84話:冥府の番犬と毒
他視点入り
軍の中、私マウロは自分でも自覚できるほどに顔色が悪かった。
理由は誰も知っている。私は妖精王との決闘に入れられたのだ。いや、指名された。
何故かなど、聞くまでもない。
「妖精如きに何を怖気づいている。騎士たる者がそれでなんとする」
「あなたはわかっていない…………」
軍の中で所属の違う騎士は独立した戦力だ。
ただし軍という組織に組み込まれた以上、今声をかけて来たような上役はいる。
「妖精など実在しない不確かなもの。心の弱い者から惑わされるなど、子供でも知っていることだろう」
「あのエルフとの会談中、ずいぶんな悲鳴が聞こえていましたが?」
「何を!?」
怒声なんて慣れてる。
何よりこんな虚仮脅しの怒声など、身に迫る命の危機には劣るもの。
「私は触れられた時点で死ぬ。そういう呪いだ。実在も何も関係はない」
「ふん、自業自得だろうに何を被害者ぶる」
「では妖精王の逆鱗に触れ軍が全滅させられても、それも自業自得なのでしょうね」
「馬鹿を言うな! 妖精如きに我らオイセンが負けるとでも言うのか!」
「まぁまぁ。この者は今とても悲観的になっているのです。どうかそっとしておいてくれませんか」
上役の絡みを領主が止めてくれた。
まぁ、自業自得と私が攻められるなら、呪われる一因となった領主も黙ってはいられなかったんだろう。
この方には取り立ててもらった恩ある。
たとえロミーに殺されたとしても、怨みはすまい。
「ふん、妖精一匹に怖気づきおって。決闘の問題は対処が多様になることだろう。まだ相手が妖精であるとわかっている自身の優位を考えろ」
「そのことなのですが、ご命令のように妖精を周囲一帯から排除するには冒険者の手を借りるべきかと」
「ならばそれらに対処させろ」
「いえ、契約内容とは異なるとのことで反発がございまして」
「軍の徴収だ」
その一言で全てが解決するとでも思っている上役の言葉に、領主も頬が引き攣る。
本当に軍の者は何もわかっていない。
命じれば全て思うとおりに動くのなら、人間に心などいらないだろうに。
「それで、その、冒険者の手当はいかように?」
「何を言っている?」
本気でわかっていない上役の表情から、徴収された冒険者がただ働きであることは察せられた。
冒険者は命の危険のある依頼は受けないし、いざとなったら逃げる。
徴収などは無意味だ。無理を通せば今後領地運営で領主が困る。
「し、しかしそれでは士気に関わるかと。彼らも水路を作るために戦い続けており」
「ふん、勝手にユニコーン狩りを行う人員は用意できるというのにか?」
軍からの心象の悪い領主はそれ以上抗弁できなくなってしまった。
ただ金羊毛はこの辺りを拠点にして特化しているため、逃げられない。
動員できる冒険者が、辺りで一番の実力者であることに感謝しつつも同情を禁じえなかった。
そこに見計らったかのように金羊毛の頭が音もなく現れた。
「私が対応いたします」
上役とのやり取りで疲れた領主に私は申し出る。
「どうも、いい話じゃなさそうだ。徴収って聞こえたが…………ただ働きか」
「すまん…………。だが軍も全く考えなしというわけではない」
「というと?」
「軍が新たに流浪の民の魔法使いを連れてきた」
「魔法で妖精とやり合うってか? 魔法はすでに封じられたも同然だってのに」
「いや、魔法については妖精も同じ状況のはずだ。それに直接やり合うわけではない」
私は不審がる金羊毛の頭に、軍が講じた手を説明した。
「うーん、何とも言えん。確かにできりゃ対抗も可能だろうが」
「聞いたこともないか? 魔王の時代の文献にはその存在が記されているそうだが」
「魔法は専門外だ。魔女もそんな大掛かりな魔法使っちゃいねぇ」
最悪欺瞞、と金羊毛の頭は口の動きだけで私に告げた。
お互いに言わずとも同じ懸念がある。あの流浪の民は信用ならない。
それでも軍に従うしかない現状、金羊毛の頭は励ますように私の肩を叩いて足を踏み出した。
「死ぬなよ」
「あぁ」
事情を知ってるからこその短い言葉に、人の温かさが身に染みた。
「ふふ…………」
「もしかして、メディサ?」
僕は行く先から聞こえる微かな笑い声にそう声をかけた。
「フォーレン!? な、何故ここに?」
そう聞きながら、メディサは何処かに隠れるように動く激しい音がする。
うーん、もっと仲良くならなきゃ会って話してくれないかぁ。
「アーディに湖の毒を浄化するよう言われたんだ。それで、冥府の穴から毒が流れてくるって聞いたから、様子を見に来たの。そっち行ってもいい?」
「いえ、待ってください。こちらには…………!」
メディサが何か言おうとした途端、激しい唸り声が聞こえた。
同時にバンシーの加護である嘆きの声が大音量で聞こえる。
僕は身の危険と共に、本能的に角を構えて前へと走り出した。
「止まりなさい、ケルベロス!」
メディサの鋭い声に、僕に向かおうとしていた真っ黒な巨体が止まる。
瞬間、僕はその巨体の足元の毛を削ぐようにして駆け抜けた。
「うん? え…………? 今ケルベロスって言った?」
僕は走りながら向きを変えて、巨体を見上げた。
辺りは紫色の花が咲き乱れる窪地。
岩でできた洞窟を背に立っているのは、名前の通り三つの首を持つ猛犬だった。
「グルルル、ガウゥゥウゥ、オイシソウ」
「今どれかの首が美味しそうって言った!」
僕がまた角を構えて足に力を籠める。
すると隆起した地面の上にある木の洞に隠れたらしいメディサが止めて来た。
「待ってください、フォーレン! ケルベロスは底なしと名に冠する怪物。目に映るもの全てに食欲を覚えるのです!」
「それ、僕どうすればいいの!? 食べられるのはなしでお願い!」
「食べてはいけないと教え込めば大丈夫ですから!」
「躾ける時間はないみたい!」
ケルベロスは嬉々として僕に襲いかかって来た。
って、今気づいたけど、このケルベロス最近よく見る目玉の正体だ!
