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一片「岩の女神は宣言する」

 好奇心には、勝てなかった。

 輿を覆う布にそっと手で触れる。わずかにまくり上げた布の隙間から、ちらりと外を覗き見た。

 見えたのは、人の顔だった。

 それも一人や二人ではない。

 道の左右にずらりと並んだ人々がこちらを見つめている。

 皆、二枚の衣を重ね合わせ、腰紐でまとめた格好をしていた。男は頭に布を巻き、女は様々な髪型に結い上げている。

 皆が花弁を手にこちらの通り道を彩っていた。

 無数の声が何かを叫んでいるが、うまく聞き取れない。

 それでも、きっとこちらを歓迎してくれているのだということはその表情でわかった。

 その様が、非常に新鮮だった。

 山の宮にいた頃には、決して見ることのできない色鮮やかな世界。

 胸の高鳴りが、体を突き動かす。そわそわと揺れる己の身体を、抑えることができなかった。心が、全身が早く輿を出て、広い世界へ降り立ちたいと叫んでいる。沈黙と静寂を(たっと)ぶ山の宮とは正反対の、賑やかで(かしま)しい世界はきっと見ていて楽しいものだ。

「今はまだ……我慢じゃ」

 自分の中で高まっていく興奮を、垂れ布を降ろすことで押さえる。

 視界が布地の暗幕に覆われ、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 これから嫁ぐ先の王は、どのようなお人なのだろう。

 想像を巡らせてみようと試みるも、ぼんやりとした輪郭くらいしか思い描くことはできなかった。とはいえ、これから毎日見ることになるのだ。無用な心配だろう。

 それに、一人ではないのだ。

 妹とともに、この豊稲国(とよいなこく)の王を支えるため、こうして山の宮から人の世へと降り立ったのだ。父神の期待にも添わねばならない。上手くやれるかどうかはわからないが、最善は尽くすつもりでいた。

 乗っていた輿が、その歩みを止める。

 男たちの掛け声とともに、輿が地面におろされた。

 垂れ下がっていた布を、外に控えた女たちが取り去る。

 それを受け、ゆっくりと輿から出た。

 そこには大勢の人間が佇んでいた。こちらを見た皆が息を呑んでいる。周囲に控えた人々はそっと頭を垂れた。

 その中で一人だけ、こちらを見つめている男がいた。

 磨き上げられた黒曜石のようだ。

 岩永姫は目の前の男を見るなり、そんな印象を抱いた。

 美しい。その言葉さえ陳腐になるほど、目の前に立っている男は柔そうな外見とは裏腹に鏃のような鋭い雰囲気を纏っていた。その相反する姿がいい具合に調和している。白皙の美貌にキリリとつり上がった双眸がこちらを見下ろしていた。

 岩永姫は一目見て、目の前の男に惹かれた。

 この方の妻になるのだな。

 どこか漠然としていた理解が、後から追いついてくる。

 豊稲国(とよいなこく)の王――照守王(てるかみのおおきみ)

 岩永姫が妹の咲夜姫とともに妃として嫁いできた国の王であり、仕えるべき夫である。

「山主神が娘、〝岩永姫(いわながひめ)〟にございます」

「同じく、山主神が娘、〝咲夜姫(さくやひめ)〟にございます」

 肩を並べ、妹とともに名乗り上げる。岩永姫は垂れた頭をそのままに、ちらりと照守王を一瞥した。

 妹以外に、これほど美しい人間を見たのは初めてだった。

 照守王は貫頭衣の上から袖のある上衣をまとい、色鮮やかな腰巻でまとめている。金の装飾品で飾られた王冠が、陽光を受けて輝く。若いながら、まさしく王者の風格を纏う男であった。

