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四片「女神と土師の契約」

「つまり、お前の話を要約すると……」

 地面に胡坐をかいて座り、両腕を組んで唸っていた阿戸が重々しく口を開いた。

「嫁ぎ先の野郎に妹だけは囲われ、姉であるお前は醜いと言われて追い出されたことが納得いかない。ならば自分も妹と同じだけの美しい容姿を手に入れれば、自分を醜いと言った連中を見返すことができる。だから俺たちの里で一番の腕を持つ土師に自分の身体を作り替えてほしい、と?」

「うむ、そうじゃ!」

 阿戸の要約に醜女(しこめ)――岩永姫は満足げに頷く。阿戸は上機嫌な岩永姫を見つめると、おもむろに両手で膝がしらをパンっと叩いた。

「お断りだ!」

「何故じゃ!?」

 はっきりと拒絶した阿戸に、岩永姫は大げさなほど身をのけぞらせる。

 しかし、阿戸としては当然の結論である。

「神さまのあんたには理解できないかもしれないが、俺たち土師は自分たちの仕事に誇りを持っている。皆の生活の助けとなる道具作りからお偉いさんが執り行う祭事に使う術具の製作まで、俺たちは自分たちの技術を最大限に生かして物を作ってるんだ」

 それを醜い自分の容姿を作り替えたいがために使われるのは、何となく釈然としない。それも理由が自分を馬鹿にした連中を見返したいだけなら、阿戸としては「ふざけるな!」と怒鳴りたくもなる。こちらとて暇ではないのだ。

「神さまの気まぐれにしたって、限度ってもんがある。まずは他人(ひと)に頼る前に自分で解決しようとしろよ。ましてや自分の容姿のことだろ? ならば余計に俺たち土師の分野じゃない!」

 阿戸は苛立たしげな様子で立ち上がった。背を向けて歩き出そうとしたところで、己の服を引っ張られる。

「嫌じゃ! そこを何とか頼みたい!」

「おい、離せよ!」

「引き受けてくれるまで離さぬ! 頼む、どうか今一度考え直してくれ!」

 岩永姫はごつごつとした岩の手で阿戸の服を掴んで離さない。

 阿戸も渾身の力で岩永姫の手を振り払おうともがく。

「報酬が必要というならばお主のほしいものを何でも用意する! どうかわたくしの願い、聞き入れてはくれまいか!」

「だから断るって言っただろう! 俺は別に報酬が欲しいためだけにこの仕事をしてるわけじゃない!」

 そこを何とか、と詰め寄る岩永姫。しつこい、と怒鳴る阿戸。

 阿戸は岩永姫を振り切って里に戻ろうとするが、さすがは神を自称するだけのことはある。大の男を相手に、岩永姫が引き留める腕の力は強い。阿戸が必死に足を動かそうとしてもまったくビクともしない。普通の女性ではまず難しい。

「っとに、いい加減にしろよ! 第一、なんでそこまで必死になるんだよ!」

 とうとう怒りが頂点に達した阿戸は、足を止めて岩永姫を振り返った。

「外見が醜くかろうが、美しかろうが死ぬわけじゃないだろう! どうしてそこまで自分の身体を変えたいんだっ!」

 阿戸は顔を顰めて怒鳴る。相手が生身なら感情に任せて三、四発は殴っていたところである。さすがに棒を跳ね返すほど硬い相手に、拳を振るえばこちらが怪我することが目に見えているので実行はしない。


「いいや、死んでしまうぞ」


 ぽつりと呟かれた言葉に、阿戸は苛立ったまま岩永姫を見下ろす。

「はぁ!? そんなわけな……い、だろ……」

 岩永姫の暗い眼窩が、静かに阿戸を見据えていた。

「それこそ、お主にはわかるまい。皆がわたくしの姿を見たときの言葉を、視線を、そして嘲りを。たとえ命を奪われることがなくとも、自分の中で何か大切なものが壊れていく心境であった。全身が冷たく、冬のように凍えていく思いであった。あくまで想像でしかないが……お主ら人間にとって『死』とはそのような感覚なのではないか?」

 岩永姫の言葉に、阿戸は何も言い返せなかった。さすがに神さまの感覚を理解することはできなかったが、岩永姫の言わんとしていることは察したつもりだった。

「お主の指摘も間違いではない。わたくしの外見が醜かろうと、わたくし自身が死んでしまうことはない。神ゆえ、飢えることも老いることもないからな」

 冷静になった今、岩永姫とて理解している。例え容姿がこのままで照守王にも受け入れてもらえずとも、山の宮へ帰れば今までのように父神の膝元で岩のようにただそこに在り続けることができる。

 むしろ、それが最も妥当な判断だろう。

 岩永姫は今まで通り、神として移ろいゆく季節も、死にゆく生物たちも、ただ一時の存在(もの)としてそれらを眺めていればいいだろう。

 岩永姫の脳裏に、己の腕を掴む幼い手が蘇る。


 ――お姉さま、春になりました。あの野原が一面、花で覆われております。見に行きましょう!


