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人の皮をかぶったお化け

 証拠品も容疑者も、すべては警察の手に渡った。デイジーは自首し、ルースは罪を認めた。警官たちは荘園を去り、すべては解決したかに思えた。


 夜になり、D.M伯爵は僕にもうひと晩泊まるよう引き留めたが、丁重に断った。花火も見たことだし、何より原稿は伯爵に渡した。犯人の目星もついた。これ以上、留まる理由もない。


 するとD.M伯爵は、客たちを展示ホールへと集めた。


「すべてはたった1枚の絵から始まった。ならば最後も、絵で終わらせるのはいかがかな」

 D.M伯爵が言う。

「今回のことは、すべて私のメイドが引き起こしたこと。つまりは主人である私の責任だ。せめてものお詫びとして、皆さんに好きな絵を選んで持ち帰って頂きたい」


 伯爵がコレクションしている絵画は、どれも極めて価値の高いものだ。僕たちの心はざわめいた。礼儀として一度は断ろうにも、それで提案を引っ込められてしまっては、もったいない。受け取るにしても、我先にと出て行って選ぶのも品がない。オークショニアと劇作家、僕は、少しの間、互いに目配せをしていた。


 D.M伯爵は、そんな僕たちの様子を見て、軽く笑った。

「では、こうしよう。まずは小説家の君に、僕から1枚プレゼントするよ。今回、一番迷惑をかけてしまったのは君だからね。他のおふたりは、好きな絵を選んでくれたまえ」


 伯爵がパンパンと手を叩くと、執事が赤いベルベットの袋に入った絵を持ってきた。そして、それを一度みんなに見せてから、もう一度袋に収め、僕に渡した。


「この薔薇の絵の作者は、有名な画家であると同時に、詩人でもあった。要するに、2つのジャンルで活躍した人物だ」

 D.M伯爵はなぜか、「2つの」というところを強調した。

「これは私が2番目に好きな作品だ。ミューズに次ぐ作品を、君に贈らせてほしい。どうか断らず、受け取ってくれたまえ」

 ……


 家に帰る馬車の中、僕はまだ夢見心地だった。

 腕の中には、ずっしりとした絵画の重みを感じる。

 突然、馬がいななき、馬車が急停車した。僕は衝撃で危うく、ひっくり返りそうになった。絵の無事を確認しながら、首を伸ばして御者に尋ねる。

「どうしたんです?」

 返答の代わりに、御者の怒鳴り散らす声が聞こえてきた。

「何やってんだ! 死にてえのか!」

 僕はもう一度尋ねた。

「何かあったんですか?」

「頭のおかしなヤツだ。ちょっと見て来る」


 御者は、悪態をつきながら馬車を降りた。

 僕はてっきり、激しい怒鳴り合いが始まるものとばかり思ったが、御者の声はすぐにパタリと止んだ。


「御者さん? 大丈夫ですか?」

 不安がよぎり、馬車から顔を出そうとした、その時。

 黒い人影がいきなり、僕に襲いかかってきた。

 後ずさる間もなく、突然、馬車が動き始める。ちゃんと座っていなかったせいで、僕は床に転げ落ちてしまった。氷のように冷たいナイフが、僕の首に突きつけられる。


「絵を渡せ!」 

 後ろからガッチリと僕を押さえつけ、低い声が言った。

「誰!?」

 僕は相手が誰なのか見極めようと一生懸命もがいたが、頭を押さえつけられていて身動き一つ取れない。馬車は、どんどん先へと走っていく。御者は一体どうなってしまったのか。

