98話:悪魔の乱入
アシュトルは一見、ちょっと普通じゃない人間っぽい外見をしている。わかりやすく言うと、エッチなお姉さんだ。
動き一つ一つがなんか、エッチで直視しちゃいけない気分になる。
「うふふ、久しぶりね」
その上セクシーポーズをあえて取ってみせるから、兵はふらふらとわかりやすく魅了されて行く。
僕? 僕はなんか、すんって冷静な部分があってこれじゃない感がある。
あと男の姿の時と性格違うくない?
「あら、駄目? 気合いを入れて来たのに」
「うーん、あからさますぎない?」
「なるほど、地味専かしら? たまにいるのよね。性的思考が極端な男」
「仔馬の場合は経験がなく良さがわからんのだろう」
ちょっとグライフ。余計なこと言わないでくれる?
「それにしてもうるさいわね。お喋りするにも邪魔だし、人間を止めるわよ。私、森への侵入者には手を出していい決まりなの」
蛇のように舌をチラつかせたアシュトルは、また片目を光らせてオイセン軍を見た。
視線上にいるマーリエを庇うと、姫騎士は目を閉じて対処する。
「過去幻想」
初見のオイセン軍は、黒い氷柱に貫かれ、一瞬で恐慌状態に陥った。
「な、なんだ!? いったい何が起こった!」
兵の陰にいたらしく、司令官は過去の痛みを蘇らせるアシュトルの眼光から逃れたようだ。そんな姿にランシェリスは冷えた声で教える。
「魔王の悪魔だ、司令官どの」
「なんだと!? 何故そんな者がこの場にいる!?」
「今日は侵入者を名目に遊びに来ただけだから、気にしなくていいわよ」
「ふーん、だから分身で来たんだ? 姿は人間っぽいけど、蛇だよね?」
「あら、わかる? 違いのわかる男って好きよ、私」
臭いでわかるけど、今目の前にいるのはアシュトルが連れている分身の蛇だ。
それでもブラオンが召喚したアシュトル本体より強いせいで警戒が解けない。
「そう言えば、これは決闘なのでしょう? 私が勝ったらこちらにおいでなさいな」
「嫌だ」
「ワウワウ、バウバウ、クイタイ」
「駄目」
ケルベロスは悪魔が現われても気にしない。というか、僕を食べようとするのやめて。
「あぁん、私も食べちゃいたい」
「そんなこと言うから嫌なんだよ」
だってグライフと同じ目してるんだもん。物理的に食べる気満々じゃないか。猟奇的過ぎる。
「す、すぐにあれを! まだ準備ができていないのか!?」
司令官のように他人の陰になって苦しまずに済んだ者が、数人残ってる。そして、まだ幕の向こうで待機していた魔法使いも無事だ。
「あの魔法は止める手はずだったけど、アシュトルがいるなら止めないほうがいいよね」
「あら何をするの? 楽しみだわ…………これは!?」
アシュトルが余裕を見せた途端、僕らの足元に光る魔法陣が現われた。
幕の向こうの聖職者や魔法使いたちが、声を揃えて術を発動させる。
「聖結界!」
白い光に包まれた途端、重しが乗ったような重圧を受ける。
これは、聞いてたよりきついかもしれない。
「あーら、まだこの術使える人間残ってたのね。…………だいぶ殺したのに」
アシュトルが顔を顰めながら笑う。
この魔法は魔王の悪魔を倒すために編み出されたそうだ。精神体の悪魔に効き、同じく精神体の妖精にも効く。
「ロミー、逃げていいよ。ついでにケルピーも回収して」
「そうね。ごめん、これは私には駄目だわ」
そう言って、ロミーは地中の水脈へと退避する。
抜け出すなら歩いて範囲外へ行けばいいだけの結界だ。
知っているなら対処もできるはずだけど、アシュトルに逃げる気はないらしい。
「ぐぬ、平気そうにしおって…………! 半精神体の幻象種にも効くはずだろう!?」
これこそオイセン軍が用意した、ユニコーンである僕を殺すための奥の手。
最初から決闘の結果は関係ない。この場に僕を呼び出して結界で弱らせて殺すのが目的だった。
「魔法を解くか、仔馬? 何人か術の要を担う者を殺せば済むぞ」
「このままのほうがいいでしょ。ケルベロスにも効いてるみたいだし」
アシュトルに加え、ケルベロスも精神体があるから効くようだ。
自由にさせるだけ被害出る。ランシェリスたちは平気だし、このままでいいだろう。
「それじゃ、私と遊びましょう」
アシュトルは笑顔と共に攻撃のため爪を伸ばして僕に切りかかる。
余裕を持って避けようとしたけど、思ったより早さが出ない。その上、やっぱりケルベロスが攻撃を仕掛けて来た。
