二十七片「舞台劇」
謁見の間でのやり取りから、二週間が過ぎた。
都では大宮殿より国中に祝い事の報せがもたらされ、各村に向けて左軍部・右軍部の兵士たちがつきたての餅や団子を運んでいく姿が見られた。その大規模な様子に、都のみならず、各村においても祝賀を楽しむ雰囲気が高まっていった。
「きっと山主神さまのご加護があったにちがいない」
「照守王さまと山主神さまが和解されて、きっとこの国も安泰だ!」
「それもこれも岩永姫さまが橋渡しをしてくださったおかげとか……ありがたや」
国から配られた餅や団子を祀る者、早々に酒樽を持ち出す者など人々の反応は上々であった。
「照守王さまのご威光がこの地を照らせるよう、必ずや皆で食すように。その際、照守王さまを称えるために村々で大きな火を焚け」
各村へ餅や団子を配りにいった左軍・右軍の兵士たちがそう村人に触れ回った。
そうして宴の準備が整った二週間後、都でも大規模な宴を開くことになったのであるが……。
「岩永姫さま、ほら笑って! そんなガッチガチの無表情じゃ怖いって!」
筆と呼ばれる獣の毛を束ねたものを手に、御倉が困り顔を浮かべている。対して、彼女に化粧を施されている岩永姫の方はもう全身が岩に戻ってしまったみたいに硬直していた。
「そ、そのようなこと言われても……無理じゃ! わたくしに『やくしゃ』なるものは無理じゃ! 『えんげき』なんてやったこともないぞ!」
「いや、演じるも何も『岩永姫』なんだから大丈夫でしょ! ほら、埴輪たちを見てみなよ! すごいノリノリじゃん!」
御倉も呆れつつ、岩永姫を落ち着かせようと必死である。三体の埴輪たちは岩永姫手製の豪華な衣装を身に着け、うきうきした様子で「埴輪踊り」を踊っている。
岩永姫は渋い顔で踊る埴輪たちと御倉の顔を交互に見比べた。
「宴に余興はつきものです。どうせならこれを機に『悪い噂』も払拭してしまいましょう」
そう笑顔で提案してきた穂火の要請を受け、実施することになったのが「演劇」である。それも都の中央広場というなかなか人目も多い場所に、兵士たちが専用の壇を作っているから都でもすぐさま噂が広まった。
なんでこんなことになるのじゃ……。
穂火に協力してほしいと言われ、快く引き受けた岩永姫と阿戸だったが、まさか宴の余興である「演劇」に出ることになるとは思わなかった。
しかもよりにもよって演目は岩永姫と阿戸の恋愛模様を描いた物語だ。岩永姫と阿戸としてはやりづらいことこの上ない。
ちらりと横目で阿戸を見ると、彼も多々羅と穂火に連れられ、衣装合わせをしている。その表情はかなり嫌そうだった。それでも引き受けたのは、ひとえに国の存亡がかかっているからに他ならない。
うぅ……我慢じゃ、岩永よ。わたくしとて山主神の娘。人前で堂々としていることくらい造作もない。
「岩永姫さま、お願いだから眉を顰めないでよ。あと衣を握りしめないでほしいかな。しわが寄るから」
筆を持ったまま、御倉が指摘してくる。
今回のおびき出し作戦に参加することになった旅の一座も全面協力を約束してくれたため、岩永姫は穂火に促されて眷属である埴輪たちを多々羅たちに紹介した。
「やだ、可愛い!」
そう言って真っ先に飛びついたのは御倉だった。目を輝かせ、エミツラをそっと抱き上げると頬ずりしている。エミツラも嬉しそうに御倉の頬にぴったりと張り付いて甘えていた。
「この埴輪、どうやって作ったんです?」
多々羅に至っては戸惑う阿戸の両肩を掴んで詰め寄ると、真剣な表情で埴輪たちの生まれた過程をしつこく尋ねていた。目が本気だった、とは美夜の言である。
一方の美刀はシカメツラとナキツラによじ登られ、困り顔だった。それは不快さの類などではなく、下手に動いて埴輪たちが傷を負ってしまうのを警戒してのことだろう。両肩によじ登ってきた二体の埴輪たちが落ちないよう、必死の形相で固まっていた。
唯一、埴輪たちが警戒したのは美夜だった。
理由はわからないが、美夜が手を伸ばすと三体とも臨戦態勢をして威嚇してきたのである。
「あら、嫌われちゃったかしら?」
笑っていたが、美夜は少し寂しそうだった。
「エミツラさん、ナキツラさん、シカメツラさん。怖がることはありません。彼らは我々の『協力者』ですよ」
