045 族長クレア
昼、俺はエテ族の族長と共に川へ来ていた。
北の森を抜けた先にある川で、他にも多くのチンパンジーが同行している。
チンパンジーの武器は野球道具だ。
ボスを除く数百頭のチンパンジーがバットやボールを持っている。
クルーガー族は一足先に待機していた。
威圧感に満ちた強面の大男がずらりと川向こうの岸に並んでいる。
しかし、その中に族長の姿は無かった。
『族長は私達と同い年くらいの女』
梓からそう説明を受けている。
彼女は昨日の昼頃にセントラルへ帰還していた。
友好の証として、クルーガー族が解放したのだ。
「待たせたな、異世界人」
岸で待っていると、対岸に一人の女が現れた。
透明感のある白い肌、銀色の長い髪、右の頬に赤い三日月の戦化粧。
間違いない、あの女こそクルーガー族の族長だ。
朱里や志穂に劣らぬ可愛さだが、それ以上に凜々しさや怖さがある。
服装は他のクルーガー族と同じで革の鎧だ。
腹や太ももが惜しげもなく露出している。
「我が名はクレア。クルーガー族を統べる者なり」
クレアが名乗ると、周囲のクルーガー族が跪いた。
「俺は北条慧。お前達が異世界人と呼ぶ者の長だ」
名乗り返す。
微かに脚が震えていた。
「我等がしきたりに則ってくれて感謝する、北条慧。握手の前に条件を再確認しておくが、目の前の川を境界線としてこちら側が我等の縄張り、そちら側がそなたらの縄張りということで合っているな?」
「問題ない。この和平が対等な関係として結ばれることやエテ族にも適用されるという点についても確認しておきたい」
「無論、それらも条件に含まれている」
「ウォウ!」
ボスが満足気に頷いた。
「異論がないようであれば握手を交わすとしよう。武器を持たずに川の中央まで来るがいい」
クレアはブーツを履いたまま川に侵入する。
その際、腰に装備していた細身の剣を傍にいた戦士に預けた。
「族長、異世界人は何をしでかすか分からないので危険です」
側近らしき戦士が同行しようとするが、クレアはそれを拒んだ。
「私を愚弄するな、殺すぞ」
「失礼いたしました」
クレアに合わせて俺も川に向かう。
「ウォウ」
ボスが同行しようとしたので制止する。
「俺だけで大丈夫……というか、万が一に備えて待機しておいてくれ」
場が緊張感に包まれている。
全員からピリピリした空気が漂っていた。
(近くで見ると更に可愛く見えるな……)
目の前で佇むクレアに息を呑む。
クルーガー族を率いているとは思えない可憐さだ。
それでも、彼女が族長で間違いないと確信できる。
小柄なのに、そう感じさせない程の貫禄があるのだ。
「曽我部という男もそうであったが、異世界人の長は男が務めるものなのだな」
クレアが俺の目を見ながら言う。
握手は会話が終わってからのようだ。
「たしかに男が長を務めることが多い。ただ、最近は女性の社会進出がどうのとかで女がトップになることもある。ところで、2点訂正させてほしい」
「なんだ?」
クレアの表情が険しくなる。
俺の言い方が悪かったようで変な警戒をさせたようだ。
「安心してくれ、和平に関する訂正じゃない」
そう前置きしてから言った。
「まず俺達は異世界人ではなく日本人だ。日本という国のことは知らないか? 言語が同じなのだから、何かしらの繋がりがあるようにも思えるが」
「日本……? 分からないな」
クレアは振り返り、戦士達に尋ねる。
「誰か日本という国を知っている者はいるか?」
「「「…………」」」
誰も答えない。
「ヒューラルはいるか?」
「おりません」
クレアの剣を持つ戦士が答えた。
「そうか」
クレアは俺に顔を向けて、「ということだ」と話を進める。
「それで、日本人の長は次に何を訂正したい?」
「曽我部がどう言っていたかは知らないが、アイツは長ではない」
「ほう」
