3話 運命の番
着替えを終えて廊下に声を掛けると、部屋に入ってきたのはイヴ様と、さっきイヴ様に蹴り飛ばされていた灰色の髪の人だった。
確か隊長さんなんだっけ。
ソファに促されて、二人と向かい合って座ったところで、鎧を磨いてくれたお礼を言わなきゃ、と口を開いたけれど、先に二人に越されてしまった。
「うん、よく似合ってるよ。他の服は今度一緒に買いに行こうね。」
「ああ、よく似合っている。」
「……ありがとうございます。あの、」
「俺は隊長をしているローデリヒだ。ロディと呼んでくれ。君の名前を聞いてもいいか」
「はい、わたしは、藍と言います。……あの、ロディ、様、鎧を磨いてくれてありがとうございました。」
ぺこりと頭を下げると、一瞬、二人の殺気がぶわりと広がる。
え?わたし何かまずいこと言った???
「あれはそもそも隊の下っ端がやる仕事だ。馬番だって本来は隊員の仕事であって、誰かに任せていいものではない。」
「女の子があんな仕事をする必要はないんだよ。」
「……しかし、」
それはつまり馬番は必要ないということで、それだとわたしは仕事を失ってしまう。
この王城の敷地内で、わたしができる仕事なんて他にあるんだろうか。
困ったなぁ、と思っていると、悲しそうな表情をしているイヴ様と目が合った。
けれど、何でだろう、と思う間もなく、すぐに笑顔に戻ってしまった。
「……あの。」
「ごめんね、混乱してるよね。今からちゃんと説明するね。」
「……よろしくお願いします。」
とにかく、話を聞かないことには何も始まらない。
(ロディ様とイヴ様は嫌そうだけど)馬番を続けるにせよ、王城内で他の仕事をするにせよ、何でここに連れて来られたのか、理由を知りたかった。
「まずは俺たちの種族のことからだね。俺たちは獣人族っていう種族なんだ。」
「獣人……。」
「人の姿を持つ獣、という意味だ。始まりの種族のひとつで、神話によると神が己の血と獣の血を混ぜて作った種族とされている。また他種族と比べると、」
「長い長い長い長い。そんな一気に色々と話したら混乱するでしょ。とにかく、人間とは違う種族ってことだけ分かってくれればいいからね。」
イヴ様の言葉に、はい、と頷く。
今まで聞いた会話から何となく人間ではないんだろうなと思っていたけれど、獣人族っていう種族だったらしい。
日本、というより、わたしがいた世界には存在しない種族に、すごいなぁ、と思う。
「で、俺たち、獣人族には、生まれた時から運命の相手がいるんだよ。」
「運命の相手……結婚する人ってことですか……?」
日本にいた頃、街を歩くとよくそういう言葉を見かけた。
運命の人に会える!とか運命の相手が分かる!とか。
それって結婚する相手ってことだよね?
「簡単に言ってしまうとそういうことになるね。」
「その運命の相手のことを、俺たちは、番、と呼んでいる。」
「つがい……。」
ん?待って、確か、イヴ様はわたしのことを俺たちの番って……。
あれ、それってつまり……。
「君は、俺たちの運命の相手、番、なんだ。」
「……え……。」
驚いた。
この数百年で一番じゃないかってぐらい驚いた。
「あの、でも……。」
だってわたしは人間じゃない。もちろん、彼らと同じ獣人族でもない。
吸血鬼だ。
一度死んで生き返った化け物だ。
そんなのが番なんてあるわけない。
「何かの間違いでは……。」
「それはないよ。獣人族は獣の血が濃いが故に感覚が鋭くてね。だからこそ、こうして運命の番も見つけることができる。」
「この感覚は絶対に間違えることはない。」
「他にいる可能性は……。」
「基本的に番はひとりに対してひとりしかいないんだ。……俺たちみたいに二人が同じ番を持つ、なんてことは結構異例でね。」
「だから、アイ以外はいない。俺たちの番はアイだけだ。」
「……わたし、だけ……。」
そう言われると、何も言えなくなる。
じゃあ、二人の運命の相手は、元々わたしみたいな化け物だと決まってたってこと?
それって、あんまりじゃない?
