008 チンパンジー
日が暮れるまでの間、俺達は森で作業を続けた。
金策担当は二人。
片方が斧で木を叩き、もう片方がシャベルで土を掘る。
1万ptで買った〈ふつうのシャベル〉だ。
シャベルもツールの一つである。
土を掘ることでお金を獲得する仕様だ。
シャベルもまた、斧と同じで稼げる額に幅があった。
シャベルの場合は力加減ではなく掘った土の量で変わる。
ガッツリと掘れば一振りで最大70ptを稼ぐことが可能だ。
これはふつうの斧の最大20ptを遙かに上回っている。
だが、効率的には大して変わらなかった。
シャベルで土を掘るという動作は時間がかかるのだ。
「単独で長時間の作業をするならシャベルより斧だな」
俺は土を掘りながら言った。
「今みたいにローテーションを組むならシャベルのほうがいいかもね。斧と違って最大値を稼ぐのにそれほど力を込める必要がないし」
志穂が斧を木に打ち付ける。
ガッという音が森の中に響いた。
樹上のチンパンジーたちが「ウォッ! ウォッ!」と吠えている。
「ちゃんと皆にあげるから落ち着いてってばー!」
朱里はチンパンジーにバナナをあげていた。
子供から大人までたくさんのチンパンジーが群がっている。
俺達は一定時間ごとに作業を交代していた。
金策担当から外れた人間は、休憩がてらチンパンジーに果物をあげる。
疲労を軽減させることが狙いだ。
ピピピッ!
全員のスマホから同時に音が鳴った。
朱里に群がっていたチンパンジーたちがびっくりして逃げる。
「富岡が全員に帰還命令を出しているようだ」
俺はグループチャットを確認しながら言った。
「じゃあ戻ろっか」
朱里は「だね」と志穂に同意すると、残りのバナナを放り投げた。
「これでおしまい!」
「ウォッ! ウォッ!」
「キィッ! キィーッ!」
宙を舞ったバナナを複数のチンパンジーが取り合う。
可愛い争いの結果、そこそこ大きな個体が力尽くで奪い取った。
しかし、そいつがバナナを食おうとした時――。
「ウォッ、ホゥ!」
ひときわ大きなチンパンジーが遠くからやってきた。
明らかに他とは違う雰囲気が漂っている。
バナナはそいつに差し出されることとなった。
おそらく群れのボスなのだろう。
「私達のこと、嫌いにならないでね!」
朱里がボスに向かって言う。
するとボスは食事を止めて朱里を見つめた。
「キィ!」
ボスが朱里に向かって頭を下げる。
「もしかして俺達の言葉が分かるのか?」
「キィッ!」
ボスは視線をこちらに向けて頭をペコリ。
言葉が通じているとしか思えない反応だった。
「木を傷つけてごめんな。でも俺達にはそうする必要があったんだ。そのバナナは俺達から友好の証さ。どうか気を悪くしないでくれ」
言葉が通じている前提で話しかける。
「キィ!」
ボスは再び頷くと、他のチンパンジーに向かって吠える。
俺達に挨拶しろと命令しているのだと分かった。
付近のチンパンジーがこちらに向かってお辞儀したからだ。
圧巻の光景だった。
「凄い……!」
志穂が感嘆する。
俺と朱里も「おお……」と同様の気持ちを抱く。
「何をしている! 早く戻ってこんか!」
遠くから富岡の怒鳴り声が聞こえる。
既に俺達以外の生徒は草原に戻っていた。
「すぐに戻るってばー!」
朱里が頬を膨らませて言い返す。
富岡は誇らしげな笑みで何か言っている。
しかし遠すぎて聞こえなかった。
「私達はあそこの草原にいるから、よかったら遊びにきてね!」
朱里が会話を切り上げる。
そして、俺達は駆け足で皆のところへ向かった。
◇
案の定、その日は野宿ということになった。
焚き火を囲むようにテントを乱立させていく。
夕食は各自でとることとなった。
「金は大事に使えよ!」
そう言う富岡が最も無駄遣いしていた。
彼の足下にはビールの空き缶が10缶も転がっている。
それなのにもかかわらず、左手にはビールの缶を持っていた。