 その時、鼻先にかすかに鉄さびのようなにおいを感じた。僕は思わず息を飲んだ。においの正体が血液だとわかり、抵抗する気力を失う。

「や、やめてください、話をしましょう」

「絵を渡せと言ってる!」

 暴漢は聞く耳を持たず、狂ったように叫んだ。すでに血に染まっているナイフが、僕に突きつけられる。

 チクリとした痛みとともに、首筋を何かが伝い落ちる感覚。

「絵なら、あります! こ、ここに!」

 僕は恐怖のあまり、悲鳴に近い声を上げた。絵の額を握りしめていた手を、急いで緩める。

「持っていってください!」


 叫ぶと同時に、僕の身体にのしかかっていた重みが消えた。ようやく息ができると思ったら、今度は足で頭を踏みつけられ、再び床に顔をぶつけた。


 何とか振り向くと、覆面をかぶった黒服の男が両手で絵を持ち、取り憑かれたようにつぶやいている。

「ついに俺の物になった……」

 ナイフで荒々しく額縁を破壊する。しかし次の瞬間、男はピタリと動きを止めた。そして慌てた様子で何かを確認すると、叫び声を上げながら僕の髪をつかみ、思いきり引っ張った。ものすごい力で、頭皮が引きちぎられてしまいそうだ。

「中の絵はどこだ!?」


 男は僕の耳元で、鼓膜が破れるかと思うほどの大声で叫んだ。耳の奥が痺れ、少し間を置いて、次第に脳が働き始める。

「何のことです」

 僕は座席の上の、薔薇の油絵を横目で見た。

「絵はそこにあるじゃないですか」

「それじゃねぇ! ミューズはどこだ!?」

 そのときだった。不意に僕は男の正体に気がついた。必死に顔を見ようとする。

「あなたは──」

 夕日の中、眼前にギラリと光る物が見えた。死の恐怖が一気に襲いかかってくる。


 僕は、ぎゅっと目をつむった。

(僕はこのまま死ぬのか!)


 パンッ──。

 その時、極めて至近距離から放たれた大きな音が、頭の中にこだました。


 喉を引き裂く痛みは、いつまで経っても襲ってこない。僕は、恐る恐る目を開けた。

 逆光の中、馬車のドアが蹴り飛ばされ、細身でたくましい人影が飛び乗ってきていた。黒髪を風でなびかせ、ドア枠に右手をかけ、左手には拳銃を握っている。その銃口は、まっすぐ男へと向けられている。


「探偵さん!」

 僕は喉が潰れるほど叫んだ。死の危機から生き延びた喜びで泣き出しそうになり、語尾はすっかり裏返っていた。


 探偵の放った銃弾が、黒服の男の手からナイフを弾き飛ばしたらしい。撃たれた手を押さえ、男は痛みに叫んでいる。


 僕は急いで、リーズニングの方へ這っていった。その時、背後から怒りの雄叫びが聞こえ振り返ると、男が再びナイフを手に、目の前まで迫ってきていた。


 僕が叫ぶよりも早く、若き探偵が動いた。彼は両手でドア枠を掴むと身体を弓のようにしならせ、その勢いのまま、黒服の男を反対側のドアごと、走る馬車から蹴り落とした。


 黒服の男は、地面を転がっていく。

 リーズニングもまた馬車から飛び出したが、地面へと手をつき華麗に回転すると、路上に見事に着地した。


 同時に、すでに四方を固めていたらしい警察が一気に押し寄せ、黒服の男を取り押さえると、その手に手錠をかけた。


 馬車がコントロールを失って建物にぶつかる前に、思い切って僕も飛び降りた。地面に叩きつけられ幾度も転がり、内臓が上下に揺さぶられる。強烈な吐き気に襲われた瞬間、目の前に紙袋が差し出された。

