45話:魔王崇拝者
僕らの攻撃で瓦礫となって吹っ飛ぶ扉。
石造りの室内は広く、天井が高い。埃が昇って行く先を確かめると、月明かりが差し込む窓がある。天井に近いほど高い位置にある窓は、きっと時が経てば月が顔を覗かせるのだろう。
工房と呼ばれる割に物は少なかった。
ただ、床には足の踏み場がない状態になっている。
人が、何十人も倒れているんだ。
「なんと、あの悪魔の群れを越えて来た者が?」
警戒も露わに、捩じられ歪んだような木の杖を握る男が振り返る。
僕のブラフに引っかかった魔術師長ブラオンだ。
僕は爆破で燃えた扉の煙に紛れて人化する。
一歩踏み出して、ブラオンの前に姿を現した。
「…………角?」
あ、アルフに隠してもらってない。ま、いっか。
ブラオンも少し驚いた程度で、もう平静に戻ってるし。
「用件は、わかっていると思うけど。まず聞かせて、この人たちはどうして殺したの?」
僕が指す床の人たち。
すでに生きていないのは動物的な嗅覚でわかっていた。
ただ、見える素肌が誰も乾燥して骨と皮だけ。前世の知識で言うミイラのような状態になって倒れている。
その上、着ている服は魔法使いっぽい揃いのローブ。同じ服を、今目の前にいるブラオンも着ているんだ。
つまり、ブラオンは同じ所属の魔法使いたちをこれだけの数殺したことになる。
「ふん、魔法のなんたるかも知らぬ子供が」
「フォーレン、こいつらはあの古代兵器の動力として魔力を吸いつくされてる。それと魔法陣起動のために生気を、悪魔の贄に魂をってところだな」
僕の顔の横に浮かぶアルフに、ブラオンは歯噛みする。
否定しないところを見ると、アルフの説明で合ってるんだろう。
仲間をいきなり刺したっていうのはガウナとラスバブに聞いてたけど、一人じゃ飽き足らずこんなに殺してるなんて。
顔を合わせた時から嫌な奴だとは思ってたけど、どうやら思う以上に人間性が破綻しているようだ。
これを国王が命じているとするなら、国王も長生きするべきじゃないと思う。
「やはり妖精と共にいたか」
「おう。今さら白を切るなよ。森から持ち出されたダイヤモンドは返してもらう」
アルフの宣言に、ブラオンは鼻で笑った。
「妖精が姫騎士団などという色物に媚びたか。お前のような小物を送り込むしかないほど、妖精王は無能のようだな」
いちいち腹立つ物言いしかできないのかな、この人?
ランシェリスたちはこの国の騎士よりずっと質実剛健だし、アルフは成りこそ小さいけど魔法と知識はすごいんだ。
どっちも命をかけて役目を果たそうとしてた。
そんな僕の友達を馬鹿にするのは許せない。
「…………おかしいな」
妙に大人びた声の調子で、アルフが呟いた。
ブラオンの嘲弄なんて歯牙にもかけず、蜂蜜色の瞳は床に書かれた魔法陣に向けられている。
倒れた人々の死体の向こうに立つブラオン。さらにその向こうの部屋の奥には、赤く生臭い魔法陣が描かれていた。
夥しい血で描かれたらしい線が、何重にも連なり、円同士の間を繋ぐように直線が走る。それらの線に沿うようにして書かれた文字も多い。
僕にわかるのは、悪魔を召喚した魔法陣ではないということ。
悪魔の名残りが感じられる魔法陣は、扉の前にあった。
魔法が得意とは言えない僕から見ても、この工房に書かれた魔法陣は尋常なものではないとわかる。
「その魔法陣、不老不死のための術じゃないな?」
「え?」
アルフの言葉にブラオンは顔を顰める。
治世を長く続けるために国王を不老不死にするって、カウィーナが言ったのはただの噂だったってこと?
自国の魔術師をこれだけ殺しても、他にしたいことがあった?
「召喚術に近い陣形してやがる。しかもなんでこんな古い文字使ってるんだ? 文法はだいたい今風だが、ところどころ古い部分もあるな。それだけ長い間、色んな奴の改良を受けたってこと…………いや、こりゃ…………」
気づいたように目を瞠ったアルフからは、納得の感情が流れて来た。
アルフにも僕の疑問が伝わったらしく、ブラオンを見据えたまま説明してくれる。
「フォーレン。この文字はな、五百年前までこの辺りで広く使われていた文字だ。今周辺で使われてる文字の原型だな」
五百年の時の流れで、国ごとに変化して、使う言葉自体は変わってしまっているらしい。
前世の知識から考えると、アルファベットのようなものだろうか。
日本の五百年前は戦国時代くらい? そんな頃の文字なんて、ひらがなでも読める気がしない。
「あれ? 五百年前って、確か魔王が倒された頃って言ってなかった?」
「そう。それが、そのまま使われてる魔法陣が今目の前にあるんだよ」
うん? ちょっと待ってよ。
僕が知ってる魔王関連の知識は、五百年前に魔王石を作った魔王と呼ばれた使徒がいたこと。
その魔王は妖精からも見放される暴走を起こして五百年前に倒されたこと。
千年も統治され、最期まで魔王に従っていた人間は、今も魔王の正統性を主張するため国に従わず、流浪の民と呼ばれていること。
「…………流浪の民が持ってた魔王の古代兵器を修理して使えるようにした上に、魔王の時代の文字を使ってるって。つまり、この人?」
僕が指を差すと、ブラオンはじっとりした視線で見つめてくる。
恨み辛みって言うより、なんか執着や不満っていうべき粘着質なものを感じた。
「たぶん、こいつ自身が流浪の民だ」
「けど、流浪の民って国に従わないんでしょ? この人、この国の魔術師長なんじゃないの?」
「大望のため、長き潜伏を耐えたにすぎん」
ローブを脱ぎ捨てたブラオンは、清々したと言わんばかりに国の魔術師である証を足蹴にする。
「つまり、最初から国王のためにダイヤを使う気はなかったんだね」
「当たり前だ。あんな耄碌した下種に魔王陛下の遺品を使わせるわけがないだろう」
よほど腹に不満を溜めていたのか、聞いてもいないのにブラオンは語る。
「元はと言えば、この国にあるトルマリンの所在を確かめることが私のお役目。トルマリンの封印に関われる魔術師になるため、こんな膿が溜まったような世俗に身を置いたのだ。あぁ、全く長かった」
ブラオンが喋る間、僕はアルフに心の中で喋りかける。
(ねぇ、今の内にあの魔法陣の魔力抜くことできないの?)