大興奮で僕を追いかけてくる!
走り回って、ジャンプして、尻尾振り回してもう、ただの浮かれた躾のなってない犬じゃん!
と思った瞬間、普段役に立たない前世の知識が閃いた。
それは、犬の躾け方!
「えっと、まずはリードを短く…………お座りか伏せで抑制? 目を見て揺るがない声で指示を出す? 叱るのとは違う…………」
色々出てくるけど、リードはないし、お座りとか伏せを覚えてるかも知らない。目を見ろと言われても三対あるし、叱る時とは違うってよくわからないな!
「やるしかないけどね。…………ともかく、お座り!」
僕は跳び上がって風の魔法で勢いをつけ、ケルベロスのお尻を思いっきり踏みつけた。
突然のことに座る形で膝を折ったケルベロスは、一瞬何が起きたかわからない顔で僕を捜す。
けど真後ろでもう一度跳び上がった僕は、ケルベロスの正面に着地して、ともかく真ん中の顔を睨んだ。
「僕は、食べ物じゃない。食べちゃ、駄目。いい? 僕を食べようとなんてするな。齧りつくというなら、その口引き裂くからね」
なんか後半脅しになったけど、叫ばず目を逸らさず言い聞かせると、真ん中のケルベロスの頭は動かなくなった。
両脇の頭は困ったように目を見交わしてる。
でも僕が動かないことで、困った首二つもじっと僕を見始めた。
「ケルベロス、それ以上じゃれかかるならフォーレンは二度と来てくれないわ。今は冥府の穴に帰りなさい」
メディサがそう声をかけると、耳をそばだてたケルベロスは不服そうに鼻を鳴らしながらも岩でできた洞窟のほうへと足を向ける。
瞬間、大音量で響いていた嘆きの声が引いた。
危機を脱したのかな? ふぅ、怖かったぁ。
「メディサがいてくれて良かった。助かったよ。冥府の穴の番人って、ケルベロスだったんだね」
胸を撫で下ろす僕に、メディサは不明瞭な返事をしただけだった。
毒草を改めて見ると、アルフの知識が教える。
ここに咲くのは全て猛毒のトリカブト。ケルベロスが興奮して流す涎が毒で、トリカブトが咲くんだって。
どういう原理か謎すぎるけど、どうやら岩の中で僕をじっと見つめるあの怪物、そうとう危険な存在みたいだ。
「メディサ、一人でこんな所にいて大丈夫なの? ケルベロスに襲われない?」
「大丈夫、です。ケルベロスも石化させられることは理解してますから」
「あ、そうか。メディサも怪物だからお互いに無駄な争いはしないんだね」
僕が残って話していると、ケルベロスが三つの首を洞窟から出してきた。
殺す勢いでじゃれかかってくる気はないみたいだけど、好奇心いっぱいの目で見られてるなぁ。
「摘んであるこのトリカブト、何かに使うの?」
「いいえ。湖に流れる毒を少しでも減らそうと除草しているだけですので」
「だったら僕が解毒していくね。この下に溜まってる水、何処から来てるんだろ? これも毒?」
「はい。妖精王さまがこの場の地形を少々変えた時に水が湧いてしまい。そこから湖に流れ出すようになってしまっています」
僕は頭を低くして角でトリカブトを切り払って窪地を歩き回った。
で、気づかずケルベロスの舌が届く範囲に移動してた。ら、ベロンとやられた。
咄嗟に角で真ん中の首から出た舌を突いたら、犬らしい甲高い声を上げる。
「ドク、いひゃい、キエタ」
「まぁ! ケルベロスの毒を直接浄化できるなんて…………」
「タベル、いひゃい、キエル?」
「駄目です。フォーレンは妖精王さまの友人ですから、食べてはなりません」
メディサに叱られて黙ったけど、なんか痛がってる真ん中以外が未練たらしく見てくる。
「メディサ、今度僕にもケルベロスの躾け方教えて。このままだと僕丸呑みにされそう」
「私がですか? そ、それでフォーレンがよろしければ、私は…………」
「本当? ありがとう。決闘終わった後にお願いします」
改めて言うと、メディサは消え入りそうな声で「はい」と言った。
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