91話:霧の中の里
「ここ、結界が張ってあって迷うようになってるのよ」
魔女の里近くの霧の中で、ドラゴンは僕に抱かれたまま嫌そうに呟いた。
迷うらしい霧なんだけど、僕にはあまり効果はないようだ。だって、乙女のいる方向は嫌でもわかる。
「あ、霧が薄くなった。…………わぁ、これが地底湖? 思ったより深いなぁ」
僕の目の前に広がったのは、地底湖へと下る岩盤が剥き出しになった谷状の地形。
地底湖に続く斜面には貼りつくように家が建てられ、縦横に通路が走っていた。
吹き上げてくる風は地下水の冷気を含んでいて肌寒いくらいだ。日が沈み始めた今じゃなくても、魔女の里には常に火を焚いて温度調節をしなければいけないみたい。
「歩いてるの女ばっかりなのよ」
「魔女の里だからね。…………マーリエでもいてくれればいいんだけど」
僕は里を歩く魔女の顔を眺めながら、通路の一つに降りた。
途端に、近くにいた魔女が肩を跳ね上げた後、僕の角を見て硬直する。
「あ、びっくりさせてごめんなさい。僕フォーレンって言って、マーリエに会いたいんだけど」
「きゃーーーー!? ユニコーン!」
里に響き渡る悲鳴に、僕のほうが肩を跳ね上げることになった。
「本当!? きゃーーーー! 本当よ!」
「きゃーーーー!? ユニコーンよー!」
まるで伝染するように、魔女たちが甲高い悲鳴を上げて僕の来訪を伝達する。
しかも、怖がって逃げるのかと思ったら、きゃーきゃー言いながら駆け寄って来た。
「きゃーーーー! 本当に女の子みたい!」
「綺麗な金髪! きゃーーーー! 素敵!」
「きゃーーーー! 襲って来ないのね!」
「腕に抱いてるのって、きゃーーーー! ドラゴン!?」
正直耳が痛い。
そしてドラゴンに気づいた途端、魔女の目の色が変わった。
「生き胆! 心筋! 目玉に鱗!」
「血を取るにはまだ小さいわ! 育ててからよ!」
「きゃーーーー! なのよ!」
「待って、この子は駄目だよ!」
すでに僕は魔女たちに囲まれていて、逃げ場がない。
しかも全員がきゃーきゃー言ってるから僕の声聞こえてないし。
「しょうがないな!」
できるだけ弱めに風を起こして怯ませると、僕は手近な屋根の上に跳び上がって逃げた。
「落ち着いて、話を聞いて。僕、用があって来たんだよ」
「フォ、フォーレンさーん! 大丈夫ですかー?」
聞き慣れた声に見れば、三つ編みがボロボロのマーリエだった。揉みくちゃにされたような恰好で、箒に跨って飛んで来る。
「すみません、人垣越えられなくて、遅くなりました。ご用件は後程伺いますから、どうか、里長に会ってください」
疲弊したマーリエの誘いで、僕はきゃーきゃー言う魔女たちを引き連れて移動する。
行きついたのは一番大きな家。お屋敷って感じだけど、開放的な間取りで集会所が近いのかも。
ついてきた魔女たちは中に入らず窓の外からこっち見てるし。
大きな円卓に座らされた僕の向かいに、妙齢の魔女とお付きらしいお婆さんが立った。
「ご足労願ってあい申し訳ない。私が、この魔女の里を任された当代の長、ヴィーチェという。妖精王の友たるユニコーンのフォーレン。盟友ドライアドと我が民たちを救ってくださったこと、深く、感謝いたします」
「い、いえ…………」
なんか改めて言われると照れるな。
あと魔女に囲まれてるから、ドラゴンが僕の胸に縋って離れなくなっちゃった。
それに、なんかお婆さんのほう見覚えがある。
見つめていると、糸のような目をしていたお婆さんがギョロっとまん丸に目を見開いた。
「あ! フクロウの」
「ふぉっふぉっふぉ。過日は失礼をいたしました。改めまして、長老を務めております、オーリアでございます。孫娘のマーリエがお世話になっております」
あ、マーリエのお祖母さんなんだ。
そんな自己紹介をした後、僕はここに来た用件を告げて針と受け渡し票を届けた。
するとお返しのように果物のジュースと、甘いお菓子が出される。
お菓子、ボーロみたい。なんか前世の知識に似たお菓子、初めてかも。
「あ、それと、ダークエルフが困ってるってノームが言ってたよ」
ボーロをドラゴンにもあげつつ伝えると、里長と長老は困ったように顔を見合わせた。
「確かに、現在私たちも商いができない状況に打開を求めておりました」
「あ…………、僕が決闘とか設定したから?」
「いいえ。ドライアドの件ですでに里は閉じていましたし、オイセン軍がやって来たのはあなたさまの非などではございません」
ことの経緯は全てマーリエから聞いていて、魔女たちには現状に文句はないようだ。
どころか軍まで出したオイセンに対して、魔女の里は今後一切、魔女の作った薬やアイテムを売らない旨を通告する用意をしているらしい。
「そういう商売してたんだ? 冒険者以外もここに来るの?」
「人魚と戦っていた冒険者のほとんどは、私たちの元へ仕入れに来る商人の護衛。商人からの採集依頼を主要な稼ぎにしていた者たちです」
「あ、なるほど」
個別に魔物や妖精のいる森でちまちま薬草摘むより、贔屓の商人相手のほうが安定した収入にはなりそうだ。
「けど、売らないでこの後はどうするの?」
「それは妖精にお願いする段取りでした」
そう里長が言うと、身の丈に合わない大荷物を背負った猫と犬の妖精が入って来た。
「どうもどうも、ユニコーンの旦那」
「僕たちが仕入れて別の国に売りに行くことになったよー」
現れたのは旅支度を整えた猫と犬の妖精、ウーリとモッペルだった。
「あっしら、人間の国を回る行商なんで、森の中は管轄外なんですわ」
「けど、僕たち妖精は迷わないけど、幻象種は迷うんだよねー、この結界」
言いながら、モッペルは自分の言葉に首を傾げた。
「僕は、これでもユニコーンだから。…………魔女の里限定で…………」
「幻獣さまにもユニコーンらしいところあるんですね!」
マーリエにすごく驚かれた。
いや、姫騎士に囲まれてたのが初対面だったし、わからなくもないけど。
「幻獣さま。お忙しい身とは存じ上げておりますが、どうか我々にもその知啓をお与えください」
「そんな大げさなものないよ!?」
「ふぉっふぉっふぉ。あの成功と失敗の落差の激しい妖精王さまを、よくもまぁ…………ここまで真面目に悪戯もせず籠ってらっしゃるのがどれほど珍しいことか」
待って。長老の言葉にある実感って何?
