51話:暗踞の森
ユニコーン姿で丘を登った僕は、向かう先に広がる光景に目を瞠った。
「見渡す限り、森!?」
「ようこそ、フォーレン。あれが俺たち妖精の住む暗踞の森だ」
僕の前に飛んで来たアルフが、小さな体で両手を左右に広げてみせる。
まだ距離はあるのに、右も左も木々が連なっていて、森全体は黒っぽくさえ見える。
上空を旋回して降りて来たグライフも、森の広大さを口にした。
「話には聞いていたがこれほどとはな。西へ行った時も妖精女王の森は見なかった。これに比肩する広大さがあるのか?」
「あっちは五百年前の戦火に半分やられたから、どれだけ回復してるかによるな。回復してたら、ここより一回り大きいはずだ。ただし、森の中の地形の多様性はこっちのほうが勝ってるぜ」
僕たちがそう話している内に、シェーリエ姫騎士団が追いついてくる。
「ここが暗踞の森か。聞きしに勝る深き森のようだ」
「ランシェリスも来たことないの?」
「実はジッテルライヒから南に来たのは、今回が初めてなんだ」
ランシェリスが答えると、ローズが赤い髪を靡かせて並んだ。
「初めてと言えば、こんなにのんびりした行軍も初めてだったわね」
「そうなの?」
「えぇ。私たちが動く時には解決すべき問題が待っているから、先を急ぐことが多いもの」
「ただ今回は急ぎではない以上に、楽ができたのが大きい。君たちのお蔭だ」
どうやら、姫騎士団たちにとって僕たちとの旅は楽なことがあったようだ。
「だって、夜起きなくていいんだもん」
そういったのは従者のブランカ。
小休止となり、僕たちの近くで傷んだ衣類の修繕をしている。こういうのは一番下っ端の仕事なんだって。
ガウナとラスバブは嬉々としてブランカの仕事を手伝っていた。きっとブランカにとっては手伝ってくれるコボルトの存在も楽ができた要因だろう。
「魔物どころか獣も出ないし、迷わないし、水の確保も困らないし。食料確保も手伝ってくれて、本当に楽な旅だったよ」
満面の笑顔で言われても、僕は大したことしてない。
ユニコーンの僕とグリフォンが揃ってる時点で、魔物も獣も身の危険を感じて寄ってこない。逆に隠れているのを追い立てれば、簡単に姫騎士団が狩ってご飯にできた。
住処の方角をアルフは見失わないし、アルフの技能なのか、湧いてない地下水の位置まで探り当てるから馬たちの給水も問題なかったんだ。
「そうか、旅って大変なものなんだね」
人間の記憶はあるけど、体はユニコーンだから長距離の移動が今の僕にはほぼ苦にならない。
もし僕がこの世界に人間として生まれて、子供の内に庇護者を失くしていたとしたら。
うーん、生き残れる気がしないなぁ。
「話し中にすまない。妖精どの、少々いいか? 暗踞の森についてご説明願いたい。どうも我々の持つ知識は偏っているようなのだ」
「偏ってる? 例えば?」
ランシェリスとローズがやって来て、アルフの問いに顔を見合わせた。答えたのはローズだ。
「森の奥には昔の悪いものが封じられている。森の深くまで入ると帰ってこれなくなる。森の先は異界に通じており、見知らぬ生き物が存在している。森の木を切ると呪われる。…………似てるけど少しずつ違う話を聞いたことがあるだけなんです」
「どれもあながち間違いではないな」
「え? あ、悪いものって魔王石のこととか?」
帰れなくなるのは妖精の悪戯? 見知らぬ生き物は悪魔かな?