「元々は富岡という男が長を務めていて、曽我部は富岡の右腕だった」
「曽我部の話だと、富岡が奴の右腕だったはずだが」
「実質的にはそうかもしれない。でも表向きは富岡がリーダーだった。で、その富岡から正式にリーダーとして認められたのが俺だ」
「なるほど。それは失礼した」
「構わないさ」
「では和平の成立を祝して握手を交わそうか」
俺とクレアは右手を出し、握手を交わした。
「クルーガー族が俺達に警戒する気持ちは分かっている。こちらとしてもいきなりやってきて申し訳ないと思っている。だから可能な限り速やかにこの島から脱出するつもりだ。それまでの間、どうか平和に過ごさせてほしい」
「分かった」
握手を終えると、クレアは振り返って声高に宣言した。
「これにて異世界人――いや、日本人との和平が成立した。何人たりともこの川を渡ることは許さない。そのことを心するように!」
「「「ハハーッ!」」」
クルーガー族が一斉に頭を下げる。
(どうなるかと思ったが、普通に話が通じる相手でよかった)
ホッと安堵する。
「こちらから仕掛けたというのに和平を受けてくれたことを感謝する。そなたらが日本に戻れる日を心より願っている。さらばだ、北条慧」
「ありがとう、クレア」
俺達は互いに背中を向け、岸に向かって歩いていく。
こうして、クルーガー族との間に和平が成立する――はずだった。
パァン!
その時、どこからともなく爆発音のような音が響いた。
「「なんだ!?」」
俺とクレアのセリフが被る。
エテ族とクルーガー族に動揺が走る。
俺達は素早く周囲を確認。
「音の原因は不明だが、特に問題はないようだ」
と、クレアに向かって言った瞬間だった。
俺の背後――俺達の縄張りである森から矢が放たれた。
その矢はクレアの腕に命中する。
彼女が咄嗟に身を傾けなければ胸に当たっていた。
「北条慧、貴様、謀ったな!」
クレアが深々と刺さった矢を抜きながら俺を睨む。
「違う。俺達じゃない。俺達なら銃を使う!」
俺は森に向かって後ずさりながら言う。
「ではお前の仲間であるエテ族の仕業だ!」
それもありえない。
チンパンジーが弓を使っているところなど見たことない。
連中ならボールを投げつけるはずだ。
これはクルーガー族が仕掛けた罠に他ならない。
だが、クレアは事前に知らされていなかったようだ。
彼女がその気ならこんな回りくどい方法は必要ない。
普通に俺を射抜かせれば済む話だ。
つまり、クルーガー族の内部に反クレア派がいる。
クレアの排除を目論み、俺達の仕業に見せた猪口才な黒幕が。
そこまで分かっていても……。
矢の飛んできた場所を見ても誰もいない。
エテ族の目を掻い潜って川を渡るだけの猛者は伊達ではない。
この重大な局面を任されるだけのことはある。
現行犯逮捕が無理な以上、身の潔白を証明する方法はなかった。
「和平交渉は日本人の謀略によって崩れた! 者共、川を渡って日本人を皆殺しにしろ! 今日で全てを決める! 残った19人の日本人を漏れなく殺せ! 完全に滅ぼすのだ!」
「「「うおおおおおおおおおお!」」」
クルーガー族が突っ込んできた。
エテ族がすかさずボールを打ち込んで反撃する。
行軍を送らせる為の嫌がらせにしかならない。
そして俺は――。
「逃げろ! 逃げるんだ! まともに戦ったら死ぬぞ!」
撤退の号令を下して北の森に逃げ込んだ。
「ウォウ! ウォウ!」
「キキィイイイイイ!」
エテ族も蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
クルーガー族の戦士が続々と川を渡り、俺を追ってくる。
一転して絶望的な状況に変わった。
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