6話 宿舎暮らし7日目
「……良い天気だなぁ。」
片手に箒を持ちながら空を見上げて、ぼそりと呟く。
雲ひとつない青い空にお日様がきらきらと輝いている。
この世界にも季節みたいなものはあるみたいで、最近少しずつ暑くなってきている。多分もうすぐ夏なんだろうな。
夏の次はやっぱり秋なのかな。
「ぴぃぴぃ」
「あ、おはよう。」
ぱたぱたと飛んできた黄色の小鳥に、手を上に挙げれば、手の上に小鳥が止まる。
一週間前、この宿舎でひとり暮らすようになってから、毎朝、こうして顔を出しに来る小鳥さんだ。
何故来るのか、何が目的なのかは分からない。鳥とお話はできないし。
ただ、こうしてわたしが話しかけると、言葉を理解してくれているのか、わたしのまわりを飛び回ったり、肩に乗ったり、ちゅん、と鳴いたり、話し相手をしてくれる。
まあ、何を言っているのかは分からないけどさ。
でもひとりでぼんやり暮らすより、ずっと楽しい、と思う。
「ぴぃ?」
「うん、今日も掃除頑張ってるよ。」
さて、この世界に間違えて召喚されて半年と少し。
わたしは今、騎士隊第三部隊の宿舎を掃除している。
いやね、馬番として雑務に励んでいたら、そんな仕事はする必要はないって何故かこの宿舎に連れてこられてね。
ついでに、第三部隊の隊長と副隊長であるロディ様とイヴ様に、ここにいてほしいって言われてね。
何か、わたしは二人の運命の番なんだって。
こんな化け物なのに、おかしな話だと思う。でも、二人が悲しむと思うと、ついでにこの城から出ていきたくなくて、化け物だってこと言えないうちに、二人は、ここにいてほしい、って言葉を残して、新たな任務に行ってしまった。
そう言われたらこっそり出ていくのも気が引けて、仕方なくこの宿舎で過ごし始めて、今日で七日目。
いやね。
暇なんだ。
何かしてないと暇で仕方ないんだ。
だからこうして掃除をしているわけなんだけれど。
不思議だね。この世界に来るまではぼんやりと1日を過ごすのが当たり前だったのに、今では何かしてないとそわそわして仕方ない。
何でだろう。この半年、馬番をしてたからかな。毎日何だかんだで忙しなかったからさ。
それにしても。
「暇……だなぁ……」
「ぴぃ」
毎日ただひたすら宿舎の掃除をする日々。
こういう生活をしていると、昔、彼女と暮らしていた時のことを思い出す。
数百年前、化け物であるわたしを怖がることなく、気味悪がることなく受け入れてくれた彼女。
あの頃は、毎日掃除をして、洗濯物をして、山に木の実や山菜を採りに行って、料理をして、なんて日々を当たり前のように過ごしていた。
そういえば、彼女の優しい雰囲気は何となく、二人に似ているような気が、する。
ところで、ロディ様とイヴ様はいつ帰ってくるんだろう。
なるべく早く帰るとは言っていたけれど、もう一週間になる。そんなに危険な任務なのかな。怪我がないと良いけど。
早く帰ってこないかな、と思う反面、ああ、でも、二人が帰ってきたら、今度こそわたしのことを伝えなくちゃ、と少し落ち込む。
「はあ。」
「ぴぃ?」
「うん、ちょっと、ね……。」
二人は真剣だった。
そんな二人に対して嘘はつけない。