(あれ魔力だけじゃなくて、血を使って生気も含ませてあるから無理だ。妖精対策であんな風に書いたんだと思う)
どうやらブラオンが僕たちに押し入られても平気な顔をしてるのは、すでに手を施していたかららしい。
「下らぬ輩に合わせて口の腐るようなおべっかを使い、選ばれた魔王陛下の民たる能力を発揮するために魔術を極め。当初の目的を果たした時、私にもたらされたのは、ダイヤ奪取の命令だった」
「お前が森に狩人送り込んだのかよ?」
「いいや。それはエイアーナを担当していた者の策だ。だが魔王石を甘く見て、自らも魔王石の災禍に呑まれた。だからこそ、魔王石に触れる所まで上り詰めた私にお鉢が回って来たのだ」
どうやらエイアーナ国内を騒がせたのは別人で、さらにはもう死んでいるようだ。
そして、ダイヤをエイアーナから奪うためだけに戦争を起こさせたのは、このブラオンらしい。
正直、最初に出会った悪魔が狂人と称したのは間違っていなかったと思う。
アルフも誇らしそうなブラオンに冷めた目を向けた。
「で、ダイヤ奪って何する気だよ? 流浪に飽きて国盗りでもする気か?」
「国盗りだと? 馬鹿を言うな。我々は本来の王にお返しするのだ」
「はぁ…………? あ、まさか!?」
ブラオンの目的に思い至ったらしいアルフが焦りの表情を浮かべた。
瞬間、ブラオンは満足げに頷く。
「そうだ、魔王陛下にお返しするのだ」
「死んだひとに返すなんて、できるわけないでしょ」
「無知な子供め。魔王さまは使徒なのだ。不滅の神の移し身。肉体の死に囚われるようなお方ではない」
「それってもしかして…………魔王復活?」
アルフは不老不死よりも可能性があると言っていた。
僕の言葉にブラオンは会心の笑みを浮かべる。
(アルフ! この人やる気満々だよ! 止められないの!?)
(ダイヤ見つからないと無理だって! もしくは、復活させるために用意した依代を見つけて破壊する! …………けど、さっきから依代になりそうなものがこの部屋にはないんだよ)
もうブラオンをどうにかしたほうが早いのかな?
けど今まで一歩も動かず攻撃もしてこないって、絶対僕らから近寄ったら発動する罠用意してるよね?
「魔王陛下の復活こそ我が一族の悲願! その大役を果たすのが私だとは、なんと名誉なことか!」
「五百年かけて何してんだ! もっと進歩的なことに心血注げ!」
空気を読まないアルフの発言に、ブラオンは眦を裂くように怒りを露わにした。
それでも頑なに動かない。魔法も放たない。これは絶対何かある。
「裏切り者の妖精が、恥ずかしげもなく進歩的だと!?」
「裏切るも何も、最初から手を組んでたわけじゃないだろ?」
さらに突き放すアルフに、ブラオンは顔を真っ赤にした。
握り締める杖はブルブルと震えてるけど、攻撃をしてくる気配はない。
「貴様らが愚かな西側の人間につきさえしなければ、魔王陛下は負けることなどなかったのだ! 同じ使徒でありながら敵対するなど! 魔王陛下の覇道をお支えするのが筋であろう!」
「んなのお前らの思い込みだ。使徒はそれぞれに人格があり役目がある。意見が対立することもあれば、争いに発展することもある。あと魔王って長く生きてる分、何回も負け戦はしてるからな? 負けたのは俺たちのせいじゃねぇよ」
「知った風に言いおって! ダイヤを間抜けにも盗まれておいて、自ら取り戻しにも来ない腰抜けの使い風情が!」
「少なくとも、魔王が燎原の火となって燃やし尽くした国々を人々を、俺は見た。魔王の統治が今より悪かったとは言わない。だが、結局あいつは使徒としての役目も忘れ去って争いに腐心した。お前たちが美化するほど、本物からは遠ざかるぜ」
何故かアルフから伝わるのは、哀悼と呼べるうら寂しさだった。
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