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十三片「急く心、遅々たる旅路」

「おい、岩永姫! そんなに急いだところで豊稲国の都まで道のりは一か月近くかかる! もう少し、歩調を緩めてくれ!」

 旅の荷を背負い、阿戸が後ろから声をかけてくる。

 岩永姫はぴたりと足を止めた。その場で体ごと阿戸を振り返り、その遅い歩みを苛立たしげに眺める。阿戸は山中の叢を掻き分け、岩肌をどうにか上って岩永姫に追いついた。肩で息をつく阿戸に、岩永姫は噛み付いた。

「阿戸、もう少し早く歩け! ぐずぐずしてはおれぬ!」

「ま、待てって……話を、最後まで……」

 両膝に手をつき、阿戸は苦しげに呼吸を整えている。しかし、そんな阿戸の様子も、今の岩永姫には見えていなかった。

「妹の咲夜姫の身に何かが起こったのじゃ! 姉であるわたくしが一刻も早く駆けつけてやらねば――」

「危ない!」

 すぐさま駆け出そうとする岩永姫のつま先が、地面の窪みに引っかかる。それを見て、阿戸が咄嗟に腕を広げた。転びそうになった岩永姫を、阿戸が寸でのところで支える。

「あ……」

「冷静になれ! 焦ったところで結果は変わらないだろ!」

 阿戸の怒った声が岩永姫を叱りつける。

「だ、だがっ……」

 身じろぐ岩永姫を抑えつけるように、彼女の身体を支える阿戸の腕に力がこもった。

「君の身体は以前と比べて格段に壊れやすいんだ! 今みたいに転んでヒビでも入ったらどうする! また山の窯へ逆戻りしたいのか!」

 阿戸のこの一言は利いたらしい。岩永姫は黙り込んだ。大人しくなった岩永姫の身体を、阿戸はゆっくりと抱き起こす。

「……」

 悔しそうに顔を顰めた岩永姫は、決して阿戸と視線を合わせようとしなかった。

 阿戸も小さく息をつく。

「あの木の下で、少し休もう。喉が渇いた」

「……」

 阿戸が先に歩き出すと、岩永姫は無言のままついてくる。阿戸は岩永姫の様子にひとまず安心した。

 木陰につくと背負っていた荷を置き、小川に両手を浸した。ひんやりとした冷たさが心地よい。そのまま両手ですくって水を飲む。里を出てから歩き通しだった阿戸の全身に染み渡る。喉を潤すと、阿戸は草の上に座り込んだ。

 疲れを知らない岩永姫と違い、阿戸の疲労はだいぶ溜まっていた。ぱんぱんになった足を軽くもみ、僅かに感じた痛みに顔を顰める。

「……ればよかった」

 阿戸の傍らで同じように草の上に座り込んだ岩永姫が、ぽつりと呟いた。

「ん?」

 うまく聞き取れず、阿戸は俯く岩永姫に振り向いた。

「何か言ったか?」

「……もっと早く、妹の傍に帰ってやればよかった」

 岩永姫はしばし黙り込んだ後、か細い声で囁いた。

「見知らぬ土地に嫁ぎ、心細かったやもしれぬ。父神さまより、妹のことを頼まれたわたくしが……豊稲国を飛び出したばかりに……」

「……たとえそのまま留まっていたとして、以前の姿では宮中に入れなかったかもしれないだろ?」

 阿戸の指摘に、岩永姫は黙り込んだ。

 豊稲国を治める照守王について、阿戸は岩永姫の話でしかその人物像を知らない。しかし、化け物じみた岩の身体であった岩永姫に対して、真っ向から「醜い」と言い放った王である。以前の姿の岩永姫を前に一切怯まなかったその胆力に関しては、同じ男として阿戸は照守王を評価していた。同時に、咲夜姫を溺愛しているらしい照守王は、たとえ愛する咲夜姫の姉であろうと、醜い姿の岩永姫が宮中に入ろうとすることを徹底的に阻止するだろう。

「咲夜姫は……無事であろうか」

 岩永姫は両膝を抱え、不安そうに呟く。思えば豊稲国に二人で嫁入りし、そのまま岩永姫だけ門前払いを受けたのである。そんな形で別れた妹の身を案じる岩永姫の心情を、汲み取ってやれないほど阿戸とて薄情ではない。何より「死」というものと無縁だった神生(じんせい)を歩んできた岩永姫である。そんな彼女に、今すぐ妹の死を受け入れることは難しいだろう。

「それを確かめに、こうして都を目指しているんだろ? 里を出る時に話していたじゃないか」

 里を飛び出す際、岩永姫が阿戸に告げた言葉を繰り返した。

 現状では、情報があまりに少なすぎた。

 阿戸としても確かな情報と断言できるまで、咲夜姫の死にはあえて触れないようにしている。少なくとも、憔悴しきった岩永姫が現実を受け入れられるまでは、彼女に寄り添う姿勢でいくつもりだった。