さらに食べている物は酒のつまみばかりだ。
つまみは値段のわりに腹が膨らまない。
金を大事にするならおにぎりでも食うほうがよほどマシだ。
「空き缶の換金をしねぇ上にビールやつまみを買いまくる……クソだな」
富岡を一瞥して呟く。
俺達は教師から離れた場所に陣取っていた。
「しかも生徒から巻き上げたお金でね」と志穂が補足する。
そう、富岡は生徒の稼ぎを自分に流させていた。
気の弱そうな男子を狙い撃ちにした事実上のカツアゲだ。
「富岡、今日は何も言わなかったが、明日も無策だってんなら働けよ」
食事が一段落した頃、阿南が富岡につっかかった。
彼は口調と目つきこそ悪いが、言っていることはまともだ。
「お、俺はここで待機だ。皆を監督する義務がある」
阿南に対しては語気が弱まる富岡。
情けない生徒指導だ。
「なら俺がどうやって金を稼いだか言ってみろ。監督していたんだろ?」
「ぐっ……それは……」
富岡が言葉を詰まらせる。
その時だ。
「キィッ! キィッ!」
「ウォッ! ウォッ!」
チンパンジーの軍団がこちらにやってきた。
様々な大きさからなる総勢100頭ほどのチンパンジーだ。
チンパンジーは揃いも揃って果物を手に持っていた。
「なんだこいつら」
「チンパンジー!?」
皆に動揺が走る。
俺達だけは冷静だった。
「さっそく遊びにきてくれたんだ!」
朱里が声を弾ませる。
俺と志穂も笑みを浮かべた。
「キィ! キィ!」
チンパンジーが果物を配っていく。
「ありがとー!」
朱里はブドウを貰って喜んだ。
「リンゴをくれるのか、優しい奴だな」
俺は小さな子供のチンパンジーからリンゴをもらった。
飲料水で表面を軽く洗ってから皮ごと齧り付く。
甘くて美味しい。
「こうやって動物と触れあうのっていいよな!」
俺は笑顔で志穂を見る。
一方、志穂の顔は残念そうだった。
どうしてなのかは彼女の視線を追って分かった。
「チンパンジーから貰った物を食べるのはちょっと……」
「せっかくだけど、ごめんね」
殆どの人間が貰った果物を食べなかったのだ。
なかには「気味が悪い」と捨てる者までいた。
チンパンジーたちの顔が悲しみに染まっていく。
「どうにかしたほうがよくない?」
志穂が縋るように俺を見る。
「そうだな」
俺は事情を説明しようと思った。
チンパンジーは仲間だから安心してくれ、と。
しかし、それをするには少し遅かった。
「キィッ!」
子供のチンパンジーが阿南に皮を剥いたバナナを渡そうとする。
囓った跡のある食べかけのバナナだった。
「悪いが俺は猿と間接キスする気はないんだ」
そう言うと、阿南はチンパンジーの両脇に手を挟んだ。
それから一気に自分の頭上まで持ち上げる。
彼は子供のチンパンジーに高い高いをしてあげたのだ。
人間であれば、それは友好的な行為だと分かっただろう。
だがチンパンジーは人間ではないので分からなかった。
「キィィィィ! キィィィィ!」
子供のチンパンジーが怖がって暴れ出す。
手に持っていたバナナが地面に落ちた。
「「「――! ウォッ! ウォッ!」」」
他のチンパンジーが警戒モードに入る。
「「「「ギイィィィッ!」」」」
「「「「ギイィィィッ!」」」」
森の中からも数百・数千という数のチンパンジーが現れた。
俺達は瞬く間に包囲されてしまう。
「怖がらせるつもりはなかったんだよ、わりぃな」
阿南は焦りながらも冷静に対処しようとした。
チンパンジーをゆっくりと地面に下ろそうとする。
子供のチンパンジーはそれが待てなかった。
暴れに暴れまくり、阿南の手に噛みついたのだ。
「痛ッ! なにしやがるんだ、こいつ!」
おそらく反射的だったのだろう。
阿南が子供のチンパンジーを地面に叩きつける。
それがチンパンジーに対する宣戦布告となってしまった。
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