僕の推測にアルフはランシェリスたちの反応を見て肩を落とした。
「ちょっとそうかとは思ってたけど、五百年前の盟約覚えてる奴っていない?」
「五百年前…………? 魔王打倒の頃だろうか? 確か新たに生まれた妖精王がこの森を領有し、暗踞の森と呼ばれるようになったとは聞いています」
ランシェリスの答えに、アルフは僕の背中に座って膝を打った。
「よし、最初から話してやるよ。まず妖精王は妖精女王の命令で、あの森に派遣されたんだ。理由は、魔王亡き後の魔王に与した生き残りが森に隠れて管理する者が必要になったから」
アルフの話を聞くため座ったローズが吟味するように目を細める。
「管理? 魔王の残党が森に入り込んで悪さをするのなら、軍を擁して討てばいいのでは?」
「魔王倒すために人間たちも死力を尽くした後だ。しかも残党は悪さをしなかった。だからって野放しは不安すぎる。そこで妖精女王に人間が願って、妖精王が派遣されることになったんだ」
魔王討伐に参加したものの、妖精女王は基本的に善悪に対しては中立の立場だった。
そして森は古くから逃亡者を受け入れる慣例があるらしい。
僕が知る例としては、駆け落ちしてアルフの失敗で大火傷をした恋人たちのようなものかな。
「森を妖精王が管理して、周囲の者たちは森への不可侵の盟約を交わした。代わりに、残党も悪戯に森の外には出さないよう、封じたと言える。森を離れる奴は討伐可能。ただし、妖精王に助けを求めてやって来た奴を討とうとするなら、森全体を敵に回すことになる」
「貴様らも残党の一部は見たはずだぞ、小娘ども」
グライフがからかうように言うと、ランシェリスは眉間を険しくした。
「魔王の悪魔、アシュトル?」
「おう、あいつも森にいる。受肉してたから魔王倒されても残ってて、やることないからって森に来たぜ」
「え、そんな理由?」
思わず僕が聞くと、アルフは無邪気に笑った。
「悪魔は人間誘惑して試すのが存在意義だからな。あの時代、人間たち滅びかけてて試すなんてしてる余裕なかったんだよ。で、人間たちの復興助けるのも、復興してから誘惑するのも億劫って奴らが三柱、森に残ってるぜ」
どうやらやる気のない悪魔が残り、その内の一人がビーンセイズ王国で戦ったアシュトルらしい。
「他には何がいるの、アルフ?」
「なんでもいるぜ? さすがに森に逃げ込んだ人間たちは死に絶えたけど、悪魔、怪物、幻象種は残ってる。魔王関係なしに住んでる人間もいる」
「か…………怪物!?」
「実在するの!?」
ランシェリスとローズの反応に、ブランカはわからない顔をしてる。
三者の反応を見て、アルフは投げ出すように僕の背中に寝ころんでしまった。
「本気かよー。神殿関係者でこれなら、人間のほとんど忘却してるってことか?」
「アルフ、怪物ってどんな種族なの?」
「うーん、俺としては半精神体だから、幻象種と同じだと思うけど」
アルフの説明にグライフが羽根を打って抗議の風を起こした。
「戯け。あれこそ貴様らの神の悪趣味な人形ではないか」
「そういう言い方するなよ。神の怒りの体現者、呪われた悲しき生命。言い方は色々あるんだ」
「どう言葉を飾ろうと、神に逆らった者の末路を周囲に知らしめるためだけの見せしめであろう。しかも見せしめのはずが人間たちはその実在さえ疑うありさま。もはや存在する意味さえ失っておるではないか」
怒るグライフにアルフは悲しそうな顔をして起き上がった。
「本人たちとしては、もしかしたら忘れ去られたほうが気は楽かもしれないな」
「その…………ドラゴンなどがいることは聞いているが、北のほうにはもう残っていないので」
「あぁ、そうだよな。魔王が倒された後にほとんど滅ぼされたし。何処かで復活しても、情勢見て出てこなかったんだろう」
「あの、復活ってどういうことですか?」
今度はブランカが疑問をぶつける。
「怪物ってのは、このグリフォンが言ったように神の怒りを買って呪われた者たちだ。死ぬことさえ許されず、倒されたとしても呪われた身でまた世界の何処かで目を覚ますようになってる」
「そ、そんな切りのない相手が、かつて魔王の配下に?」
戦くローズに、アルフは頬を掻いた。
「怪物として自棄になって暴れてた奴らもいたけど、中には神の許しを騙った魔王に従ってた奴らもいる。一概に怖がらないでいてやってくれ」
「たいていが人間など一睨みで殺せる強さを持っているがな」
グライフがからかうように言うけど、僕の中のアルフの知識があながち間違いじゃないことを物語っていた。
妖精王の森、怖いな。
妖精がいるだけでも厄介な所だと思うんだけど。
「それだけの歴史背景があるのなら、私たちの勉強不足です。お恥ずかしい」
ランシェリスはアルフに無知を恥じる。
「森に接してない国から来たならそういうこともあるさ。それに、こっちに来たのも初めてなんだろ? 知らないことを恥じる気持ちがあるなら、これから知って行く活力にしてくれ」
「アルフってたまにまともなこと言うよね」
「仔馬、たまにしか言わないことが問題なのだ」
「うるさいな!」
僕とグライフの野次に、アルフはちょっと真剣な顔になる。
「森に接してる国の人間でも、盟約のこととか忘れてるっぽいんだ。俺だってちょっとは深刻に考えるって」
「そこでちょっとしか深刻にならないのが駄目なんだと思うよ?」
「貴様の普段の行いが悪いから軽んじられるのだ、羽虫」
「だからうるさいって!」
もう一度アルフが声を上げた時、グライフは警戒態勢で立ち上がった。
「何か近づいてくるぞ。…………飛んでいる?」
グライフが見つめた先を見ると、森の上空から何かが飛んでくる。僕たちに向かって一直線に。
近づいてくる姿を観察していると、それは箒に跨った少女だった。
「「「魔女!?」」」
ランシェリスたちが珍しいものを見たと言わんばかりに声を大きくする。
どうやらこの世界でも魔女は箒に乗るらしい。
そして、やっぱり僕たちに向かって飛んできて、高度を低くすると上空を旋回しながら叫んだ。
「すみません! この中に妖精王はおられませんか!?」
僕以外の全員が、僕の背中に座るアルフを見る。
うん、今まで誰も言わずにいたのに、台無しだった。
毎日更新
次回:魔女のマーリエ