 トゥルースが微笑みながら僕の前にしゃがんでいた。

「お疲れ様なの」

 僕はすぐさま紙袋を奪い取り、思いっきり吐いた。


 静かな通りの端で、ひっくり返った馬車の車輪がカタカタと回り続けている。


 リーズニングはコートの埃を払うと、手を大きく振りかぶった。放った拳銃が綺麗な放物線を描き、大粒の汗をかきながら走ってくる太った刑事のもとへと飛んでいく。


「おいおいおいっ!」

 太った刑事は両手をあわあわと動かし何とかキャッチしながら、息を切らして言う。

「ところで、こいつは一体誰だ?」


「もちろん……」

 リーズニングは、左右を警官に固められた黒服の男にゆっくりと近づくと、彼の覆面をむしり取った。

「……オークショニアのリチャードだ」


 月明かりに、男の顔がはっきりと照らし出されている。


 リチャードは地面につばを吐くと、これまでとは別人のような恐ろしい顔でリーズニングをにらみつけた。

「謀ったな?」

「大人しくしろ!」

 警官は有無を言わさずオークショニアの腕を締め上げた。

 顔を歪めながら何とか前を向くと、彼は周囲の人間を見回し、口汚く罵った。

「お前ら、とっくに知っていたんだろう? ハハハハッ、まさかこんなことになるとは──」


 そこで突然、オークショニアの言葉が途切れた。

 彼の視線の先には──。人々から離れたところに立っているD.M伯爵が、ひどく残虐な笑みを浮かべて彼を見つめていた。その顔は、まるでちょっとした芝居でも見に来ているかのようだ。

 そして伯爵の傍らに立つ執事は、無造作に片手でミューズの絵を持っている。大切にしている様子などみじんもない。しかし他の誰かが振り向くと、彼は体勢をさっと変え、異常なほど大事そうに両手で絵を抱えてみせる。


 呆然とするオークショニア。

 警官たちは、彼を無理矢理引っ張るようにして歩き出す。

 彼は、すべてを悟ったように大きな声で笑い始めた。

「ハハハハッ! そうか! そういうことだったのか……」

 彼は、涙が出るほど笑っていた。


 そんな彼を、警官たちが警棒で押さえつける。

「大声を出すな! ちゃんと歩け!」


 オークショニアは次第に落ち着きを取り戻し、絶望と皮肉の入り混じった声で呟いた。

「伯爵、今まで大変お世話になりました」


 警察に連れられたオークショニアの背中が、どんどん小さくなっていく。D.M伯爵からは、彼の表情など見えず言葉も聞こえなかっただろう。だがD.M伯爵はすべてを承知しているかのように人差し指を唇の前に立て、笑顔のまま小さく呟いた。

「どういたしまして」


 オークショニアの異常な態度に、リーズニングは何とも言えない違和感を覚えたのか、パッとD.M伯爵のほうを振り返る。


 月光の下、もともと細長いD.M伯爵の影がさらに伸び、暗闇へと溶け込んでいた。その影はどんどん枝分かれし、背筋も凍るような巨大な蜘蛛の巣となる。その中央に立ち、D.M伯爵は微笑みを浮かべている。まるで、すべての人間が彼の餌食だとでもいうように。


