89話:初めてのお風呂
フレーゲルに案内されたお風呂は、行くまでが狭かったけど入ってみれば人間サイズで作られていた。
「これも魔王討伐後に逃れて来た方々の発案で作ったので、この大きさなんです。ただ、僕たち妖精はあまり汚れないので時折、遊び半分に入る者がいる程度で」
フレーゲルと一緒に、ドラゴン幼女も加えて洗い場でそんな話を聞く。
全員髪が長いから、洗うのに時間がかかった。
異世界だし浴槽に髪入れないとかは、今はいいかな?
「妖精って、浮くんだ?」
「土の妖精なので、浮くか沈むかの二択になりますね」
お湯の上に浮く毛玉って不思議な感覚だなぁ。
「これ、悪くないのよ!」
どうやらドラゴン幼女はお風呂が気に入ったらしい。
浴槽の縁に腕を乗せてすっかり寛いでる。
「でも喉が渇くからお酒が欲しいのよ!」
「子供が何言ってるのさ」
「見た目で判断しないでほしいのよ。あたしは見た目よりも長生きなのよ!」
「見た目十歳以下だけど、何歳なの?」
「…………本来なら千年以上生きてる、のよ」
本来なら、ねぇ。
ちょうど黙ったし、こっちもやることをやっておこう。
僕は自分の内側に意識を集中して、精神の繋がりに気持ちを向けた。
(アルフ、聞こえる? 冠泥棒捕まえたよ)
(…………お? おう、本当かフォーレン)
(あれ? 何か作業中だった?)
反応がいつもより遅い気がしたんだけど、アルフは気にするなと先を促す。
(泥棒はなんだったんだ? 土中にいて冠盗むなんてモグラでもないだろうし)
日本語でモグラって土竜って書くよね。あながち間違いじゃないかも、なんて。
(それが、自称ドラゴンなんだけど)
(はぁ? 怪物系? 幻象種系?)
(フレーゲルが言うには怪物系)
(フォーレンは何か感じるものないのか?)
(うーん…………、小さくてさ、人化しても幼い女の子なんだ。すごくよく喋るんだけど、なんか、子供っぽい印象が強くて。本人千年以上生きてるとか言ってる)
(怪物のドラゴンならそれくらい生きてても不思議じゃないな。けど小さい女の子? そんな外見になりそうなドラゴンに覚えはないぜ)
僕は思い出せる限りのドラゴン幼女の言動を伝えた。
(魔王石を毛嫌いして、血で不老不死ねぇ。確かにドラゴンらしいことは言ってるけど)
(ノームたちはアルフに直接見てもらったほうがいいって言ってるんだけど、本当に怪物のドラゴンだったらどうする?)
(幻象種ならフォーレンとこのグリフォンで抑制できるだろうけど。怪物になると不羈って特徴持ってたりするしな)
どうやらまだグライフと一緒に居るらしい。
僕の呼びかけへの反応が遅れたのって、グライフと何かしてたからかな?
悪戯とかしてなきゃいいけど。
(一応、ノームが用意してくれたケルベロスでも千切れない鎖巻いてるよ。連れて帰って大丈夫?)
(念のため、魔法陣展開してる玉座には連れてこないでくれ)
ドラゴンの中には魔法に特化した者もいるそうだ。何かの気まぐれで結界を張る邪魔をされたくはないんだって。
(あ、そうだ。アルフちょっと伝言頼まれてくれない? このドラゴン裸だから、ガウナとラスバブに服を用意してほしいって)
(なるほど。着せ替え遊びに付き合わされるのが嫌で身代わりにするのか)
(そんなつもりじゃ…………ないとは言わないけど。本当に裸のままはどうかと思うからって理由もあるよ)
(そのドラゴンもどき本人が嫌がらないならいいだろ。ユニコーンの憤怒と並ぶくらいに激情の魔物って呼ばれるヤバいのがドラゴンだし)
(え!?)
アルフの知識によると、ドラゴンは一度暴れ出すと混乱を引き起こして大地を渾沌とさせるそうだ。
火を吹く、嵐を起こす、水を乱して土を割る。時には病を蔓延させて、どんな生物も丸呑みにし、人々の悪心を駆り立てるんだとか。
僕は思わず、浴槽で泳ぎ出した行儀の悪い幼女を見る。
(ヤバそうには見えないよ?)
(まぁ、ドラゴンまがいだし)
(本来ならって言ってたのが気になるね)
(本物だったら速攻森から追放だな)
(他の怪物みたいに保護しないの?)
(だってそいつ、すでに盗み働いてるし)
犯罪者は保護しない、と。
確かにそうだよね。
(ん…………? 悪い、フォーレン。ちょっと忙しくなりそうだからまた後でな)
(え、アルフ? おーい、アルフー?)
切れちゃった。
何してるんだろう?
