二十六片「穂火の奇策」
阿戸と岩永姫が山の宮から戻ってきたのは、その日の夕方だった。
二人が大宮殿へと報告に戻ると、謁見の間にはすでに朔たちの姿もあった。
「おお、二人とも戻ったか!」
岩永姫と阿戸の姿を捉えるなり、照守王は表情を僅かに綻ばせた。
「ちょうどよかった。今、皆で集めた情報のすり合わせをしようとしていたところだ」
雷も座した二人にそう言うと、手力が照守王へ顔を向けた。
「では、まず私の方から……」
手力はそうして居住まいを正した。
「各地で起こった人喰い『鬼』の件を調べ、得た情報を整理してまいりました。そこで、被害にあった村々には必ず、ある人物が度々目撃されていたのです」
「ほう、そのある人物とは?」
照守王が手力を促すと、手力は軽く頭を下げて告げた。
「『知流姫』と名乗る、旅の巫女だそうです」
「巫女だと?」
照守王が怪訝な顔で朔を振り向いた。
知流姫……、と朔が呟きながら、頭を捻る。
「……聞いたこともない名前ですね」
朔が首を傾げた。その柳眉が寄せられ、険しい表情になる。
「他国の巫覡はもちろん、各地を旅する巫女の情報はある程度把握しているつもりです。しかし、かの巫女の名は初耳です」
神気を見ることができる巫覡は、各国における重要な役職についていることが多い。ごく稀に、市井に身を置く巫覡もいるにはいるが、たいていは周囲の人間から持ち上げられることが常だ。
そんな巫覡たちにとって、他国の巫覡たちの動向は常に把握しておきたい事柄であった。
星読宮でも、国内の社に勤める巫覡たちはもちろんのこと、市井に身を置く巫覡たちの存在は記録、把握に努めている。ましてや力の強い巫覡はそれだけで警戒対象に含まれた。
「偽名という可能性もあるでしょう」
阿戸が口を開いた。
「先の旅人の遺品を山主神さまに確認して参りました。そこで今回の一件は『探女』という山神が絡んでいる可能性が高いと教えていただいたのです」
「なるほど……その探女という山神が、現世で巫覡に成りすましているということですか」
阿戸の説明に、朔も納得した様子で頷いている。
「探女、ですか。一体、どんな女神なのでしょうか?」
首を傾げる穂火の視線を受け、朔も軽く頭を振った。
朔も全ての神々の名前や存在を把握しているわけではないようだ。
「阿戸殿、岩永姫さま。探女についての特徴とか、性格とか……山主神さまは何とおっしゃっておられましたか?」
穂火は質問を岩永姫と阿戸へと向けた。
「父神さまのおっしゃるようには、根の国を統治する始まりの母神さまの腹心だそうじゃ」
穂火たちの視線を受け、岩永姫が解説する。
「この現世において実態を持たぬ女神で、『姥皮』と言う、死した相手の生皮を被って、その人物に成りすますことを得意としておるそうじゃ」
「死した相手に成りすます……!?」
「呆れた……密偵に打ってつけの能力じゃないですか」
手力が驚きに目を見開き、雷が嫌そうに顔を顰めた。
岩永姫は黄泉の米粒が入った革袋を掲げる。
「探女はこの黄泉の食物を現世の人間に食べさせることで、徐々に人間たちを操り、その支配下に置く。生きた人間の身体に隠れられたら、神格の強い神々でないと見分けがつかないほど巧妙な隠れ方をするそうじゃ」
「なんと厄介な……これでは打つ手がないではないか!」
照守王が椅子のひじ掛けを拳で叩いた。額を手で押さえ、呻く照守王に皆もかける言葉が見つからない。
義父上さまも対策は考えてくださると言っていたが……。
阿戸は眉間のしわを深め、拳を握りしめる。
そもそも実態を持たない女神を相手に、どう立ち回ればいいのか。まさに煙を掴むような、なんとももどかしい心地であった。
