67話:ウンディーネの恋
僕はアルフのお遣いを達成するため、暗い雰囲気になってしまったロミーに事情を聞くことにした。
「ロミー、けじめってどういうこと?」
淀むような瞳を向けるロミーは、少し考えて近くの倒木に座る。
そして僕も隣に座るよう手招きしてきた。
「理解してくれようとするなら話すわ。フォーレンって森のことや妖精のこと、何も知らないのよね?」
「アルフに知識を貰ってるから、言葉がわかれば調べられるよ」
「じゃあ、ウンディーネについてはどれくらいわかってる?」
どうやらロミーには説明をしなければいけないほどの何かがあるらしい。
けじめって言われると、なんでかヤクザって出てくるんだけど、僕の前世まさかそっちの人だったとかないよね?
一抹の不安を横に置いて、僕はウンディーネが集合意識の一部であることはわかると告げた。
「ウンディーネが生まれるのは、水面を揺らす人が現われた時。その人のために生まれる妖精で、困っているなら助け、迷っているなら導き…………そして結ばれたいと願われれば、恋をするの」
少し恥ずかしそうに言うロミーは、絵に描いたような恋する乙女の顔をしていた。
もともと美少女と呼んで差し支えない顔なのに、恥じらいと喜びに頬を染める姿は、恋に落ちるのも納得の可愛さだ。
「ロミーは恋をするために生まれたの?」
「そうよ。私を呼び覚ましたのはオイセンの騎士」
思わず漏れそうになった声を、僕は危うく飲み込む。
『恋の霊薬』を仕込んだ騎士とはきっと別人だと思う。
だって、この湖とシュティフィーの木はそれなりに離れてる。森を突っ切るなら時間はかからないけど、森の外周を回ると半日かかりそうな場所だ。
「その騎士とは、どうやって出会ったの?」
「森に迷い込んで来たの。この湖から流れ出る小川の先にある町に帰ろうとしていたのよ」
つまり騎士は森の中で迷ったけれど、湖に来た時点で帰り道は見つけていた。
そして湖の水を手に取り、ロミーというウンディーネが生まれたということらしい。
美しいウンディーネに、騎士は一目惚れ。
そうして望まれたロミーもまた、騎士に恋をしたそうだ。
「うふふ、出会った日の夜に私たちは肌を合わせて将来を約束したの」
「早いね!?」
「そうかしら?」
出会ったその日にベッドイン?
え、これがこの世界の普通なの? それとも妖精の普通?
今度ランシェリスたちに会ったら確認してみよう。
「将来を約束したってことは、結婚するってこと?」
「そうよ。私、お嫁さんとして町に連れ帰ってもらったの」
「騎士、ロミーが妖精だってわかってたの?」
「もちろん。肌を合わせる前に伝えたわ。それでも変わらぬ愛を誓ってくれたから、私も身を捧げたのよ」
子供の僕には難しいなー。
それで信じちゃうの? 口約束にならない? っていうか、恋ってそんなに簡単に貞操捧げちゃうもの?
「フォーレンにはちょっと早かったかしら? すごく困った顔してるわよ」
ロミーは得意げに言って、僕の眉間を突く。
「そうかもね…………。それで、ちゃんと結婚できたの?」
「うん、ちょっと反対されたりはしたの。やっぱり異種族での結婚って失敗例のほうが多いから。でも、あの人はちゃんと結婚してくれて、家も用意してくれたわ。だから私も頑張って人間の中で奥さんをしたの」
どうやら二人の思いは本物で、僕の心配は杞憂だったようだ。ただ問題がなかったわけではないらしい。
「こういう服着ちゃ駄目でね、すっごく窮屈だったの。あと靴! あれは嫌だったなぁ」
「あ、靴が嫌ってなんかわかる。裸足に慣れてると、靴を履くことに抵抗できちゃうんだよね」
僕も今、人化したら裸足で過ごしてる。だって、ユニコーンに戻るとどうやったって裸足だし。
農村なんかじゃ裸足の人珍しくないけど、町になると悪目立ちしたんだろうな、ロミー。
「他の人の隠してることは口にしちゃ駄目とか、悪いことしても目を瞑るのが人づき合いだとか。料理を作るなら肉も食べたいとか、水路で泳いじゃ駄目とか。人間の街で暮らすのって、決まりごとが多くて大変だったんだよ」
「あ、うん。そうだね…………」
これは妖精だからかな?
きっと町にもコボルトみたいな妖精がいて、ロミーからすれば誰が何を隠していてももろバレだったんだろう。
妖精って素直に口にするところあるから、空気読まない発言とかしそう。
肉料理は水中に済むロミーの好みの問題だとして、水路で泳いじゃいけないのは、子供に言い聞かせるレベルのことだ。
夫になった騎士、子供のような奥さんに常識を教えるところから始めなきゃいけなかったんだじゃない、これ?
「それでも私、人間の暮らしに合わせるために頑張ったんだ。あの人も頑張ってるから、きっとみんな受け入れてくれる日が来るって言ってくれて」
「いい人だったんだね、その騎士」
「うん、そう…………あの女が現われるまではね…………」
嫌な重みを持つ声で呟くロミーに呼応して、波のなかった湖が突然荒立つ。
ボリスはずっと僕を盾にするようにして隠れてる。
待って。
この流れで女って、女って!
