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十九片「宮中潜入」

 豊稲国の総人口はおよそ八万弱である。これはこの時代の中規模国家としては平均的な国の人口数であり、中でも豊稲国の都とその近隣の村には約五万人の人々が生活している。

 豊稲国の中心地――大宮殿はその広大な敷地を高い塀と堀で覆い、国の治安を維持するために必要な部署が敷地内に分けられた区画内に設置されていた。さらに大宮殿の背後には切り立った双子山「左槍山」と「右盾山」があり、その双子山に守られる形で大宮殿は建立されている。

 その山々から流れる雫川が肥沃な土地を生み出し、川下に向けて広大な田園風景が広がっていた。さらに南下すると王家の所有する狩猟地である森と、星読宮が管理する天文塔が聳えている。そうしてさらに南へ下ると広い海原が見え、海岸沿いには石を積み上げて作った小規模な港が点在していた。その港に停泊する船から降ろされた積み荷を小舟に移し替え、雫川を上って宮中へと様々な物品を納品していた。獲れたての新鮮な海産物をはじめ、大陸からの渡り人がもたらしたという異国の品々が、広い雫川を遡って宮中へもたらされるのである。

 そんな大宮殿の一角で、機織り機の立てる規則正しい音が忙しなく響く場所がある。木造の建物の中には、等間隔に機織り機が設置されていた。忙しげに手を動かしているのは、年の頃なら十五、六の娘たちである。手を動かしながら、時折噂話などを話し合い、笑顔に花を咲かせていた。室内は機織り機の他に、娘たちの笑い声が絶えない。姦しいが、和やかなこの職場(雰囲気)を岩永姫はいたく気に入っていた。

(えい)、出来上がった布を至急、星読宮へお届けしてください」

「かしこまりました」

 岩永姫は先輩から織り終えた布の束を両手に受け取る。そのまま布を抱えて、機織り部屋を後にした。

 岩永姫の視界が、突如として開ける。

 豊稲国の都が誇る広い宮殿内の敷地。そこに建てられた大宮殿(おおみやどの)を中心に、左右で区分けされた宮中はまさに迷路であった。大宮殿を中央に、左には星読宮を始めとした祭事を司る役どころ、右は軍部などの兵舎が立ち並んでいる。

 特に今の宮中では、咲夜姫が隠れた(崩御した)ことで陵墓の建設が急がれている。絢爛豪華な織物に献上品、数多の玉をあしらった宝飾品、果ては大陸より渡来したと言われる貴重な銅鏡まで副葬品として納められるという。

 これだけで、咲夜姫がどれほど照守王に愛されていたか伺い知ることができた。さらには、悪しき御霊(みたま)が咲夜姫の眠る陵墓へ侵入することがないよう、豊稲国全土から集められた埴輪が続々と運び込まれている。宮中の西南に位置する作業場でも、朝から晩まで宮中お抱えの土師たちが汗水垂らして作業を進めていた。

 岩永姫は作業場の方へ視線を向け、そっと息をはく。

「阿戸は何事もなく入り込めておるだろうか……」

 宮中へ潜入して早くも二週間は経っている。

 岩永姫は二週間前に別れた阿戸とのやり取りを思い出していた。


 ――君が咲夜姫の姉『岩永姫』であることはしばらく伏せておいた方がいい。


 都にたどり着くと、阿戸は岩永姫にそう切り出した。岩永姫も阿戸の真剣な顔を見つめ、彼の言葉にじっと耳を傾ける。まずは宮中に入り込み、情報を収集する。阿戸の意見に、岩永姫もすぐさま賛成した。

「咲夜姫が何者かに殺された以上、その親族であると正面から名乗り出て堂々と宮中入りすることはかなり危険な行為だ。咲夜姫を殺した相手の正体が知れるまで、できる限り目立たず、家来として働きながら情報を集めよう」

 阿戸はそう提案してきた。あの山中で岩永姫を引き留めていた阿戸は、翌日には普段通りの様子に戻っていた。どこか吹っ切れたような、覚悟を固めた様子の阿戸を、岩永姫はこの上なく頼もしく感じたものである。

 岩永姫は機織り女「永」として衣司(きぬのつかさ)へ、そして阿戸は今回、宮中が人手不足のために募集した雇いの土師として、星読宮の祭事管轄処へと日をずらして潜り込んだのである。

 二人が情報のすり合わせのために会うのは、日が落ちてからだ。互いに会えそうな日は、星読宮の敷地内にある桜の木の枝に青い布を結び付ける。それが会おうという合図である。

 岩永姫は両手に抱えた布を見下ろす。出来上がった布は白だけでなく、山野で採れた植物で染めた赤や黄、紫の布と色鮮やかである。これらの布は祭事に用いるため、星読宮が衣司へ大量に注文を付けたのだと聞いた。

「ええっと、星読宮の入り口は……」

 岩永姫は布を引きずらないように注意し、星読宮の門をくぐった。

 高く聳える塀の向こう側では、巫覡たちが庭に設置された石でできた台のようなものを覗き込んでいる。日の傾きで時を知るためのものだという。

 寿命というものと縁のない岩永姫も、作物が育つ季節はだいたい把握していた。特に田植えの時期を知ることは、星読宮の巫覡たちが国王より命じられた役割の中でも特に重要である。その年に取れる作物の量で、冬の備えがどれだけ必要か、稲以外の代わりとなる作物を育てるかといった相談がなされるという。特に戦争が常に起こりうる時勢において、食料問題は常に頭を悩ませる問題であった。