だからわたしは二人が帰ってきたら、わたしのことを、吸血鬼という化け物のことを伝えて、きちんと断るつもりだった。
ただ、二人の反応を思うと、気が重い。
人(細かく言うと獣人族だけど)との関係でこんなに悩んだのは、彼女と暮らしていた数百年ぶりな気がする。
彼女と別れてからは、退魔師が増えたこともあって、人と関わらなくなっていたし。
ああ、気が重い。
もう一度ため息をつく。
するとわたしのため息をかき消すかのように突如、どごぉん、という轟音が響いた。
「……何の音?」
「ぴぃぴぃ!」
方角はわたしがいる建物、宿舎の玄関の方だ。
宿舎は中央をくりぬいた四角形で、くりぬいた部分には中庭が広がっていて、王城側に裏口、城壁側に正面玄関がある。
音がしたのはその正面玄関の方だった。
「一応離れてたほうが良いよ。」
「ぴぃ。」
わたしの言葉に、小鳥が空へと飛んでいく。
それと同時に、どやどやと宿舎の庭に男の人たちが乗り込んできた。
「ん?」
その中の見知った顔に、彼らが第一部隊の人だと気づいて、(馬番ではないとはいえ下っ端であることには変わりないので)一応膝をついておく。
でも、何でここに来たんだろう。ここは第三部隊の宿舎なのに。ロディやイヴに用事かな。
ああ、でも普通の用事なら、あんな何かが爆発したかのような轟音をたてる必要はないか。
「ふん。」
なんて考えていたらお腹に鈍い痛みが走って、ついでにバランスを崩して、わたしの体はそのまま地面に倒れた。
蹴られるの久しぶりだなぁ。
ちらりと顔を上げてみれば、そこにはこの半年間でわたしをよく殴ったり蹴ったりしていた人が、にやにやと笑みを浮かべて立っている。
確か、第一部隊の副隊長さん、だった、はず。
「こんなとこでサボりとは良いご身分だな。」
「……。」
えっと、これって謝った方が良いのかな。でも謝ったら、ロディ様やイヴ様が悪いってことになっちゃうよね。
あの二人はただ優しくしてくれただけだから、それは困る。
そんなことを考えて無言でいたら、次は顔を蹴り飛ばされた。
うーん、やっぱり、多少は痛いな。ついでに、鼻が折れたみたいで、けほっ、と咳が出る。
「何か言ったらどうなんだ?」
「……何か、と言われましても。」
何を話せと言うんだろう。
すると、わたしの言葉の返し方が悪かったのか、その人はちっと舌打ちをすると、地面についていたわたしの手を踏みつけてきた。
「何を、だと?七日も仕事をサボっておいて、何の言い訳もなしか?」
「……。」
第三部隊の隊長、副隊長である二人の言葉に従ったまで、と答えれば良いんだろうけど、そのせいで二人に迷惑をかけたら申し訳ない。
何も言えずに黙り込んだわたしの手を、ぎりぎりとその人が強く踏みつけてくる。
……このままだと、骨が折れちゃう気がするなぁ。
とのんびり思っていたら案の定、ぼきりと、鈍い音が手のひらから聞こえた。あらま。
「ふん、痛みで声も出ないか。」
ああ、そっか、ある程度以上の痛みに対しては、悲鳴をあげないとおかしいのか、と今更ながら気づく。
けれど、そんな器用な演技、わたしにはできない。
うん、もしかしなくても、少し困ったことになってる?
