二片「岩の女神の美容計画」
まだこの世が、神と人との領域への行き来が可能であった頃のこと。
瑞津穂の地には、中小様々な国が入り乱れていた。
最初の諍いは飢饉による食料確保のため、田畑や水を巡る生活に直結したものであった。それが次第に人口の増加による村の分裂となり、住み慣れた土地を離れた者たちは他国の肥沃な土地を奪う行動に出た。その土地にすでに定住していた人間を追い出し、その追い出された人々がまた別の土地を奪うと言った戦争の連鎖へと繋がっていったのだ。
人々はいつ攻め滅ぼされると知れぬ毎日に恐怖し、この世の神々の加護を得るために巫覡へと縋った。
巫覡とは、神々と霊的な契約を結んだ特別な存在である。
巫覡たちの祈りを通し、人々は神々の住まう「常世」へと働きかけた。そうして、人は神々と様々な「契約」を交わし、その加護の恩恵を受けた。
常世に住まう神々にも「天神」と「地神」がおり、自然界の力をその身にため込むことで「自我」を獲得した存在が「地神」であった。
その地神の代表格が、山主神である。
読んで字のごとく、山主神は豊稲国を含めた瑞津穂の地に存在する全ての山を統べる神であった。かの神が傷を負えば山が火を噴き、眼より雫を落とせば湧き水が生じる。その身にまとった神気により大地は緑で覆われ、数多の動物たちが山主神の庇護の下に暮らしていた。
ある時、新たな国を興したばかりだった豊稲国より、山主神へ使者が遣わされた。使者の巫覡は、山主神の娘神を豊稲国の王の妻に迎えたいと申してきた。山主神が愛情を注いで止まない二柱の女神を豊稲国の王の嫁に迎え、国土安泰を計ったのである。
当然、山主神は断った。
あまりの怒りに山が驚いて一つか二つ、噴火したほどである。
しかし豊稲国の巫覡もまた、かなり粘った。交渉に交渉を重ねた結果、山主神の娘神二柱はめでたく豊稲国へ嫁ぐことになったのである。
嫁ぐことには、なったのだが……。
「さて……照守王さまに拒絶され、見目を整えて出直すと勇んで飛び出してきたはいいものの。いかにすれば美しさとは手に入るものなのじゃ?」
嫁ぎ先である豊稲国の都を飛び出してきた岩永姫は、迷い込んだ山中でさっそく途方に暮れていた。当てもなく彷徨うことにも飽きたので、手近の池を覗き込む。
目や鼻はなく、人の輪郭を象った岩が水面に映った。全身に鉱石を生やし、陽光を受けてきらめく。
「……むぅ、別段、おかしなところはないと思うが……」
岩永姫の身体から生える鉱石を、父神は目にする度に褒めてくれたものである。
しかし、照守王にとってはこの外見がお気に召さないという。
人間は金銀銅やら翡翠やらの鉱物に目がないと聞いていたが、照守王は普通の人の感覚とは少し違うのかもしれない。仮にも一国を治める王である。常人とは違った美的感覚の持ち主なのかもしれない。
「ふむ……見返すと心に誓いはしたが……とりあえず、見た目を人間に近づければよいか?」
岩永姫としては、今の見た目が「醜い」ものであるということもつい最近知ったばかりである。ならば人間たちが口々に褒める、咲夜姫のような姿が「美しい」容姿ということでいいのだろうか。
「しかし、咲夜姫は野に咲く花も、木々から差し込む日の光に対しても『美しい』と口にすることがあったからのぅ」
岩永姫は混乱する頭で唸る。
咲夜姫も神の一族だ。
自然界に満ちる山主神の神気を「美しい」と褒め称えるのは神々の感覚なのだろう。人間の言う「美しい」の基準とは、少し違うのかもしれない。
「まぁ、そもそも人間たちは神気を見ることすら叶わぬからな」
神気とは、「生命力」とも言い換えられる。この世に命が芽吹くための気の流れを指し、この世に生まれた存在悉くがその身に宿す力である。
神気は神々が誕生する際にも必要となるもので、岩永姫の場合は神域へ籠った山主神の傍に在り続けた岩がその父神の力を受けて自我を得たために生まれた。そのため、岩永姫は山主神の第一の娘神として、山の宮において山主神の傍らに座すことを許されたのだ。
「うーむ……外見を変えるとしてもその方法がわからぬ」
岩永姫は再び歩き出し、山道をゆっくりと進みながら考え込む。
すると、嫌な空気が岩の体を撫でた。
ビクリと全身が強張る。
これは、何かが燃えている熱気だ。
「このような時に、山火事か?」
風に乗って届いてくる空気に、岩永姫は大岩の上に飛び乗った。辺りに素早く視線を巡らせれば、細く靡く煙が幾筋、ここより東の場所から立ち上っている。
「……もしや、人の里か?」
岩永姫は身を翻すと、険しい山道を軽やかに駆けていく。
里が近づくにつれ、熱気はきつくなっていった。
岩永姫は顔を顰める。
山の神々は火を嫌う。山々が火を噴いた時、山主神がひどく頭痛に悩まされた様を何度も目にした。山主神は山が噴火する度に、斎戒のために決まって山の宮の奥に籠られ、誰も傍には近づけない。
煙が立ち上る里の傍へ降り立ち、岩永姫は茂みの中に身を潜ませる。そっと様子を伺えば、複数の人間が何やらせわしなく立ち働いていた。
あの煙は窯に火入れをした際に出たもののようだ。
何かを焼いている。
窯の近くでは男たちがしきりに何かをこねていた。
「あれは……土か?」
岩永姫は男たちがこねているものに目を凝らす。
茶色の土をこね、指先を器用に使って何やら形を整えていっている。
それはどうも人形のようだった。
岩永姫が見守る前で、男たちはただの粘土から人や馬、壺などを象ったものを生み出している。それを乾燥させて、空いている窯へ詰め込んでいるようだ。
「ふむ……人間が作る『土器』とかいうものか?」
ここは土師の里のようだ。
土師とは、土器や埴輪を制作する技術を持った人間のことである。後に陵墓管理や祭祀を司るようにもなったが、基本は焼き物の技術を有する人間をこう呼び習わした。
岩永姫はしばらく、土師たちが立ち働く様を眺めていた。特に、土をこねている男たちの手元を岩永姫は凝視する。
「そうじゃ……あの技術を、わたくしの身体で行えないだろうか!」
岩永姫は己の手を見下ろし、再び作業をしている男たちへ視線を戻した。
まさに天啓。岩永姫は興奮を禁じ得なかった。
「そうじゃ。あの埴輪のように、岩でできたわたくしの見目を整えればよいのじゃ! この里一番の腕を持つ者に、わたくしの容姿を作り替えてもらおう!」
妙案とばかりに手を打ち鳴らし、岩永姫は男たちの作業を慎重に観察する。その一方で、どのように里の技術者に近づくか考えを巡らせるのであった。
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