 己と違い、柔らかくあたたかな咲夜姫の手に導かれ、岩永姫は外の世界を知った。咲夜姫と出会わなければ、知ることのなかった色鮮やかな世界だ。

 咲夜姫と離れた、今ならわかる。

 あの瞬間、姉妹で見たあの景色に、岩永姫はどうしようもなく惹かれたのだ。

 阿戸の衣を掴む手にグッと力を込めた。

「これは、わたくしの意地じゃ」

 岩永姫はそこで自嘲するように笑った。

「それに……悔しいではないか」

 岩永姫が目の当たりにした色鮮やかな世界へ、妹だけが旅立っていった。今のままでは、岩永姫は咲夜姫の傍に立つことすら叶わない。それが口惜しく、同時に悲しかった。

「容姿が醜いというだけで、何もかも否定されるなど……わたくしは納得ゆかぬ。妹ほどの美人でなくとも、わたくしとて見目さえ整えば普通の女子(おなご)と同じように扱ってもらえたであろう」

 嫁ぐ際、山主神は岩永姫に「そのままでいい」と言っていた。しかし、それでは照守王や人間たちには受け入れてもらえない。それではダメなのだ。

「わたくしは、皆の前に堂々と立ちたいのじゃ! わたくしの見目が『醜い』ならば、皆が言う『美しい』姿を手に入れてみせる! その上で、わたくしは皆にちゃんと『岩永姫(わたくし)』自身を見てほしいのじゃ!」

 岩永姫は顔をそらすことなく、己を見下ろす阿戸を見上げた。

 阿戸は黙っていた。しかし、先程までの拒絶する素振りは見せない。ただじっと、岩永姫の本心を見極めようとしているかのようにこちらを見つめている。

「神さまの容姿を人間が作り変えるなど、前代未聞のことだ。上手くいく保証はない」

 しばらくして、阿戸は落ち着いた声音で断言する。

「構わぬ。やってみなければわからぬことゆえ、わたくしも甘んじて結果を受け入れよう。何なら今この場でもって、神詞(ちぎり)を結んでもよい」

 阿戸の言葉に、岩永姫は覚悟を込めて断言した。阿戸は小さく息を吐く。彼は静かに首を縦に振った。

「わかった。時間がかかっても構わないなら……俺があんたを手伝おう」

「まことか!」

 パッと全身で喜ぶ岩永姫に、阿戸は右手を突き出した。

「ただし、一つ条件がある。お前さん、仮にも神さまっていうならどこかの国のお偉いさんと交流があったりするか?」

「わたくしよりは……父神さまならば顔は広いだろうな。何せ我が父神――山主神は豊稲国を含めた瑞津穂の地に存在する全ての山を統べる神であるぞ!」

 岩永姫が誇らしげに体をそらした。たぶん、胸を張ったんだろう。

「とりあえず、アテはあるんだな。なら俺をどこかの国のお偉いさんに紹介してほしい」

 阿戸は己の胸に手を当てた。その顔が真剣さを帯びる。

「俺はこの山里で一生を終えるつもりはない。土師として宮中のお抱え技師になりたいんだ。そうして、後世まで俺の名を遺す! 神さまの身体すら作り出した土師……なかなか、いい売り文句じゃないか」

 阿戸はどこか爛々と燃え上がる双眸で、岩永姫を見据える。

「つまり、国を統べる王に、お主を腕のいい土師として紹介し、雇ってもらえるようにすればよいのか?」

「そういうことだ」

 岩永姫はわずかの間黙り込む。しかし、すぐに頭を上下に振った。

「わかった。必ず、そなたの働きに見合うようわたくしも尽力すると約束しよう」

 交渉成立だな、と阿戸が腕を差し出した。

「俺は阿戸(あと)。これでも里一番の腕だと自負している」

 阿戸が差し出した手を、岩永姫は不思議そうに眺めている。

「ああ……握手だ、握手。大陸の商人とかが、よく相手の手を握った挨拶をして親愛の意を示すんだよ」

 なるほど、と岩永姫がごつごつした腕を伸ばした。

 阿戸は伸ばされた岩永姫の腕を握る。

「わたくしは岩永姫じゃ! よろしく頼むぞ、阿戸!」

「まぁ、やるだけやるさ。俺との約束も忘れんなよ」

 こうして、岩永姫と阿戸の試行錯誤の日々は始まったのだった。

Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2022

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