「ついに終わったな、偉大なる探偵さん」

 リーズニングの鋭い視線に応えるように、D.M伯爵が近づいてくる。


 そこへ、太った刑事がやって来た。D.M伯爵に挨拶をしようと思ったようだが、ふたりの男のただならぬ雰囲気に気づいたのか、身震いをして立ち止まる。


 リーズニングは未だ殺気立っている。犯人を捕まえたのにどうしてまだ怒っているのかと不思議に思ったのは、僕も刑事も同じだろう。

「なあ、さっきの奴が犯人だろ? 事件は解決だよな?」

 刑事の問いに、リーズニングの唇がピクリと動いた。誰であろうと近づく者は噛みちぎらんばかりの雰囲気だ。

 D.M伯爵も、再び似たようなことを口にする。

「一件落着だな、偉大なる探偵さん?」

 リーズニングは目を閉じて深く息を吸った。

 重い口調で「解決だ」と言い残し、その場を立ち去る。


  「おいっ──待ちなって!」

 太った刑事が彼を引き留めようとする。

「まだ聞きたいことがあるんだよ!」

 しかし、D.M伯爵が刑事を止めた。

「何かあるなら私に訊いてくれたまえ。事件の詳細なら、私も知っているからね」

 D.M伯爵は意味ありげにそう言った。

「そいつは助かります」

 太った刑事は襟を正すと、リーズニングから受け取った、今回の事件に関する記録簿を開いた。


「まずは鍵の件ですがね。探偵は当初は密室だったと言っていましたが、あの鍵はどうやって元の位置に戻されたんで?」

「密室か」

 D.M伯爵は記録簿へと目を落とし、ある場所を指した。

「ここに書いてある。説明図も」

 そこには、丸まった筆跡の文字と、下手だがどことなく可愛らしい格子窓のイラストがあった。


「は? しかし、ここに書いてあるのは……“窓枠に足跡”、 “鍵は格子から入る”、 “枝を縛る”、 “糸を滑らせる”……んー、どういうことです?」

 刑事が首を傾げる。

「つまり、オークショニアは出窓から鍵を密室内に戻したということさ。あらかじめ、鉢植えの枝部分に糸をくくりつけ、そこから窓の外へと垂らしておく。後は施錠後、外で糸に鍵を通し、格子の隙間から中へ落とせば、糸の上を滑っていく。そうして鍵は鉢植えに戻ったわけだ。だがその結果、鉢植えの茂みに引っかかってしまったわけだが」

「なるほど。では彼は、いつ鍵を持ち出したのでしょう?」

 太った刑事は口にペンのキャップをくわえ、すごい速度で記録を取っていく。

「申し訳ありませんな、伯爵。お時間をちょうだいしてしまって!」

 何か観劇を見終わえたばかりといった様子の伯爵は、気分良さげに、刑事に付き合っていた。

「リチャードの部屋は2階北東の角、真下はテラスだ。ボヤ騒ぎの時、小説家がホールの外に飛び出したのを見計らって、彼は巻き尺を使ってテラスに降り、展示ホールへ侵入──」

「すみませんが伯爵、ちょいと、よろしいですか」

 刑事が口を挟んだ。

「巻き尺で下に? リチャードは成人男性ですよ。一体どんな巻き尺なら、彼の体重を支えられるっていうんです?」

 僕は、リーズニングが荘園のホールに到着した際、オークショニアから巻き尺を取り上げた一幕を思い出した。

「証拠品は押収しているはずだ、検証は君たちの仕事さ」

「ああ……それもそうですね。どうぞ続けてください」


「ボヤ騒ぎの時、絵を盗むには時間が足りなかった。だから彼は鍵だけを持ち去り、密室を作り出すための糸の準備をしたわけさ。そして展示ホールを出て、来たのと同じ方法で2階へ戻った。彼とルースとのケンカについては、人の目を欺くためでもあったろうが、一番重要なのは鍵を渡すためだった。花火が終わるのを待ってルースは無事に絵を盗み出し、鍵を彼に返した。具体的なことについては、君たちが拷問して聞き出すといい」

 D.M伯爵は、執事に手渡されたコートを着ると馬車に乗り込んだ。

「ご面倒をおかけしました! どうぞお気をつけて!」

 太った刑事は馬車を見送ると、少ししてから伯爵の言葉を思い返した。

「ん? ……拷問?」


 その頃、トゥルースも馬車を呼び、リーズニングと一緒に乗り込んだところだった。

 あの地下室で伯爵は、獲物を確実に仕留めるための策を実行するようリーズニングに迫った。地下室を出て行く寸前に目にした伯爵の表情が頭にこびりつき、トゥルースは身を震わせた。

「探偵さん、鬼を相手にするなら、何か刺激を与えてみなくちゃね。鬼が人の皮をかぶっている限り、あなたは永遠に彼を捕まえることはできないの」


 2台の馬車がすれ違った。1台は探偵事務所へと向かい、そしてもう1台にはメロディー家の紋章が刻印されていた。

 南へ、北へ。それぞれの馬車は交差し、走り去っていった。



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