「当たり前じゃ。妹が隠れるなど、絶対にあり得ぬ。妹はわたくしと同じ、山主神の娘神じゃ……」

 案の定、岩永姫はそう言って首を横に振った。

 まるで自分に言い聞かせているかのようだ。

「それに……妹が隠れるようなことがあれば、照守王さまもさぞやお辛いだろう」

「は……? なんでそこで照守王の名前が出てくるんだよ。辛いのは君だろ?」

 阿戸は思わず岩永姫を振り返った。

 岩永姫は膝に顎を乗せたまま、弱々しく微笑(わら)った。

「照守王さまは、妹のことを……ひどく気に入っておいでだったから」

 そう呟く岩永姫本人が、ひどく苦しそうに顔を歪めた。

 そんな彼女の表情を見て、阿戸は眉間に深いしわを寄せる。

「……そうやって照守王のことばかり心配すんのな」

 阿戸はぶっきらぼうに返した。

「当たり前じゃ。照守王さまとて、己の妻に何かあれば悲しむであろう? わたくしも家族に何かあれば心配する。人間社会でもそれが『普通』であろう?」

 岩永姫は眉間にしわを寄せた。それが当たり前のことだと信じて疑わないようである。

 世の中、そんな人間ばかりじゃない……。

 阿戸は内心で毒づいた。

 そうでなくとも、照守王の抱える妃の数は多い。照守王のもとへ嫁いできた妃を全員集めると、大宮殿がもう一つ建つほどだと噂で聞いたことがある。中には周辺諸国の豪族の娘や、他国から人質として差し出された娘もいると聞く。

 そんな大勢の女性たちに囲まれている中、お気に入りの妃が一人死んだところで、照守王が悲しむかどうかなどわからない。それこそ、これ幸いと美しい娘を差し出す豪族でもいようものなら、照守王はころっと態度を変えるかもしれない。

 岩永姫の意見を否定するつもりはない。かといって単純に同意もできなかった。

「……のぅ、阿戸。すまなかったな……」

 岩永姫が口を開いた。まさか謝罪されるとは思わなかったので、阿戸はわずかに反応が遅れる。

「なんだよ、いきなり……」

「……思えば、里の皆はお主にとって家族同然であろう? わたくしが取り乱し、先を急いたばかりに、まともに挨拶もできなかったのではないか?」

 岩永姫に見つめられ、阿戸は苦笑した。

「あー……まぁ、確かに何も言わずに出てきたからな。だが、君はそんなこと気にしなくていい」

「そうはいかぬ! お主はわたくしの恩人じゃ! その恩人に対し、わたくしのした仕打ちは、とても許されるものではない……」

 阿戸の腕を掴み、岩永姫は身を乗り出した。そんな岩永姫に、阿戸は穏やかな表情で首を横に振る。

「大事な家族が死んだなんて聞かされたら、居ても立ってもいられなくなるだろう。俺もじいさんが死んだとき、なかなか……現実を受け入れられなかったから。だから君の気持ちもわかる。里の皆には、今回のことが落ち着いた後にでも、また会いに行けばいいさ」

「……そうか」

 岩永姫は呟くとそのまま黙り込んでしまった。阿戸は小さく息をついた。

「ほら、もうそうやって落ち込むなよ。こっちの調子が狂うだろ」

 阿戸の手が岩永姫の頭に乗る。岩永姫は己の頭を優しく撫でる阿戸を見上げた。阿戸が表情の沈んだ岩永姫に笑いかける。

「さっきまでの威勢はどこやった? 君の無茶ぶりには慣れているからいちいち気にするな」

「は? いや、阿戸よ……わたくし、お主が慣れてしまうほど頻繁に無茶なことを言った覚えはないが?」

 心底からわからないといった様子の岩永姫に、阿戸は笑みを深めた。まるでこちらをからかうような、どこか楽しそうな笑みであった。

「いやいや、出会い頭に『美しい娘に生まれ変わらせてほしい』なんて言って無理難題を押し付けてきたのはどこの誰だったかな?」

「う……いや、それは……だ、だが! こうして阿戸はやり遂げてくれたではないか!」

「ああ、やり遂げたさ。何せ相手は神さまだったからな。人間相手ならまず不可能だっただろうよ。もっとも、相手が神さまだったおかげで、人間の常識は通じないから色々と苦労したぞ?」

「ひ、人を世間知らずみたいに言うでない!」

「おっ、やっと自覚したか?」

「んなっ!」

 全身を揺らして笑う阿戸に、岩永姫はいじけたように唇を尖らせた。しかし、岩永姫も込み上げてくる笑いに、堪らず噴き出す。ひとしきり笑った後、岩永姫は柔らかな笑みを浮かべて阿戸に振り向いた。

「ありがとう、阿戸……。少しだけ、気が紛れた」

「……そうか」

 阿戸は岩永姫の頭をまた、そっと撫でた。そうして立ち上がる。

「お待たせ。そろそろ出発しよう」

「もうよいのか? 足が痛むのだろう? もう少し休もう」

 荷を背負って立ち上がった阿戸を、岩永姫が気遣う。少しは周りを見回すだけの余裕が出てきたのだろう。阿戸としてはそれだけで十分だった。

「どのみち、日暮れまでにはこの山を越えたい。ここを超えれば、しばらくは道なりが平坦になってくる。今のうち、難所は超えてしまおう」

 阿戸はそう言うと、岩永姫に手を差し出した。岩永姫は頷くと、差し出された阿戸の手をしっかりと掴んだのだった。

Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2022

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