穂火の取り成しもあり、三体の埴輪たちは美夜への威嚇を解いたが、まだ警戒している様子で近づこうとはしなかった。
「よし! 皆、見て見て~!」
御倉が筆を置くと、舞台裏で準備をしている面々に声をかけた。皆が一斉にこちらを振り向く。
岩永姫は差し出された御倉の手を取ると、ゆっくりと立ち上がった。
翡翠色の上衣に、白い下衣。淡い水色の腰帯を締めた姿は控えめながらも凛として神々しい佇まいだった。阿戸が贈った翡翠の髪飾りとも合わせたために、非常に平衡がいい。
「どう? なかなかいい感じでしょ?」
「御倉、あなた衣装と化粧しか手伝ってないじゃない。元がいいのよ」
御倉がやり遂げ顔で胸を張る傍らで、美夜が呆れたように言った。
そういう美夜は咲夜姫役なので、岩永姫とは対になるように薄紅と白を合わせた衣装を纏い、ばっちり化粧も決めていた。
「よく似合ってますよ。まさに天女だ!」
多々羅は手を叩いて褒め、穂火と美刀も頷いている。
しかし、阿戸は目を見開いたまま固まっている。岩永姫も困ってしまった。
「あの、阿戸? どこかおかしいか?」
「ふふ~ん、岩永姫さまがあまりにも綺麗だから、見とれちゃってるのね!」
御倉の冷やかしに、阿戸は顔を真っ赤に染めて岩永姫から目をそらす。
「当たり前だろ……好きな女性なら、尚更……」
照れた様子で呟いた。
「あー……はい、ごちそうさまでした」
阿戸の呟きを聞いた旅の一座の面々が何故か両手を合わせてそう呟いたのだった。
「さて、一応これからの流れを軽く確認しましょうか」
穂火が雰囲気を変えるように軽く手を叩いた。
皆が表情を引き締め、穂火へ目を向ける。
「皆様すでにご存知の通り、『探女』なる女神は今、この豊稲国のどこかに紛れ込んでいます。彼女をおびき出すためにも、宴は盛大に、かつ皆が盛り上がらなければなりません」
「確かその女神は『黄泉の食べ物』ってやつを人間に食わせて操るんだろ? 米一粒なら、盛られる可能性もあるんじゃないか? そこは平気なのか?」
多々羅が穂火に尋ねる。正体を知ってからも、多々羅は穂火への言動を変えないことにしたらしい。本人曰く、「なんか癪だ」とのことらしい。
穂火も穂火で多々羅の態度が嬉しいのか、始終笑顔で頷いていた。
「その点も抜かりありません。巫覡たちが総出で食材の確認をしましたし、提供する食事は全て加熱調理されたものに限定しています」
黄泉の食物も、火で焼かれてしまえばただの消し炭となる。
それは昔、岩永姫が母神である野萱姫神から聞いたことのある話だった。
「それに食事処は竈の近くに設置しました。食事処だけにとどまらず、篝火を焚いて辺りは昼間のような明るさです。巫覡たちや兵士たちが目を光らせている中、不審な行動をとればすぐに確保するよう命じてあります」
ですから……、と穂火は不敵な笑みを深める。
「私たちは探女が動きやすいよう、人々の視線を一手に引き受けなければなりません。『敵』も賢いですが、罠と知りつつも動かざるを得ないよう、せいぜい盛大に演じ切ってやりましょう」
穂火はそう言って、照守王さながらの威厳で言い切った。実際、照守王を演じる彼は、わざわざ本人から借りた装束に身を包んでいた。本人のやる気も凄まじいが、面白そうだからと装束を貸した照守王も照守王である。
朔さまがよく許可したな……、と阿戸は呆れていた。
「この人、本当にノリがいいよね」
「まったくだ……この国の王さまがこいつでなくて、本当によかったよ」
御倉の呟きの後に、多々羅が神妙な表情で頷いた。
「岩永姫さま」
美夜がそっと耳元に唇を寄せてきた。
「演技の基本はその時の感情に身を任せること。岩永姫にとってはお辛かったことも、すべてご自身で受け止めて周囲にお見せすればよいのです。自然体の貴女を皆に知ってもらいましょう」
「うむ……心得たぞ、美夜」
岩永姫は美夜の助言に素直に頷いた。
「さ、そろそろ口上述べをするぞ」
多々羅が皆を見回して声をかけた。
「国の命運がかかった、一世一代の大舞台だ! 気合入れていくぞ!」
「おう!」
多々羅の掛け声に、皆が唱和する。
こうして、豊稲国の長い夜は始まった。
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