「衣司より、織り上がった布を納めに参りました」

 岩永姫はもう慣れた調子で星読宮に常駐する兵士に頭を下げた。

「永殿、精が出るな」

 見張りの兵士が表情を綻ばせる。以前、星読宮の前でまごついていた岩永姫を案内してくれた親切な門兵である。岩永姫は微笑んだ。

「ありがとうございます。お勤め、ご苦労様です」

 岩永姫は布を抱えて星読宮へと入っていった。

「衣司より、織り上がった布を納めに参りました」

「拝見いたします」

 岩永姫に歩み寄って来た見習いに、持参した布を手渡す。見習いの女性は、受け取った布の出来をじっくり確認していた。

 その間、手持ち無沙汰となった岩永姫は星読宮の建物内をぐるりと見回す。太い木の支柱をいくつも立て、床として幾枚もの木板をはめ込んだ星読宮はいつも清潔にされていた。衣司にある機織り部屋も清潔さには気を使っているが、野外での作業場との行き来を重視した造りとなっているため、どうしても床は砂にまみれる。掃除のたびに、細かい砂を掃き出す作業がなかなか上手くできず、機織り女たちは愚痴をこぼすことがしょっちゅうだった。

「結構です。確かに承りました」

 確認が終わり、見習いの女性が静かに頭を下げる。

 岩永姫も相手に倣い、頭を下げた時だった。

(さく)さまのおなりである!」

 警備の兵が声を上げた。皆がサッと脇に寄る。

「こちらへ。中央を開け、壁に沿う形で並び一礼して待つのです」

 戸惑う岩永姫に、見習いの女性がそっと声をかけてくれた。岩永姫も慌てて壁際に寄って、皆の真似をする。

 床を踏みしめる音が聞こえる。長い衣を纏っているため、裾が床を擦る音が次第に近づいてきた。

「ほぉ……これは……」

 不意に、若い男の声が聞こえた。足音がぴたりと止まる。

 岩永姫は構わず頭を下げ続ける。視界に広がる床の上で、誰かの靴先が入り込んできた。

「……衣司の者、ですか?」

 若い男の声が、岩永姫の頭上から呟いた。

 岩永姫は緊張のあまり、ピシリと固まる。

「顔をお上げなさい。衣司の方」

 岩永姫は恐る恐る頭を上げる。思わず、声がもれた。

 目の前に佇んでいた背の高い青年は、穏やかな表情で岩永姫を見下ろしていた。

 星読宮の巫覡が纏う裾の長い青色の衣に、白い脚衣、腰に巻き付けた深緑の飾り布には星読宮に入宮した年の星図が刻まれている。長い髪を頭の高い位置で結わえた青年はその切れ長の瞳で絶えず岩永姫の挙動を観察していた。

「ふむ……あなたは、どちらのご出身ですか?」

「え、と……ここよりひと月はかかる山の中の村より参りました」

 岩永姫は丁寧な口調を心掛け、青年の質問に答える。咄嗟に、阿戸が考えてくれた言い訳をそのまま口にした。

「ほぉ。そのような遠路からはるばる……何故、宮中に?」

 青年が双眸をさらに細めた。岩永姫は全てを見透かすような瞳を前に、嫌な心地になる。とはいえ、位の高い者の問いには答えなければならない。今の岩永姫はただの機織り女「永」である。

「嫁入りのための修行にございます。小さいながら、地方を治める豪族の令息との縁談がございまして……」

 青年の目が岩永姫の身に着けている髪飾りに向いた。いくつもの鉱石をふんだんに使った一品は誰の目にも高価なものとして映る。岩永姫の嘘の身の上話も、この髪飾りの存在があるからこそ皆があっさり納得してくれていた。

「……そうですか。自ら修練を怠らない、その姿勢は感心です」

 青年はフッと小さく笑うと、岩永姫を見下ろす。

「数奇な運命があなたを取り巻いております。ですが、その意思の強さを忘れずにいれば自ずとよい成果を得ることができるでしょう。(たゆ)まず、修練なさい。決して、悪いようにはいたしません」

「は、はい……。ありがとうございます!」

 岩永姫は青年に深々と頭を下げる。彼の言っている意味はまったく理解できなかったが、とりあえずがんばれと応援してくれていると解釈した。

 岩永姫の返事を聞いた青年は小さく頷き、そのまま踵を返して星読宮を出ていった。

「あなた、よかったわね!」

「え? 何が、ですか?」

 傍らで同じように頭を下げていた見習いの女性が興奮した様子で岩永姫に詰め寄った。岩永姫はその勢いに押され、目を白黒させている。

「何って巫覡の長、星読宮の主たる朔さまから激励の言葉をかけられるなんて! 下々の者にはこの上ない栄誉ですよ!」

「巫覡の長……朔さま……」

 岩永姫は見習い女性の呟いた名前を復唱し、先程声をかけてきた青年が出ていった出口を振り返ったのだった。

Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2022

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