「私の魔法、水に特化してて、町だけじゃなくて周辺の畑の水問題にも重宝されたの」
「う、うん…………」
一言ごとにロミーから威圧感が漂ってくる。
「私の力を好きに使いたい領主が、あの人を取り立てて、恩を売ったのよ。あまりいい感じの人ではなかったから忠告をしたけれど、あの人は煽てられて領主を信用してしまった」
今だからこう言えるけど、ロミーは当時夫となった騎士を心から信用しており、騎士が大丈夫というならそうなのだろうと軽く考えていたそうだ。
領主が湖に興味があると言う騎士に、ロミーは望まれるままウンディーネのこと、人魚のことを話したらしい。
「もう言わないけどね! 人魚たちにも口が軽すぎるって怒られたし。弱点は隠すものだーって」
ウンディーネや人魚の弱点。
と考えたらアルフの知識が開いた。
口が軽いのは妖精王からしてそうなのかもしれない。
「人魚は乾燥に弱くて、縛られて一日太陽に晒されると、干物になる?」
「あ、そうか。フォーレンはアルベリヒさまの知ってることは知ってるのよね。だったら、ウンディーネが禁忌を破られると水に帰ることもわかってるよね」
「あ、本当だ。…………あの、禁忌に、不倫されるとってあるんだけど…………」
僕が頭の中の知識を口にすると、ロミーはうっそりと笑った。
笑顔なのに、確かな殺気を感じる。
「私からあの人を裏切ることはない。そう知った領主は、あの人を繋ぎ止めるために女を用意したの。…………私と生涯の愛を誓ったのに、あの人が命を懸けないなんておかしいでしょう? 例え私が水に帰っても、あの人は私以外の女を受け入れてはいけないの。それが私たちウンディーネの禁忌。そう、教えておいたのに」
騎士はロミーから他の女に目移りしてしまったらしい。
ウンディーネは不倫を許さない。裏切った相手は、自らの手で死を与えるのが掟。
ただし、ウンディーネには他にも禁忌があった。
「あの女と口づけを交わすところを私に見られたから、あの人、水辺で私を罵倒したの。私は禁忌に触れて水に帰った。ロミーとしての意識は消えそうだったわ。その夜、あの人があの女と肌を合わせるまでは…………」
「ひゃー!?」
波打つ湖に、ボリスが恐怖の声を上げた。
「うふふ、どうして私が水に帰ったら禁忌がなくなるなんて思ったのかしら? 永遠の愛を誓ったのは嘘? そうね、嘘吐きなのよね。だからあの人は…………ふふふふふ」
「ロミー、ロミー! 落ち着いて!」
焦点の合わない目で宙を見据えて笑うロミーはひたすら不気味だ。
その上、湖が荒れて白い水飛沫が僕たちにまでかかる。
「私はあの人を殺さなくちゃいけないの。だから結界なんかで遮ってもらっては困るのよ。水路を作るなんて馬鹿なことをするなら、きっとあの人を道案内に人間たちはやって来る。その時こそ、私は裏切りのけじめをつけるのよ!」
「ケルピーまで来たー!?」
ボリスの声に見ると、荒ぶる馬が水の上を走ってやって来る。
その後ろには溺れろと言わんばかりの波が蹴立てられていた。
脳裏に開いた知識によると、水馬とも呼ばれる幻象種で、背に乗った者を溺れさせて食べるんだとか。
今はたぶん、ロミーの立てる波に気を良くして走ってるだけ。
なんだけど、こっちに向かってきてる!
僕たちに水をかける気満々だ!
「ひぃー! おいら消える、消えちゃうよ!」
「ロミー! あの馬止めて!」
このままじゃボリスが波を被って死んでしまう。
けど、ロミーは殺る気に満ちて湖を波立てているばかり。
ケルピーにも僕の声にも気づいてくれない。
「あーもー! …………来るな!」
僕はケルピーに向けて威圧を放った。
不意打ち以外じゃグライフにも効かない威圧だけど…………と思ったら、ケルピーは怯えたように後ろ足で立ち上がって止まる。
「ヒヒィーン!? ユニコーンかよ、チッ!」
なんか舌打ちされた。
すっごい水差しやがってって言いそうな雰囲気だったけど、これって僕悪くないよね?
水中に帰るケルピーと一緒に、波も湖の中に潜り込むようにして消える。
「あら? なんだかピリッとしたわ。今のフォーレンがやったの?」
「あ、うん。驚かせてごめんね?」
「謝んなくていいよ。フォーレンのお蔭でおいら命拾いしたぜ」
威圧で正気に戻ったらしいロミーに、ボリスは頬を膨らませるほど盛大に安堵の息を吐き出してみせた。
胸を撫で下ろしたのも束の間、僕は新たな気配に湖を見る。
「誰が湖を騒がせているのかと思えば…………。例のユニコーンか」
そんなことを言いながら湖から上がって来る人物がいた。冤罪だ。
「あら、アーディ。ちょうど良かったわ。アルベリヒさまが、結界を張らせない理由を聞いているそうよ。人魚のほうの話もフォーレンにしてあげて」
「馬に話してなんになる? あの頭も言葉も軽い妖精王に言っても同じだろうがな」
「もう、そんな言い方しないで」
ロミーが怒って見せてもアーディから返るのは冷淡な言葉。
見える肌にあるのは鱗。耳からは鰭が生えており、手には被膜。
たぶん、このアーディがこの森に住む人魚なんだろう。
また難物が出て来た。それが僕がアーディに会った最初の印象だった。
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