 こちらの視線に気づいた照守王が、一瞬眉根を寄せた。慌てて視線を足元へ落とす。

 いけない、見とれてばかりいて肝心の挨拶が途中であった。

「豊稲国が偉大なる王、照守王さまのご尊顔を拝謁でき、恐悦――」

 輿の中で何度も練習した挨拶を口にする。すると、照守王本人がこちらの口上を遮った。

「よい、遠路よりはるばるご苦労だった」

 照守王はそう言うと、まっすぐこちらに歩み寄る。

 そうしてかの王は、迷わず妹の手を取った。

「え……?」

「あ、あの……」

 岩永姫と咲夜姫が同時に戸惑いの声を上げた。姉妹は思わず互いに顔を見合わせる。照守王は咲夜姫を立たせると、岩永姫に顔を向けた。

「貴様はもう帰っていいぞ。山主神(やまぬしのかみ)には必ずや咲夜姫を幸せにすると伝えろ」

 咲夜姫の手を引き、照守王がこちらに背を向ける。

 王の行動に周囲の家臣たちもどよめいた。

「お、お待ちください!」

 無礼と知りつつも、思わず立ち上がる。

「わたくしも、山主神の娘にございます!」

 去り行く背に、必死で呼びかけた。

 照守王が足を止め、こちらに顔だけを向ける。値踏みするようにこちらの全身を見回した後、照守王は目を細めた。

「だから?」

 照守王の視線を受け、思わず怖気づく。かの王の目は何の感情も宿していない。どこまでも無関心な様子だった。まるで、道端に転がる石を見つめているかのようだ。

「わ、わたくしも照守王さまの妃として、こうして……」

「ハッ、そのような化け物みたいに醜い外見で何を言うか。身の程をわきまえろ」

 照守王はこちらの言葉を鼻で笑う。侮蔑を込めてこちらを鋭く睨んできた。

「恐れながら、我らが偉大なる王へ申し上げます」

 一人の臣下らしき男が進み出た。薄い銅板をいくつも繋ぎ合わせた鎧をまとっている。どうやら武人のようであった。

「山主神との(ちぎ)りでは、二人の姫神さまを妻に迎えることを条件とされております。いかな王さまであっても、神々と結んだ契りを反故にされては――」

「あのように体中から鉱石を生やした女を妻に迎え入れろと言うか?」

 照守王は岩永姫を指差すなり、ひどく顔を顰めた。美しい顔だけに、余計にその顰め具合が凄惨である。

「欲しいなら貴様にやろう」

「あ……いえ、それは……」

 武人は岩永姫を一瞥するなり、途端に渋い顔になる。

 我が意を得たり、と照守王が笑った。

「我が所望するは咲夜姫ただ一人。美しい咲夜姫の姉だと聞いて期待していたが、こんな醜女(しこめ)を寄越すなど……山主神は美しい物を愛でる習慣がないご様子。今度、我が国一の土師(はじ)が作った器を献上するとしよう」

 照守王はまるで虫でも払うような仕草とともに、岩永姫に言い捨てた。

 岩永姫はグッと拳を握りしめた。

 いくらなんでも、父神を貶めるような発言は我慢できなかった。

「照守王さま、どうかお考え直しください!」

 照守王に腕を掴まれたまま、妹の咲夜姫がその袖に縋りついた。

「わたくしたち姉妹は父神である山主神より、二人で照守王さまの治める地を守護するよう命ぜられました! わたくしだけではその大業は成せません!」

 白磁を思わせる頬に涙の粒が滑り落ちる。照守王は一転して柔らかな表情を浮かべると、咲夜姫の目元を指先で拭った。

「ああ、美しき姫神、咲夜姫よ。姉を想うそなたは心まで清らかなのだな。神であるそなたにはわからぬかもしれぬが、王の傍らに立つ王妃の姿が美しいことは民を安心させることにも繋がるのだ。そなたの姉では王妃の役割は務まらぬ」

 照守王は岩永姫をぎろりと睨みつける。

「聞いたな。山主神へ伝えろ。『お心遣いは痛み入るが、姫神さまをお二人もいただいては山主神も寂しいことだろう。我が妃は咲夜姫だけで十分ゆえ、山主神の大切な姫神をお一人お返しする』とな」

 照守王は一方的に言い放つ。

 顔を伏せていた岩永姫が絞り出すように声を上げた。

「……つまり、わたくしも咲夜姫のように美しくなれば、王さまはわたくしを迎え入れてくださるということですか!」

 岩永姫は照守王を睨み据えながら、叫んだ。

「ふん……そのようなことが可能ならば、考えてやらんこともない」

「そのお言葉、お忘れなきようお願いいたします!」

 岩永姫は己の胸を叩き、照守王に毅然と言い放った。

「わたくしも山主神の娘! それ以前に、神であり、一人の女です! このような辱めを受け、黙ってなどいられませぬ! 王が求める美しさ、それすら成し遂げられぬようでは国を守るなどとうてい不可能! しばしの(いとま)をいただき、支度を整えて戻ってまいります!」

 覚悟なさいませ、と捨て台詞を残し、岩永姫は周囲が動揺する中を駆け抜ける。

 そのまま、大宮殿(おおみやどの)を飛び出していった。

「お、王よ。岩永姫をお引き止めください! もしもこの豊稲国に祟りでも降りかかれば……っ!」

「ふん、よい。捨て置け。岩の化身たるあの姿で、咲夜姫のような美しさなど到底手に入らぬわ。たとえ神の力で惑わそうとも、余があの醜女に靡くことはない」

 照守王は冷めた目で岩永姫の走り去った先を一瞥し、咲夜姫の腕を引いて大宮殿へ歩き去っていった。

Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2022

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