何処まで被害出してるの、アルフ?
「って言っても、僕は商売に明るくないし。ダークエルフのことも…………」
「ノームの所で顔見てすぐさま逃げられていたのよ」
甘いもの食べて元気になったドラゴンがそんなことを言う。
「ノームの所というと…………あの方は、少々自己評価の低い恥ずかしがり屋ですから」
それノームにも言われたよ?
本当にそういう人なの、あのダークエルフ。
っていうか、ノームの所で通じるくらい有名人なのかな?
なんて考えていると、エプロンをつけた魔女が里長に何かを報せに来た。
「幻獣さま、もう日も傾いてございます。どうぞ、今宵は我らの里にお留まりください。粗食ではありますが、夕餉の準備も致しております」
「うにゃ? だったらあっしも今晩はまだ出発しないようにしやしょう」
「そうだねー。ご相伴にあずかりたいもんねー」
「違わい! 知り合いのケット・シーの行商紹介して仲介料を…………おっと」
「猫って横の繋がり強いよねー。あ、おいらも今晩残りまーす」
なんで犬の妖精のはずのモッペルのほうが自由人なんだろう?
あと猫だからか、ウーリは夜に旅立つつもりだったらしい。
「せっかくの誘いだけどこのドラゴンまがいがなぁ。あと、柄と鞘替えても、なんか彷徨える騎士の気配残ってる剣も不穏だし」
「そう言えば、このドラゴンの子供はどうしたんですか?」
マーリエが覗き込むと、ドラゴンは相手が魔女というだけでまた僕にしがみついて来た。
ちょっと魔女たちが微笑ましそうにするから、間違いが起きない内に、ドラゴンの習性とかいう悪癖について説明する。
「もうしないのよ! だからあたしを素材として見ないでなのよ!」
「はぁ、妖精王さまの冠奪うだけじゃ飽き足らず、ユニコーンの旦那から剣を奪うとは」
「命知らずだねー。じゃなくて、身のほど知らず?」
「あの犬うるさいのよ!」
「本当のことなんだからしょうがないでしょ」
僕にしがみついたまま訴えてくるドラゴンをいなすと、ウーリが思い出したように背負っていた荷物の中身を漁り出す。
「ドラゴンと言えば酒にも目がないと言いますし、これなんか垂涎の品じゃありやせんか? ドワーフの火酒ですよ」
「きゃーーーー! なのよ! …………ぐぇ」
僕が鎖握ってるのに、ドラゴンは無謀にもウーリに襲いかかろうとした。
ウーリも僕が止めるとわかってて出したんだろうけど、涎流して迫るドラゴンに尻尾の毛が逆立ってる。
「ウーリ、それって売り物? いくらくらいする?」
「ユニコーンの旦那も気になりますかい? でしたら、これからのお付き合いのためにも今回はお譲りしますよ」
「え、本当? けど、さっきも言ったとおり商売ごとには明るくないよ?」
「いえいえ。世にも珍しい理性的なユニコーンの旦那と縁が結べるなら、ドワーフが売り渋るこの火酒も惜しくありやせん」
「…………モッペル、ウーリの下心は?」
「昔仕上げまで待ちきれずにノームの作った装飾品売り払って以来、出禁になってるからとりなしてほしいんじゃないかなー」
「ふしゃー!? 言うな、モッペル!」
ウーリはせっかち、と。うん、下心あってくれたほうがわかりやすいな。
(おーい、フォーレン? もしかして魔女の里にいるのか?)
(うん、そうだよ。ノームからお使い頼まれて、今日は遅いから泊まってって言われた)
(あ、そうか。…………ランシェリスが相談したいことあるからいつ戻るって聞かれてさ)
(え、そっちで何かあったの?)
(いや? 大したことじゃないぜ。なんか楽しそうな感情伝わってくるし、フォーレンそのまま泊めてもらえばいいさ)
そんな会話が僕の中でだけあったんだけど…………。
同時に里長から食堂に誘われ、魔女の料理に対する好奇心のほうが勝る。
姫騎士との旅で保存食は食べたけど、ちゃんとした料理って実は初めてなんだよね。
その後、戻ってから侵入者の件を聞いた僕は、アルフにちゃんと理由があったじゃないかと問い詰めることになった。
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