そこで突然、僕の腕をドラゴン幼女が叩く。
「酒とは言わないのよ。喉が渇いたのよ」
「お湯で泳ぐからだよ。フレーゲル、あがったらお水貰える?」
「はい、もちろん」
お湯から上がってみると、僕もクラッとする。
思ったよりお湯が熱めだったみたいだ。
けど脱衣所を出ると、日の当たらない地下はひんやりしていてちょうどいいくらいだった。
裸の幼女には、間に合わせでお風呂に用意されていたタオルを巻かせる。
水を飲ませた後はドラゴンの姿になってもらおう。
サイズ的に動きにくいのもあるけど、鎖でつないだ幼女を引く自分に、ちょっと…………うん…………居た堪れない。
「剣のほうはいつでも持って帰っていいそうです。冠はもう一度磨き直してお持ちします」
僕たちが水を飲んでる間に、フレーゲルがそう報告して来た。
彷徨える騎士の剣は、いっそ魔法剣用の経年劣化しない柄と鞘に全て置き換えたそうだ。
「一応取り替えた柄と鞘は、引き続き復元はするそうです」
「そうなの?」
「はい。どちらにも紋章が刻まれていて、彷徨える騎士にとっては手放しがたいだろうとのことで」
ノームって心遣いが利いてるなぁ。
そんなことを考えながら、僕はユニコーン姿でドラゴンに繋がる鎖を腰に巻き、元来た地下を登って行った。
煙突山の中にある工房まで戻ると、ちょうど誰かが入り口を這いずる音がしている。
「いきなり入ってこられても、あんがいわかるものなんだね」
「一応鍛冶屋ですから。僕たちは通り抜けましたけど、入ってすぐの右手に店の受付があるんですよ」
「あ、本当だ」
フレーゲルに言われてみると、目の合ったノームが手を振ってくれる。
その動きで気づいたけど、たぶん女性のノームだ。
髭に見えたのは髪で、わざわざ側面の髪を顔に持ってきて髭っぽくしてる。これもノームのファッションなのかな?
「あ、ダークエルフの…………」
這い入ってきた相手を見て、フレーゲルが親しげに声をかけた。
思わず好奇心で噂のダークエルフを見つめる。
褪せたような薄い金色の髪に、黒っぽい荒れた肌、綺麗な若葉色の瞳が目についた。
今はフードを降ろしていたから顔が見えたけど、他はほぼ肌が見えない。黒っぽい濃緑の服は森の中に潜まれると見失ってしまうだろう。
「フレーゲル、頼んでいた鏃は…………」
矢筒を背負い直してそう話しだそうとしたダークエルフは、僕とドラゴンを二度見した。
咄嗟に弦を外していた弓を取ろうとして、僕だけを三度見する。
「そちらは、噂の…………アルベリヒさまの…………?」
「はい、そうです。妖精王さまのご友人のユニコーンさんです」
「初めまして、僕」
自己紹介をしようとした途端、ダークエルフは深くフードを被ると、出て来たばかりの穴に素早く入り込む。
「お目汚し失礼。出直す、フレーゲル」
「え、はい」
フレーゲルの返事を聞いているのかいないのかわからない速さで、ダークエルフは元来た穴を素早く這って行ってしまった。
「…………僕、やっぱり怖がられるんだぁ」
「ふ、普段はあんなんじゃないんですけど」
フレーゲルが気を使ってくれるけど、つまり僕だからあれだったんでしょ?
エルフって幻象種だったはずだけど、グライフともアーディとも違うんだなぁ。
「何か用事があって来たはずなのに、悪いことしたかも」
「あの方、恥ずかしがり屋というか自己評価が低いところありますんで、ユニコーンさんが気にすることはありませんよ」
「このユニコーン、変なのよ」
アルフにドラゴンもどき扱いされてる相手に言われたくないなぁ。
そんなことがあってアングレスの所に剣を取りに行くと、ドラゴンが口に咥えて盗もうとした。もう反射的って言える速度で。
「言い残すことはある?」
「フゴフゴ! 素材…………フガフガ!」
また盗みに手を染めようとしたドラゴンに角を突きつける僕の後ろで、アングレスが何か言った気がする。
ドラゴンにも聞こえてたみたいで目が怯えたように見開かれた。けど、口に咥えた剣は放さない。
しょうがないからケルベロスみたいに角を舌に刺してみた。
「痛ーーい、なのよ!」
大口を開けたところを素早くフレーゲルが剣を取り返して僕の後ろに下がる。
「じゃ、それが最期の言葉ってことで」
「待ってなのよ! ドラゴンの習性なのよ! それだけの良品だったと誇れなのよ!」
「違うよ。まずは謝る。命乞いをするなら最低限、謝って」
「ごめんなさいなのよ!」
あ、思ったより素直。
僕が角を引くと、周りに集まっていたノームの鍛冶師たちがあからさまにがっかりして自分たちの炉に戻る。
思わずドラゴンを見直すと、ブルブルと震えていた。
「見たのよ? あたしを素材としてしか見ないあの目を見たのよ!?」
「うん、そうだね…………」
やっぱり妖精って癖が強いなぁ。
改めてそう思えるほど、ノームたちは飢えた眼光をしていたのを僕も見てしまったのだった。
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