僕に三つの首で噛みつこうとするケルベロスを、グライフが目を狙って横やりを入れる。
アシュトルが空いた僕に迫るけど、スピードはこっちが上。どう諦めさせようかと避けると、ランシェリスが加勢する動きがあった。
「ランシェリス、こっちはいいから守りを固めていて」
乱闘は危ないって言おうと思ったら、オイセン軍が無謀にも動いた。
矢を魔法の風で返すと、鏃の刺さった兵が昏倒していく。毒矢だったらしい。
魔法を使って動きの止まった僕の背後に、歩兵が駆け寄るから蹴り上げる。
「あ、しまった。殺しちゃったかも?」
慌てて振り返ると、腕はおかしな方向に向いてるけどどうやら生きてる。
ほっとしたのもつかの間、さらに後ろから襲われたから、また蹴り上げた。
「あら、人気者ね。妬けちゃうわ」
「嬉しくないよ、アシュトル。殺さないなら君が相手にしてくれてもいいよ」
蹴るのは力が入りすぎるから、新手には後ろに回って踏むにとどめた。と思ったら、ちょうど水たまりに顔を沈める形になり、必死でもがき始める。
「そう言えば、水たまりで人間は溺れるって聞いたことが…………」
「あら、本当? 悪魔の私でもそんな愉快な人間見たことがないわ」
驚きと共に観察するアシュトルに気づいて、ケルベロスも僕の足の下を見る。
そのせいで手の空いたグライフも来て、みんなで水たまりにもがく兵を見下ろした。
「やめてやってくれ!」
辛そうな声で訴えるランシェリスに、ローズも困ったように止めてくる。
「見るからに拷問よ。あまり褒められた所業ではないわ」
「拷問? それはやだな」
僕は兵士の上から足をどけるけど、兵士はもう動かない。
「ふむ、死んだか?」
グライフがひっくり返すと、背中を打った衝撃で息を吹き返した。
「水責めの拷問っていうのかな。こういう感じなの?」
「水たまりは聞いたこともないが、水を張った桶に顔を入れるのではないか?」
「あら? 水を張った桶に顔をつけさせて逆さづりじゃない?」
「オリ、カワ、ドボン」
「なんでそんなにバリエーションがあるの? 水責めってそういうもの?」
「人間の行いを見て言ったにすぎぬ。故に知らん」
グライフの無駄に偉そうな答えに、アシュトルとケルベロスも頷く。
「人間って…………」
「特殊な事例だ! 逆に何故そんなものを見たのかと聞きたい!」
ランシェリスは必死になって訴えた。その姿にアシュトルは唇に指を当てて息を吐いた。
「本当に邪魔な人間ね。今私はあなたたちに興味がないの。吸魔」
アシュトルが手を振ると墨のような幕が兵士たちの上に広がる。
振ってくる幕に触れた途端、兵士は気が抜けたように座り込み、アシュトルは何処か溌剌とした。
たぶん、体力吸われたとかそういう魔法だ。
「さ、これで邪魔者は」
「バウバウ、ワウワウ、アソブ!」
「まだいたわね。けれどあれはあれで面白そうだわ」
明らかに僕に狙いをつけてるケルベロスからこそ、元気を抜いてほしいな!
そんな僕の声が聞こえたかのように、姫騎士が動いた。
「構えろ! 放て!」
「聖封縛!」
勝手に縛って来る縄が放たれ、ケルベロスの足を縛る。
「散開! 魅了籠手使用!」
「三つ首全てに効果確認!」
「一、三、五の順で魅了籠手を使用! 残りの隊は破邪環使用!」
ランシェリスの号令で、姫騎士は動きの鈍ったケルベロスを包囲して、聖結界の中に別の結界を作り上げた。
「フォーレン! こちらは私たちで対処可能だ! 魔王の悪魔を頼む!」
「けど、ケルベロス毒を撒くし力強いよ!?」
「そ、そこは私が対処できます!」
僕の忠告にマーリエが拳を握って答えた。
肩に乗っていたはずの祖母の守護獣はいつの間にかいない。
「あら、他の女に目移りなんて。妬けちゃうわ」
「あ、しまった!」
距離を詰められ、僕は反射的に角を横薙ぎに振る。
けれどアシュトルは何処かの雑技団のような柔らかさで後ろに倒れて避けてしまった。
「あは! 初めてあなたに血を流させるのね」
興奮を隠しきれない声でそう言うと、アシュトルは長く伸ばした爪を振る。
斬られた! そう思ったんだけど、僕にその衝撃は来ない。
アシュトルも距離を取って自分の爪を見ると、つまらなさそうに唇を尖らせた。
「まぁ、いったい誰の加護かしら?」
「…………もしかしてシュティフィー?」
僕が名前を口にした途端、森の木々が道を作り一人の妖精が姿を現した。
毎日更新
次回:妖精王の加護