿戸と、その先を歩いていた岩永姫が雅を振り返った。
「驚かさないでくれ! いつも思うが、君はなんで気配なく人の背後に現れるんだ!?」
「申し訳ありません。昔から、存在感が薄いもので」
表情を変えることなくしれっと答える雅に、阿戸の呆れ顔が向いた。雅なりの冗談なのか、自虐的な物言いなのか判然としなかった。
「手に持っているそれは?」
阿戸は話題を変えるように、雅が抱えている壺を見て首を傾げた。
「醤にございます」
雅が表情を変えないまま、抱えていた壺を示した。
「そんな贅沢品……よく手に入ったな」
阿戸が目を見開く。
醤とは調味料の一種である。人間が食物を保存するために塩漬けし、その発酵した副食から作り出されたものだ。
瑞津穂の地において「醤」が作られだしたのは、稲作が全国各地で本格化した頃である。この時の原材料は肉や魚などを原料としたもので、特に島国である瑞津穂の地では魚介類を主原料とする「魚醤」が主流であった。
それから時を経て、大陸から麦や大豆などを主原料とする穀物由来の「穀醤」が伝わり、「魚醤」に取って代わって貴族や豪族などの食卓に上るようになった。
「岩永姫さまが織った布ですが……その布にも神気が宿っていたため、下手に市井に売ることができずにおりました」
雅が少しばかり困った顔で打ち明ける。
「粘土以外にも、岩永姫の神気が定着するものがあったのか!?」
阿戸はひどく驚いた様子だった。神気の見えない阿戸としては寝耳に水と言ったことだろう。星読宮での修行では粘土になかなか神気を定着できずに苦労していたと岩永姫本人からも聞いていたから尚更だ。
「神気が宿ると言っても、注意して見ておらねば気づかぬほどじゃ。眷属を迎えることを考えると弱すぎる」
当の本人はしれっとした態度で応じる。
阿戸は思わず、額を手で押さえた。
これだから神さまは、人間世界の常識が通じなくて困る。
「神さまの力が宿っているというだけで、この世ではその価値が何倍も跳ね上がるのですよ」
現世の物価事情に疎い岩永姫に対し、雅が困った様子で指摘した。
「そこで星読宮の巫覡長にご相談したところ、星読宮が岩永姫の織った布を買い取ることで話がまとまったのでございます。そこで今回は、こちらの調味料を謝礼として受け取ったのです」
「そうか……雅、気づいてくれてありがとう。今後も、岩永姫の作ったものは君の確認を取ってから扱おう」
阿戸が苦笑まじりにため息をついた。
「ということは、雅も大宮殿に来ておったのじゃな? もしや、作業場に来ていたのか?」
「はい。作業場でお二人の痴話喧嘩の声が聞こえましたので、様子を見に行ったのです。まさか王さままでいらしたのには驚きましたが……」
「……できればその件については忘れてくれ」
雅の言葉を聞くなり、阿戸が手で顔を覆った。公衆の面前でいつもの調子で岩永姫と言い合いになったことも理由の一つだが、何よりも阿戸が作った埴輪に命が宿ったと巫覡たちが大騒ぎしたおかげで無駄に担ぎ上げられる羽目になったのだ。
阿戸としては即刻忘れ去りたい記憶である。
「ほれ、エミツラ、ナキツラ、シカメツラ。こちらは雅、星読宮の巫覡であり、わたくしの侍女兼護衛じゃ。屋敷のことも色々と任せておる。彼女は優秀じゃから色々と学ぶとよいぞ!」
「初めまして。どうぞよろしくお願いいたします」
岩永姫に紹介され、雅も岩永姫の肩や頭にしがみついている埴輪たちに会釈した。埴輪たちが雅に挨拶を返すように手を振っている。
「では、本日の夕餉はこちらの醤を使った煮物に、市で買った獲れたての魚を刺身にしていただきましょう」
「ああ、そうしてくれ」
屋敷につくと、右軍の兵士たちが阿戸たちに一礼する。岩永姫の肩や頭に乗った埴輪を見るなり、兵士たちも興味深そうに目で追ってきた。
「ほれ、ここが我が家じゃ」
岩永姫が床に埴輪たちを下ろすなり、彼らはさっそくあちこちを駆け回る。初めて見るすべてが刺激的なのか、互いに手招きをしたりして室内の隙間に入り込んだりしていた。
「喋らないが、なんか一気に賑やかになったな……」