化け物が番だったなんて、二人が知ったらきっとがっかりするに決まってる。
「…………。」
もう潮時なのかなぁ。
ハナコちゃんに恩返しがしたい、なんて言っているけれど、わたしが見ている限り、彼女は聖女として何一つ不自由ない暮らしをしている。
それならわたしがわざわざここにいる必要はあるのかな。
この人たちを騙してまで、この地位にしがみつく必要はあるのかな。
「……わたしは、」
ああ、でも、城を出たとして、そこからどうしよう。
人間として暮らすにしても、この成長しない体では、いつかきっと化け物だと知られて追い出されてしまう。
まぁ、それはこの城で暮らしていても同じことなのだけれど。
でもさ、意外と居心地が良いんだよ、ここ。
人間は冷たいけど、少なくとも命令という会話をしてくれるし、馬たちとは結構仲良くなれたし。
……できれば、まだ、離れたくないなぁ。
「ごめんね」
ふと視線を感じて顔を上げると、イヴ様が悲しそうな顔をしていて、そして何故か謝られた。
なんでだろう。
「困らせちゃって、ごめんね。」
「……あ……。」
優しい人だな、と思う。
わたしのこと何も知らないのに、こうやって心配して気遣ってくれる。
優しい人だと思う。
こんなわたしを人間みたいに、普通の女性みたいに扱う。
そんな彼らをわたしは騙しているんだ。
本当は人間じゃないのに、恐ろしい化け物なのに、こうして人間のフリをして、彼を、彼らを騙してるんだ。
「今すぐに返事が欲しいとは言わない。ただ、答えが出るまでこの部屋で暮らしてもらえると助かる。」
「……あのね、」
「す、すまないとは思っている……しかし、彼女の姿を他の奴が見ると考えただけで……。」
「殴りたくなる?」
「目を潰したくなる……。」
「何それ物騒。」
あのねぇ、と大きくため息をつくイヴ様に、ロディ様は申し訳なさそうに、眉を下げている。
えっと……つまり、この部屋から出るなってことなのかな。
二人を見れば、イヴ様が、ごめんね、と謝ってくる。
「ロディは獣人族の中でも狼の血を持つ狼族でね、番に対して独占欲が強いんだ。君を傷つけようとかそういうつもりはないから安心して。」
「……はい。」
「それでね、その、君さえよければ、俺としてもしばらくここで暮らしてもらえないかな、と思っているんだ。」
「え」
「ああ、別に、俺たちのことを考えてほしいとか、答えを聞きたいとかそういうのじゃなくてね。」
「おい、」
「ロディは少し黙ってて。番ってこともそうだけど、女の子にあんな辛い生活をこれ以上させたくないんだ。勿論衣食住は保証するし、好きに街や外へ出て構わない。その、次の仕事が見つかるまででも良いから、どうかな……?」
「……。」
「だめ、かな……?」
「俺からも、頼む。」
わたしのことなのに、今までの笑顔が嘘だったかのように泣きそうな表情で問いかけてくるイヴ様に、わたしの目をじっと見つめて真剣な表情で訴えてくるロディ様に、何も言えなくなる。
だめなのに。
番にはなれないって伝えなきゃいけないのに。
言葉が出ない。
「……はい。」
結局頷くことしかできなくて、頷いた瞬間、自己嫌悪で少し落ち込む。
「ありがとう。」
「感謝する。」
「……いえ……。」
そんなわたしには二人はふわりと笑ってくれて(ロディ様は少し口角を上げただけだったけれど)、しかもお礼まで言ってくれて、ちくちくと機能していないはずの胸が痛む。
お礼を言うことなんて、わたしは何一つしていないのに。
「えっと、アイって呼んでもいいかな?」
「俺も呼んでもいいか?」
「はい。」
「アイはお腹は空いてない?そろそろお昼時だし、食事を持ってこようか?」
「あ……えっと、」
「もしよければ一緒に食べないか。」
「あ、はい。」
ロディ様の言葉に思わず頷くと、二人の表情がぱぁと明るくなった。
うう、騙しているみたいて申し訳ないなぁ……。
「よかった。じゃあ、昼食を持ってくるから、少し待っていてね。」
そう言うなり、イヴ様は部屋の扉を開け、廊下へと出て行った。
と思いきや、すぐに部屋に戻ってくる。
「何かあったのか?」
「いや、すぐそこの廊下でショウに会ってね。運んでほしいって頼んでおいた。」
「そうか。」
「ついでにショウが持ってきてくれてた紅茶を受け取って来たから、これでも飲んで待ってよ。」
「……はい。」
イヴ様に促されて、紅茶を飲む。うーん、おいしい、のかな、多分。
ふと視線を上げるとイヴ様と目が合って、にこりと微笑まれる。
「アイちゃんは何が好きなの?」
「?」
「食べ物だよ、何か好きな食べ物はある?甘いものは?」
「……いえ……特には……。」
「食べることは好きじゃないのか?」
「……えっと……。」
吸血鬼の味覚は人間のそれとは違うから、好きも嫌いもあんまりないんだよね。
なんて、言えるわけもないし。
どうしようかなぁ。
困ったなぁ。
「じゃあ、趣味は?何か好きなこととかさ。」
「好きなこと……。」
何だろう。こっちに来てからの馬の世話は結構楽しかったけど、趣味っていうより仕事って感じだったし。
うーん、難しいなぁ。
色々と頭を捻っていると、とんとん、と扉を叩く音が聞こえて、失礼します、とショウ様が部屋に入ってきた。
けれど、その手に夕食は乗っていない。
「隊長、副隊長。」
「……ショウ。」
ロディ様がぎろりとショウ様を睨んだけれど、ショウ様はそれを気にすることなく言葉を続ける。
「言いたいことはわかりますが、陛下がお呼びです。」
「は?もしかしてまた任務?昨日帰ってきたばっかだろ?」
「……理由はわかりかねますが、概ね予想通りかと。」
「はあー……。」
頭を抱えるイヴ様。
よく分からないけれど、王様に呼ばれたみたい。
何だろう、お仕事の話かな。
「イヴ、ショウに怒っても仕方ないだろう。」
「そういうロディだって殺気立ってんじゃん。顔が般若みたいになってんぞ。」
「もとからこういう顔だ。」
ぼんやりと二人の会話を聞いていると、申し訳なさそうな表情で二人に声を掛けられる。
「ごめんね、陛下に呼ばれちゃったから少し行ってくるよ。」
「ショウに運ばせるから、アイはゆっくりと食事をしていてくれ。」
「……はい。」
二人がいなくなることに、少しほっとしている自分がいて、何て嫌なやつだろう、とまた自己嫌悪で落ち込んだ。