危険な惚れ薬
ざっくりとした設定です。軽い気持ちでお読みください。
森の奥にひっそりと建つ小さな小屋の呼び鈴が、リンと鳴らされた。
「はい、どなたですか?」
ガチャリと簡素な木のドアが開き、小屋の中から出て来たほっそりとした小柄な女性に、訪れた青年は声を落として尋ねた。
「ここで、惚れ薬を売っていると聞いたのだが。それは本当なのかい?」
「はい、確かにその通りです」
目の前でこくりと頷いた女性を、上質な着衣を纏った、高貴な身分と思しき端正な顔立ちの青年は、値踏みするようにじっと見つめた。どこにでもいそうな素朴な女性にも見えるけれど、噂に聞く惚れ薬というのは、どうやらこの女性が扱っているらしい。開いたドアの向こう側からは、確かに薬のような濃い匂いが漂って来ていた。
「では、ぜひそれを僕に売って欲しい。金なら幾らでも出そう」
やや憔悴した様子の青年は、切迫した声で女性に頼んだ。
女性は、視界の端に、青年から一歩下がったところで待機している従者の姿を捉えながら、少し戸惑った様子で口を開いた。
「ええ、構わないのですが。ただ、この薬は副作用が強いので、あまりお勧めはしていないのです」
「副作用だって?……飲んだら寿命が短くなるとか、身体に悪いとか、または醜くなるとか、そういった害があるのかい?」
「いえ、そういう訳ではないのですが、もう少しご説明しますと……」
「相手に実害がないなら構わない。効果は確かなんだろうな?」
「ええ、それはもう。必ず効くということは保証できます」
「では、今すぐにそれを持って来てくれ」
青年の強い口調に気圧されたように、女性はいったん小屋の奥に引っ込むと、白い粉の入った小瓶を手にして戻って来た。青年の目が、惚れ薬と思しき粉の入った小瓶を見て輝く。
青年を前にして、しかし女性はおずおずと切り出した。
「でも、貴方様のためを考えると、この惚れ薬はあまり……」
青年は女性の言葉に苛立ちを隠せずに、金貨が大量に入った袋を女性に強引に押し付けると、彼女に言い募った。
「相手の身体にも害がなく、必ず効くというのであれば、その惚れ薬を僕に売って貰おう。釣りは不要だが、もし効果がなければ、その金は返して貰うぞ、いいな。使い方は?」
女性は軽い溜息混じりに答えた。
「まず、貴方様がその白い粉を半分飲んでください。次に、その残りの半分を、貴方様の想い人に飲ませます。その粉は無味無臭なので、そのまま飲んでも構いませんし、何か飲み物に溶かしていただくのでも、どちらでも問題ありません」
「飲むと、どうなるんだ?ちゃんと相手を惚れさせられるんだろうな」
「はい。貴方様がお相手のことを強く想っていればいるほど、お相手の方は、必ず貴方様のことを好きになります。しかし、これは強い薬でして、その効果の見返りとして、貴方様は一生そのお相手に縛られ、もうその方から逃れることはできません。それでも構いませんか?」
「むしろ望むところだ。あのブリジットが僕の求婚を受け入れてくれるなら、僕は何を捧げたって構わない」
うっとりとした様子でそう呟いた青年に、女性はその小瓶を気乗りしない様子で手渡すと、最後に一言念を押した。
「その薬は、いったん使用したら効果は消せません。先程もお伝えしたように、副作用もありますし、貴方様の幸せを考えると、あまり使うことはお勧めしませんが、それでも本当に構いませんか?」
「ああ、構わないさ」
女性の言葉に鷹揚に頷くと、青年は小瓶を大切そうに握り締めた。
(どれだけ懸命に愛を囁いても、僕に見向きもしなかった、美しく気高いブリジット。彼女が僕を愛してくれるなら、僕はほかに何もいらない。副作用が何だとか言っていたが、ブリジットに害がないのなら、そんなものは知ったことか)
そわそわと浮かれた様子で小瓶を持ち帰って行く青年の背中を、女性は曇った表情で見送った。
***
惚れ薬を女性に頼みに来た青年の結婚式の噂を聞き付けて、女性はそっと遠くから、彼らの結婚式を見守っていた。
青年の横に寄り添うように立つ新婦は、晴れやかで嬉しそうな笑みを、その美貌いっぱいに浮かべている。しかし、主役のもう1人であるはずの青年は、どこかその表情を翳らせていた。
(やっぱり、薬なんかを使って、無理なことをするものじゃないわね)
溜息を吐いた女性の横に、先日青年の従者として控えていた男性が笑顔で現れた。
「どうしたの?そんな浮かない顔をして」
「また貴方でしょう、彼に惚れ薬の話をしたのは。いったい、これで何人目かしら?」
「まあ、いいじゃないか。君も、あれだけの金があれば、しばらくは薬の研究に打ち込めるだろう?」
女性は、昔、自分が狂おしい程に愛していた連れ合いの顔を、淡々とした表情で眺めた。自分に少しも振り向いてくれる様子のない素っ気ない彼のことを、信じられないほど好きだったあの時の気持ちが、彼さえ側にいてくれればと願ったことが、今ではもうまったくと言っていいほどに思い出せない。彼女を愛しげな瞳で見つめ、美しい顔で微笑む、今目の前にいる連れ合いに、必死になって惚れ薬を飲ませた遠い日のことを思い出して、女性は微かに苦笑した。
(私と同じ思いは、できれば他の人にはさせたくなかったのだけれど……)
女性は、副作用のことを今までに説明した客たちのことを思い起こした。誰もが皆、一様に口を揃えて、少なくとも自分にはそんな副作用は起きるはずがない、それでも構わないと言い張ったのだ。恋は盲目、とはよく言ったものだと、女性は苦々しく思った。
この惚れ薬の副作用……それは、自分の相手に対する想いが消え失せてしまう可能性が高いというものだ。要するに、これは互いに抱いている愛情の量を逆転させる薬なのだった。あの青年の表情から察するに、この薬を相手の女性に飲ませる前には、余程お相手から好かれていなかったのだろう。
男性は女性の腰に手を回すと、その額にキスを落とした。
「君が何を考えているのかは、まあだいたいわかるけれど。
……少なくとも、僕は今、君と過ごせて幸せだよ」
「ありがとう」
(彼の言葉は、せめてもの救いだわ)
女性は、彼を愛していた当時の気持ちを蘇らせる薬を、次こそは成功させようと心に誓いながら、優しい笑みを浮かべる男性の胸に、そっと自分の身体を預けた。