「わたくしに似て、好奇心が強いのじゃろうな。はしゃいでおる」
阿戸が呆れつつも、どこか微笑ましいと言わんばかりに屋敷の中を跳び回る埴輪たちを眺めている。その傍らで、岩永姫も笑っていた。
「雅、埴輪たちにもいくつか家事を手伝わせてやってくれ。そうやってここでの生活にも慣れてもらわないとな」
「承知いたしました」
阿戸の言葉に頷いた雅が、手を叩いた。すると、それまであちこち跳び回っていた埴輪たちが一斉に雅の前へ整列する。なかなか迅速な行動だ。
「埴輪さんたちは……体が土なので、水場以外のお仕事をお任せします。この乾いた布で、部屋の掃除をお願いします。エミツラさんは床、ナキツラさんは棚の上、シカメツラさんは廊下をお願いしますね」
三体の埴輪が一斉に手を上げて返事をした。雅から雑巾を受け取ると、脱兎のごとく各所へ散っていく。
「初仕事に気合十分じゃな!」
岩永姫が満足そうに頷く。
「そう言えば、埴輪たちの寝る場所とかはどうするんだ?」
夕餉の準備が整うまでくつろぐ阿戸が、ふと思い出したように岩永姫を振り向く。
「わたくし同様、睡眠は必要とせぬとは思うが……」
岩永姫が少しばかり考えるような仕草をした。
「夜間、屋敷内を警護してもらうつもりであったから、門に近い場所の方がよいな」
「部屋は余っているからな。一部屋あてがうか」
「そうしてもらうと助かる。では、わたくしは今のうちにあやつらの寝床を作ってやるかのぅ」
岩永姫は己の衣装箱から裁縫箱を取り出すと、余った端切れなどで埴輪たちの掛け衣などを縫い始める。楽しそうにそれらを繕う岩永姫の横顔を、阿戸は穏やかな表情でいつまでも眺めていた。
「旦那さま、姫さま!」
阿戸が夕餉を終え、岩永姫と他愛無い会話を交わしていた時だった。普段、あまり慌てることのない雅が、阿戸と岩永姫のもとに早足で駆け寄ってきた。
「お休みのところ、申し訳ありません」
雅が床に膝をつき、一礼する。その慌てている様子に、阿戸と岩永姫は顔を見合わせた。
「どうしたんだ? 埴輪たちに何か問題が?」
「いいえ、その逆でございます」
阿戸の質問に、雅はあっさり首を横に振った。口で説明するより、見せた方が速いと思ったのだろう。雅が阿戸と岩永姫を自室から連れ出した。
「ここ……こんなに綺麗だったか?」
廊下に出た途端、岩永姫が首を傾げた。塵一つなく磨き上げられた廊下や柱、床を前に、阿戸も感心した様子だった。
「黒ずんでいた箇所は磨いた後に油を塗ったのか……この香……椿油か? いつの間にそんなこと教えたんだ?」
「私ではありません。確かに、木造の床や柱を劣化から防ぐために油を塗ることもあるとは話しましたが……実際にやって見せたわけではありません」
雅の報告を聞いているうちに、廊下の向こう側から全身を埃まみれにした埴輪たちがぴょんぴょんと跳ねながらやってきた。
「エミツラ、ナキツラ、シカメツラ、これは全てお主らがやったのか?」
岩永姫の問いかけに、三体の埴輪たちは一斉に手を上げた。
「すごいじゃないか。話を聞いただけでここまで突き詰めてやり通すなんて……」
感心する阿戸に、岩永姫は笑った。
「まるで埴輪を作っていたときの阿戸と同じじゃな。やるなら徹底的に、手を抜かないところなどそっくりじゃ!」
「左様にございますね」
くすくすと笑う岩永姫に、雅が同意するように頷いた。阿戸はどこかこそばゆいような、居心地の悪そうな様子で苦笑している。
「本当に、お二人の性格を見事に受け継いだ子たちですね」
「……っ!?」
「んなっ!?」
雅のこの一言に、阿戸と岩永姫が同時に変な声を上げた。
顔を真っ赤にして振り返ってきた二人の主人に、雅はにっこりと笑いかけた。
「やはりお二人の深い『愛』が、眷属たちの性質に現れたのでございましょう。微笑ましいことです」
「いや、それは……」
「えっと……そうかのぅ……ははは」
ぎこちない仕草で互いに顔を背ける阿戸と岩永姫を、三体の埴輪たちは不思議そうに首を傾げて見上げていた。
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