「王さま、一つ試してみたいことがあります」
深刻な顔で皆が黙り込む中、思案気な表情で虚空を見つめていた穂火が口を開いた。皆が一斉に顔を上げ、穂火を見る。
「申せ! 何かよい案があるのか!?」
照守王が身を乗り出しながら穂火を急かす。穂火は変わらず穏やかな微笑を浮かべたまま、逸る皆に言い放った。
「宴を開きましょう」
しんっと水を打ったような沈黙が謁見の間に満ちた。
「……は?」
間を開けて、照守王の呆けた声がその口からもれる。
「何を呑気なことを! この国の根幹を揺るがしかねぬ一大事にっ!」
「穂火さま、いくら何でも冗談が過ぎます……」
「さすがに、この状況で祝い事を行う気にはなれぬ……」
顔を真っ赤にして怒鳴った照守王を筆頭に、雷と岩永姫が呆れ顔で口々に言った。
「何もふざけているわけではございません。その方が、相手の油断も誘えますゆえ、提案したまでのこと……」
穂火は口元に笑みを浮かべ、あくまでも静かな声音で続けた。
「お忘れですか? 相手は黄泉の側に近いとはいえ、山神……つまり、火を嫌います」
穂火の指摘に、ハッと雷が息を呑んだ。
「……そういえば、件の死んだ旅人について目撃証言を集めていたとき、雨に濡れた彼を焚火の近くへ誘ったという商人がいたそうです。しかし、かの旅人は火には近づこうとせず、先を急ぐからと山道を下っていったという」
雷が聞き込みで得た情報を思い出し、口を開く。
「人喰い『鬼』の被害にあった村々でも、たまたま祭りで篝火を焚いていた村は被害を免れていたな。試してみる価値はありそうですな」
手力も思案気な表情で腕組みをする。
「そうです。ただ、探女に取り付かれている人間をあぶり出すのに、国民一人ひとりを篝火に近づけさせる手法は怪しまれてしまいます。そこで『宴』と称して各地に大規模な櫓を立てて燃やせば、国民は誰も不審には思いません」
穂火が不敵な笑みを浮かべて断言する。
「火から逃れようとする者を、捕えて尋問すれば手間が省けるでしょう」
「よし、朔。さっそく星読宮にて天候の安定する時期を見計らえ。宴の名目は……何がよいか……?」
「星読宮にて吉兆の報せが現れたと国民に報じ、国の繁栄を願って国中で宴を開くよう通達いたしましょう。幸い、今年の稲の収穫量は豊作。各村に都からついた餅を配り、祝いごとを促せばよろしいかと」
瑞津穂の地では、特別な日に餅や団子を食すことが慣習であった。それは祝い事だけにとどまらず、常世の神々や死者への供物にも用いられる場合があり、またその土地の実権を握る家主や地主が、ついた餅や団子を人々に配ってその権威を示すことにも用いられていた。
「よし、宴に関しては星読宮に一任する。左将軍・右将軍は全兵力を動員し、警備と火から遠ざかろうとする者を確実に捕縛せよ」
「御意」
雷と手力が床に両拳を付け、深々と頭を下げた。
「では、王さま。私もまた独自に動いても構いませんか? その際、岩永姫さまと阿戸殿にもお手伝いいただけると助かるのですが……」
「ふむ……二人はどうだ?」
照守王が岩永姫と阿戸に顔を向ける。
「わたくしは構いませぬ。探女を捕えるためなら、喜んで力を貸すぞ!」
「私も岩永姫と同じ気持ちです。何を手伝えばよろしいでしょうか?」
快く頷いた岩永姫と阿戸に、穂火が満面の笑みを深めた。
何か企んでいる、そんな笑顔を浮かべる穂火を警戒したものの、岩永姫と阿戸はこの時身を引かなかったことを大いに後悔したのだった。
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