「連れていけ!!」
あ、怒ってるね。
これは怒ってるね。
困ったなぁ、ここから出るなって二人には言われてるんだけど。
でも、抵抗したらしたで、二人に迷惑がかかっちゃうか。
「さっさと歩け!」
悩んでいる間に、両手を縄で縛られて、ぐいぐいと引っ張られる。
あんまり引っ張るとバランス崩して倒れそうだからやめてくれないかな。
そんなことしなくても、ちゃんと歩くからさ。
***
そのまま第三部隊の宿舎を出て、しばらく歩かされる。
通り過ぎるついでにちらりと見たら、宿舎の玄関の扉が木っ端微塵に吹き飛んでいた。
これ、ロディ様もイヴ様もショウ様もテュール様も驚くよね……帰ってきたら扉がないんだもんね……。
修理も大変そうだし……。
わたしのせいで、悪いことしたなぁ……。
「足を止めるな!」
そう考えている間にも、わたしは縄を引っ張られながら足を動かす。
どこに行くんだろう、と思ったけれど、遠くに見えてきた建物に、ああ、なるほど、と行き先を察することができた。
第三部隊よりひとまわり大きくて、やたらと装飾がついた建物。
何度か馬や鎧を届けたことがあるから知ってる。
あれは第一部隊の宿舎だ。
「入れ。」
第一部隊の宿舎の入り口につくと、扉を開けた上で背中を軽く押される。
宿舎に入ると、まず真っ先に、真っ白な床と壁が目に入った。
目線を上にあげれば、これまた真っ白な天井から吊り下げられた明かりを反射して、目がちかちかする。
瞬きを繰り返しながら足を踏み入れれば、裸足の足(ここに来る途中で必要ないと取り上げられてしまった)が柔らかい何かを踏んだ。
「わ……。」
それは廊下に敷かれた赤い絨毯だった。
「……ここからは俺が連れていく。」
「はっ。」
その柔らかさに思わず声が漏れてしまったけれど、丁度第一部隊の副隊長さんの声に消されて、誰も咎めてくることはなかった。
他の騎士たちは何故かそれぞれ別のところへ行ってしまったので、ぐい、と縄を引っ張られながら、副隊長さんと二人、宿舎内わ歩き続ける。
たまに他に騎士とすれ違ったけれど、ちらりとこちらを見るだけで、わたしの縄を持つその人にぺこりと挨拶をするだけで、わたしのことを何か言う人間はいなかった。
「ここだ。」
しばらくして、廊下の途中で副隊長さんはぴたりと立ち止まった。
何だろうの副隊長さんの視線の先を見ると、そこには壁と同化するように、真っ白な扉があった。
何だろう、何の部屋なのかな。
かちゃりと副隊長さんが、扉を開けると、そこには地下への階段があった。
廊下の絢爛豪華な雰囲気が嘘のように、真っ暗で冷たささえ感じるその空間。
微かに香ってきた人間の血の匂いに、思わず、ぴくりと体が反応する。
あー、何か嫌な予感がする。なんて、そんなことを考えた直後。
どん。
背中を押された。
ぐらりと体がバランスを崩し、足が地面から離れる。
あー、と思ったときにはすでに、わたしの体は地下に向かって投げ出されていた。
派手な音を立てて、風が耳元を通っていく。
目線を上げれば、わたしの背中を押したと思われる副隊長は、にやにやとわたしを見下ろしている。
その手に、縄はない。
つまり、わたしは縄ごと地下に叩き落とされた、ということ、らしい。
と、結論づけたと同時に、わたしの体は背中から床に叩きつけられた。
「……っ。」
さすがに衝撃がすごくて、一瞬息が止まる。
続いて、けほけほ、と咳が出る。
うん、さすがにちょっと痛いかな。背骨は折れてないけど、あばら骨は折れた気がする。
けほけほ、と上半身を起き上げて咳をしていると、階段を降りてきた副隊長が、ちっ、と舌打ちをする。
何でだろう。
「さっさと来い!」
わたしの縄を再び持ち、ぐいぐいと引っ張ってくる副隊長さん。
せめて起き上がるまでは待ってほしかったんだけどなぁ。
何とか立ち上がり、引っ張られるままにその人についていきながら、あらためてまわりを見渡す。
それは、長い長い廊下だった。
上に比べて明かりが少なく、また光も弱いため、全体的に薄暗い。
そこかしこから人間の血の匂いが漂ってきて、ちょっと嫌な気分になる。
いや、実は人間の血って嫌いなんだよね。
吸血鬼だけど、何なら吸血鬼の中でも上位種だけど、人間の血は体が受け付けないんだよね。飲んでもすぐに吐いちゃうの。
だから、人間の血の匂いを嗅いでも、美味しそうとか思えなくて、むしろ気持ち悪いんだよね。
副隊長さんはここで何をするつもりなんだろう。早く終わると良いなぁ。
なんてぼんやり考えていると、副隊長さんは唐突に廊下の横にあった扉をちゃりと開けた。
そして。
「入れ。」
その部屋に放り込まれ、顔を上げれば。
見たことのない道具がいっぱい並んでいた。