019 仮初の平穏
阿南が発って以降は穏やかだった。
チンパンジーが一切の攻撃をやめたのだ。
投擲はおろか大合唱すらしなくなった。
「やっぱり阿南が悪かったんだ」
「あいつが出て行ってくれて助かったよ」
朝になるとそんな声がそこら中から聞こえてきた。
「どうやらチンパンジーは怒りの矛を収めたようではあるが、だからといって安心することはできない! 再び攻撃してくる可能性は多いにある! そんな事態に備えて、今日は拠点の防衛力を強化しよう! 救助がくるまでの辛抱だ!」
皆を集めるなり富岡が大演説をぶちかます。
どうやらこの場所は防衛拠点になったようだ。
それはかまわないとして……。
「先生、防衛力の強化って何をすればいいの?」
三年の男子が尋ねた。
頭部に切り傷ができている。
チンパンジーの投擲攻撃によるものだ。
「それはだな!」
富岡の言葉はそこで終わった。
続きはなく、沈黙が場を包み込む。
「櫓とかでしょうか?」
そう言ったのは客室乗務員の三上香奈だ。
一瞬、誰だか分からなかった。
服装から髪型まで、墜落時とはまるで違っている。
かつては客室乗務員のテンプレだった後ろで巻いて束ねる髪型。
志穂によると「夜会巻き」と呼ばれるヘアスタイルだ。
それが今ではただのストレートヘアになっている。
毛先がクネクネしていて、美容院の広告にいそう。
ヘアスタイルが変わっても、髪色はダークブラウンのままだ。
服装も制服から私服になっていた。
上は白のブラウスにグレーのカーディガン。
下はデニムのショートパンツに黒のタイツ。
そして靴は髪より明るいブラウンのブーツ。
客室乗務員から一転して大学生のお姉さんといった感じ。
流石は去年まで大学生だっただけのことはある。
「櫓ですか」
富岡の言葉に「はい」と頷く香奈。
「この拠点は戦国時代、いえ、もっと前の時代にありそうな感じですよね。ですから、櫓を作って外を監視しつつ、バリケードの外周に穴を掘って空堀を作れば、防衛力が強化されるのではないでしょうか」
「いいですねぇ!」
珠子が反応する。
「ですがそれだけの作業をこの人数で行うのは骨が折れますかな!?」
「ですよね、すみません。出過ぎた発言でした」
香奈が深々と頭を下げる。
珠子は「いえいえいえ!」と手を振った。
「穴を掘るのは名案だと思うのです! ただ、空堀と呼べるほどまで掘る必要はないかと!」
「どういうことですか? 環先生」
尋ねたのは富岡だ。
「空堀の代わりにトラップを使うのです! 足首程度の深さの穴をたくさん堀り、そこにマキビシ、いや、画鋲でもばら撒けばよいでしょう! 先に調べておいたところ、画鋲は500個で100ptです! たくさんばら撒いても問題ないと思いますがな!?」
俺も含めて皆が「おー」と感心した。
口調は相変わらずだが、やはり要所で名案を出してくる。
流石は珠子だ。
「是非そうしましょう!」
富岡は即決した。
「俺は櫓を作るから、お前達は穴を掘って画鋲を撒いていけ!」
「「「はい!」」」
生徒達が一斉に動き出す。
そこに俺達も続き――はしなかった。
「富岡先生、いいですか」
俺は富岡に話しかけた。
「またお前か」
富岡は俺を見て露骨に顔を歪めた。
どうやら俺には良い印象を抱いていないようだ。
「俺達、阿南……さんを探しに行ってきていいですか?」
思わず呼び捨てにするところだった。
富岡に付け入る隙を与えてはいけない。
「なに? 阿南の捜索だと? あいつは自分から出ていったんだぞ」
「たしかにそうですが、一人のままだと危険ですよ。それに出て行った生徒をそのままにしておくのはまずくないですか? ほら、保井先生とか……」
あえてそこで言葉を止める。
実際、その後に続く言葉は何もなかった。
富岡を釣る為の餌だ。
「保井先生がなんだと言うのだ?」
「いえ、別に」
富岡は俺を見たまましばらく固まった。
勝手に俺の言葉を深読みしてくれているのだ。
「よし、お前達は保井先生を……じゃない、阿南を捜索してこい」
案の定、富岡は捜索を許可した。
ちょろいものだ。
(それにしても、阿南と安岐の名を言い間違えるとはな)
よほど安岐のことが気になっているようだ。
倍以上も歳が離れている女に惚れる意味が分からない。
傍から見ればロリコンである。
「それでは、俺達はこれで」
志穂と朱里を連れて拠点を発つ。
「阿南なんか放っておけばいいんだよ」
「あいつが戻ってきたらまた争いになるっての」
背後から声が聞こえるけれど、俺達は無視した。
◇
「ねぇ、どうして阿南を捜すの?」
北の森に入ったところで朱里が尋ねてきた。
どうやら彼女も、この捜索には疑問を抱いているようだ。
「阿南は説得の余地があると思うんだ」
「正気なの?」と志穂。
「いたって正気さ」
間髪を入れずに答える。
「最初の夜、チンパンジーが果物を持って草原に来た時、阿南は俺達と同じでチンパンジーに好意的な反応を示していた。チンパンジーから貰った食べかけのバナナにしたって『間接キスする気はねぇ』と言いつつ後で食べていたし、高い高いをしたのだって好意によるものだ。だから、本心ではチンパンジーとの争いを望んでいないと思うんだ」
「でも謝る気がなかったじゃん!」と朱里。
「俺の予想だが、皆の前で謝るのに抵抗があったのだろう。そういう奴って昔からいるじゃん。見栄っ張りというか、素直になれない奴」
「あーね! 私もそうだった!」
「人の少ない今だったら阿南を説得できる気がする。もし説得できれば貴重な戦力を失わずに済む」
「仲間じゃなくて戦力なんだね」
志穂が小さく笑った。
「でもさ、どうやって捜すの? こんな広い森の中を! おーいって呼べば出てくるってわけでもないっしょ」
朱里がごもっともな疑問を口にする。
俺は「分かっているさ」と笑みを浮かべた。
「だから教えてもらうのさ、チンパンジーに」
俺はバナナを召喚し、周辺のチンパンジーに声を掛ける。
大量のチンパンジーが群がり、俺達はあっという間に包囲された。
そいつらにバナナやブドウをあげていきながら尋ねる。
「阿南の居場所を知らないか? お前達が目の敵にしていた奴で、昨日の夜にこの森を通ったはずなんだ」
「ウキッ! キィ!」
どうやら知っているらしい。
チンパンジーたちは手で誘導しながら歩き始めた。
「真っ直ぐ北に向かっているようだな」
コンパスを見ながら呟く。
「たしか大きな川があったよね! 今度こそ釣りできる!?」
朱里は早く釣りがしたくてたまらない様子。
「できるわけないだろ。今は阿南の捜索を……」
そこで言葉が止まり、足も止まった。
チンパンジーたちの誘導が終わったのだ。
「これは……」
愕然とする俺達。
チンパンジーたちは逃げるように散っていく。
「どうして、こんな……」
志穂が口に手を当てながら崩れ落ちる。
朱里も顔面が真っ青になっていた。
「嘘だろ……」
そう呟かずにはいられなかった。
俺達の前にある木の上で、阿南が首を吊っていたのだ。
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